海の向こうで開幕したメジャーリーグ(MLB)での日本人選手の活躍が多く報じられるが、台湾プロ野球(CPBL)でも奮闘する日本人選手がいる。

「嬉しかったですね。年齢的(今年で26歳)にも引退を考えていましたから」

 こう話すように、諦めかけた野球人生が思わぬ形で繋がったのは、今年から台鋼ホークスでプレーする右腕・小野寺賢人だ。長年願っていた日本最高峰の舞台ではなく台湾最高峰の舞台に活躍の場を移すことになった。

 学生時代に思うような活躍ができず、独立リーグでいくら活躍してもドラフト指名に至らなかった右腕はいかにしてチャンスを掴んだのか。

 背景には「日本野球」があらためて高く評価されていることも大きい。かねてから日本球界と台湾球界は人材交流が盛んだ。日本のプロ野球では1990年代に郭泰源(西武)と郭源治(中日)、郭李建夫(阪神)らが活躍した記憶が鮮明に残っているファンも多いだろう。また、日本人選手も渡辺久信(現西武GM)らこれまで70人以上が台湾プロ野球でプレーし、1995年には6球団中5球団が故・田宮謙次郎氏ら日本人監督だった時代もあるほどだ。

WBC優勝もあり、台湾野球界で日本人需要増

 一時期、日本人選手・指導者は減っていたが、WBC優勝の機運などもあって需要が再び高まっており、今季は古久保健二(元近鉄捕手)と平野恵一(元オリックス、阪神内野手)が楽天桃猿と中信兄弟で監督を務めるなど全6球団に日本人指導者が在籍。選手はNPBで活躍した笠原祥太郎(DeNA→台鋼ホークス)だけでなく、日本の独立リーグであるルートインBCリーグから小野寺と鈴木駿輔(信濃グランセローズ→台湾楽天)の両右腕が海を渡った。

 また、笠原と小野寺を獲得した台鋼ホークスは昨年11月下旬に日本人選手向けのトライアウトも実施。最終的にここでの獲得者はいなかったが、NPB球団のスカウトによると、「台湾プロ野球関係者から“日本の独立リーグに良い選手はいないか?”という問い合わせは時折ある」と話すほど、日本人選手、特に投手の需要は高まっている。

 そんな中で白羽の矢が立った小野寺だが、学生時代の実績は皆無に近く、NPBにも縁は無かった。宮城・聖和学園高時代は2番手投手で甲子園出場は無く、北海道・星槎道都大時代もエースにはなれなかった。

「大学時代は“野球で就職したい”というくらいで、それが“プロに行く”と取り組んでいた河村さん(説人/現ロッテ)との差になりました」と後悔する。4年時に調子を落としたこともあり企業チームのセレクションにも次々と落ち、北海道のクラブチームであるトランシスで、フルタイムで働きながら硬式野球を続けることになった。

 だが野球に打ち込む環境を求め、数カ月で退社しルートインBCリーグの埼玉武蔵ヒートベアーズへ。仕事の大変さも感じた後だっただけに、薄給でも「野球で勝負できて、お金がもらえることに喜びを感じました」と前向きに取り組み、人との出会いにも恵まれた。

 特に影響を与えたのは、宮城県出身として仙台育英高での活躍時から憧れていた(佐藤)由規の存在だ。投手コーチも兼任していた由規からの助言は一つひとつに重みがあり、投手としての高みを目指し続けている姿勢にも心を動かされた。

独立リーグでは2つのタイトル獲得&リーグ優勝

 そうした歯車が噛み合い、ルートインBCリーグで好成績を残せるようになる。2年目には防御率1.65の成績を残し13試合で与四死球がわずか5。無四球完投も2度記録するなど高い制球力が光った。3年目となった昨年は、地区最多勝利と地区最多奪三振のタイトルを獲得し、リーグの優勝決定戦では胴上げ投手になった。

 それでもドラフト会議での獲得の可能性を示す調査書は、2年目に1球団、3年目にいたっては1球団からも来なかった。

「周りからは“お前が行けないのはおかしい”と言ってもらうこともありましたが、身長やスピードなど足りないものがあったと思うので」と小野寺は冷静に現実を捉える。

 NPBのスカウトは当然、今よりも未来を見る。

 未来を描きやすいのは体が大きくて球速が速い、若い投手だ。例えば、昨年のドラフト会議で2位指名という高評価を得た独立リーグの投手、大谷輝龍(日本海リーグ・富山→ロッテ)と椎葉剛(四国アイランドリーグplus・徳島→阪神)はともに身長が180センチ以上あり、最速159キロで23歳と21歳だった。

 その点、小野寺は昨年時点で25歳、球速も140キロ台がほとんど、身長も180センチに満たない175センチ。実際に筆者が取材した試合も、NPB球団のスカウトが複数視察に来ていたが、お目当ては明らかに他の小野寺よりも若くて速い投手で、制球力を武器にゲームメイク能力が高い小野寺が8回までマウンドに上がり続けると「まだ、投げるのか……」という雰囲気が漂っていた。

 こうしてNPB関係者には強い興味を持たれなかった小野寺に訪れたチャンスが台湾からのオファーだった。

 昨年11月、12月に台湾で行われたアジアウインターリーグに台鋼ホークスのテスト生として招聘された。すると「コントロールには絶対の自信があったので」と4試合に登板し防御率0.92、特に決勝戦では8回まで無失点の好投を見せてチームを優勝に導き、今年の本契約を掴み取った。

独立リーグ→台湾プロ野球のキャリアは「異色」

 これまでNPBで峠を過ぎた選手や、再起を期す投手が台湾でプレーすることや、社会人野球の選手が台湾でプロ選手になった例は多くあるものの、国内独立リーグから直接、台湾プロ野球入りしたのは知念広弥(新潟→統一ライオンズ)ら、わずかな例しか無い。

 それだけに小野寺は活躍して先駆者になりたいという意気込みも強い。

「周りの期待も感じます。人が通ってない道で思いきってチャレンジしたいです」

 ここまで2試合に先発して、まだ勝ち星は無いが、4月10日には鈴木との日本人対決となった試合で6回2失点と試合を作った。

 道なき道を進んだ先に、どんな景色が待ち受けているのか。引退間際だった男は、ひと筋の光を辿って懸命に腕を振り続けている。

文=高木遊

photograph by Yu Takagi