意外な形の“ヒーロー誕生”だった。しかもそのヒーローは、すでに誰もが知っているようなファイターだったのだ。

 3月23日に開催された『RIZIN LANDMARK 9』神戸ワールド記念ホール大会。RIZIN2戦目となるブアカーオ・バンチャメークがキックルール戦に登場し、2ラウンドKO勝ちを収めた。

 ブアカーオ(かつてのリングネームはブアカーオ・ポー.プラムック)は、2004年と2006年にK-1 WORLD MAX世界トーナメントで優勝。K-1中量級屈指の人気選手であり、魔裟斗の最大のライバルの1人だった。

 そんな“古豪”が、今も精力的に試合を重ね、日本に戻ってきた。昨年5月のRIZIN初戦は安保瑠輝也とドローだったが、今回は41歳にして鮮やかなKO勝ち。日本では久々の勝利だ。

 もちろん、勝ったことが特別なのではない。あえてヒーロー誕生と書くのは、対峙したのがヒール/ヴィランと呼ぶべき選手だったからだ。木村“フィリップ”ミノルである。

ドーピング陽性、半年間の出場停止処分からの“更生”

 新生K-1でチャンピオンとなり、昨年からRIZINに参戦している木村。6月の初戦で豪快にKO勝ちしたものの、試合後のドーピング検査が陽性に。筋肉増強剤の使用が明らかになった。これを受けて試合はノーコンテストに裁定変更。またそれ以前の2試合も同様の措置が取られた。

 半年間の出場停止処分を経て、大晦日に試合が組まれたもののこれもドーピング検査陽性。数値は下がっていたものの、それでも基準以上だった。薬物使用をやめても成分が残留していたようだ。だから単純に「2度目もクロ=ドーピングを続けていた」というわけではないのだが、やはりイメージは悪い。

 木村は反省の弁を口にするものの、試合に向けては強気な態度を崩さず、出場停止期間中も会場に姿を現していた。安保瑠輝也からの対戦呼びかけには、客席でTシャツを脱ぎマッスルポーズでアピール。これにはRIZINの榊原信行CEOも「凄い人だなと(苦笑)。開き直ってるんですかね」と呆れるしかなかった。

 そもそも、出場停止が半年間というのが“甘い”ようにも思える。6月の試合から半年間だから、検査をクリアすれば大晦日に試合ができる形だ(結果としてできなかったわけだが)。ただこれにも事情があると榊原は語っている。

 格闘技の世界は、他のメジャースポーツやオリンピックのように統一組織があるわけではない。費用も時間もかかるドーピング検査を全団体が徹底できるわけでもない。

 仮にドーピングが発覚して長期の出場停止となったら、その選手はチェックの甘い他団体に出るだろう。「選手は試合で生活していかなければならないですから」と榊原。そんな形でドーピングを続けてしまうよりは、RIZINの中で“更生”させようというわけだ。しかしそんな理由も、多くのファンにとってはどうでもいいことだったはずだ。はっきりしているのは“ルール違反を犯した者がいる”ということ。そしてそういう人間は、SNSではどれだけ叩いてもいいことに(なぜか)なっている。

“レジェンドvsドーピング野郎”という構図

 3.23神戸大会でのブアカーオvs.木村が発表されたのは、大会の5日前。木村の検査結果が陰性だったことを受け、最後の追加カードとしてギリギリのマッチメイクとなった。契約体重は74kg。減量期間がないためだが、70kgで闘ってきたブアカーオにとってはかなり重い。

 木村にとっては復帰戦にして重要なチャレンジだ。歴戦の英雄に勝てば大きな勲章になる。とはいえそれは木村にとってのテーマであって、検査をクリアして試合が決まってもダークなイメージは拭えない。

 木村は対戦決定の記者会見でも「ドーピングはブアカーオも怪しいんじゃないか。僕は言える立場じゃないけど(笑)」と驚くような挑発コメント。“ヒール度”はさらに上がる。単純に言ってしまえば、この試合は“レジェンド対ドーピング野郎”だった。そう見られる試合で、ヒール/ヴィランである木村をブアカーオがヒーローとして“成敗”したのだ。

崩れ落ちた木村…「心はステロイドでは鍛えられないんです」

 序盤は木村の左右フックが猛威を振るう。しかしこの展開は「予測通りでした」とブアカーオ。パンチをブロックすると反撃していく。ローキックを当て、前蹴りで距離を支配し、接近戦ではヒザ蹴り。失速した木村は右ストレートで金網を背負う形で崩れ落ち、そのまま立てなかった。

「心はステロイドでは鍛えられないんです」

 中継の解説を務めた皇治は言った。木村を「ステロイドくん」とさんざん茶化していた皇治だが、この言葉は核心を突いているように思えた。今回のような試合は、木村の“負けパターン”なのだ。

 序盤から猛攻するが、そこで倒し切れず反撃されると弱気になり、逆転されてしまう。劣勢になった時の粘りが木村の最大の課題だった。K-1時代の初期には「僕はそういう、勝ったり負けたりの選手としてやっていくしかないんだと思います」とも語っている。野球にたとえると“ホームランか三振か”のタイプだ。

 だが真のトップとして活躍するなら、粘り強く四球を選んだり進塁打を狙う必要も出てくる。ドーピングの汚名を払拭しなければならない試合で、木村は「結局いつもの負け方じゃないか」となってしまった。

41歳でも強さを証明したブアカーオ

 もちろん、それだけブアカーオが強かったということでもある。木村も試合後のコメントで、その実力を素直に認めていた。

「体の頑丈さとか距離の詰め方、経験したことのない圧力がありました。こういう負け方をするのが今の自分のレベル。強くなってやり返せるところまでいきたい」

 一方のブアカーオは「自分が健在だと示すことができて嬉しいです」。自分のキャリアを作った国だけに、日本での勝利に上機嫌だった。41歳でなぜここまで強くいられるのか。そう聞くとブアカーオは答えた。

「一つはハーブをたくさん使ったタイ料理を食べること。もう一つは毎日同じトレーニングを同じようにこなしていくことです」

 ステロイドよりもヘルシーなタイ料理……と言いたいわけではないのだろうが、やはり木村とは対照的に見えた。そこでまたブアカーオへの好感度が上がるのだった。

RIZINが求める“クリーン”な木村の成長

 41歳でなお強かったブアカーオ。思い出したのは彼の試合を初めて見た時のことだ。2002年、K-1に出場する前の彼は“ムエタイの殿堂”ルンピニー・スタジアムで開催されたトーナメント『ムエマラソン』に参戦、優勝を収めている。K-1 MAXの規定体重70kgよりはるかに軽い140ポンド、約63.5kgの試合だった。

 ブアカーオは決勝で日本の小林聡に判定勝利。パンチやローキックで“打撃戦”がしたい小林に対して徹底的に距離を潰し、組み付いてのヒザ蹴りでポイントを奪った。そういう闘いもできるブアカーオが、組み付きが著しく制限されるK-1でも“殴る蹴る”だけで優勝を果たしたのだ。ライバルたちに負けない肉体も作った。そのキャリアの変遷まで含めて、ブアカーオは驚異的だ。

 ブアカーオについて、榊原は「今後RIZINのキックボクシングの軸になってくる」と語った。木村については「ここからがスタート」。ドーピング検査をクリアして試合にこぎつけたことは評価する、とも。

 さすがにそれは甘いと言わざるを得ない。禁止薬物を使わないのは、あくまで普通のことだ。ただRIZINとしては、ここから“クリーン”な木村の成長を見ていきたいというスタンス。木村に“禊”があるとするならば、それは薬物に頼らず強さを見せ続けることだろう。

 もちろんそれも、クリーンであることが大前提。RIZINのドーピング検査はタイトルマッチ及びランダムという形で試合後に行われているが、木村にはブアカーオ戦前の検査を課した。これが陽性だった場合、木村はRIZINを“永久追放”となる。彼はそういうところから立ち直るしかないのだ。

文=橋本宗洋

photograph by RIZIN FF Susumu Nagao