日本中を騒然とさせた大谷翔平選手の元通訳・水原一平氏の賭博スキャンダル。かつて日本スポーツ界において、違法賭博が大きな騒動となった事案として、2010年に表面化した「大相撲野球賭博事件」が挙げられる。なぜスポーツ界と違法賭博は結びついてしまうのか。当時、事件の渦中にいた元力士が振り返る、アスリートとギャンブルの暗部とは。<前後編の前編/後編を読む>

 日米球界を震撼させた大谷翔平の元通訳、水原一平容疑者の違法賭博問題。5月9日に予定されている罪状認否を経て司法取引が成立すれば、年内にも判決が下される可能性があると伝えられる。

 連邦政府の捜査当局が連邦地裁に提出した訴状によれば、水原容疑者は大谷の預金口座から1600万ドル(約24億円)もの資金を胴元に不正送金していた一方、違法ブックメーカーを通じたスポーツ賭博で約4100万ドル(約62億円)もの損失を抱えていた。

違法賭博事件でも類を見ない巨額の負債

 過去、日本においてもスポーツ界を舞台とした違法賭博事件は数多く起きているが、個人がこれほど巨額の負債を抱えたケースはなかった。

 違法賭博であったとしても、負けが何十億円と累積する前に、通常は何らかの「抑止力」が発動する。今回、水原容疑者が際限なく賭けを続けることができたのは、数十億円の大谷マネーと「ショウヘイの通訳」という社会的立場を胴元が評価していたからである。

 今回の悲劇を象徴するワードが「バンプ」(bump=信用で賭けられる上限額の引き上げ)だ。胴元に「バンプ」を何度となく懇願し、一発逆転の借金返済を狙い続けた水原容疑者だったが、深い沼から脱出することはできなかった。負け追いを重ねるギャンブラーの宿命である。

 賭博を始めた当初、わずか10ドル(約1500円)だった水原容疑者の1回の賭け金は、最大で16万ドル(約2400万円)に及んだという。

「カネも担保もない状態でも賭けられる――この独自の信用システムがあらゆる違法賭博に共通する最大のポイントです」

 そう語るのは、2010年に表面化した「大相撲野球賭博事件」で実刑判決を受けた押尾川部屋の元幕下力士、古市満朝氏(51歳)である。

 この事件では、野球賭博に関与していた大関・琴光喜、大嶽親方(元関脇・貴闘力)らが角界から追放されたほか、現役力士ら25名が賭博容疑で書類送検された。

「水原さんの事件は、私が経験した野球賭博事件と多くの共通点があります。社会経験に乏しく、勝負の世界に生きる男たちのなかに、賭博愛好者が多いのは洋の東西を問いません。また、立場のある人間が違法賭博に手を出すリスクの高さも同じです」(古市氏、以下同)

突然「失踪」する力士まで…

 前述の野球賭博事件で処分された力士のなかに、宮城野部屋の幕下力士・光法(本名=近藤将大)がいる。部屋の横綱・白鵬のマネージャーをつとめていた光法は現役引退後、引き続き白鵬の側近として「白鵬杯」を始めとするビジネスに関与していたが、いまから2年前に突然「失踪」した。

「光法はその後も野球賭博から離れられず、10億円近い負けをつくったあげく、宮城野部屋の関係者や著名な放送作家からの借金を踏み倒し、白鵬の前から消えたのです。まだ地元の大阪に潜伏していると聞きますが、薬物と同じでなかなか断ち切ることができない。これがギャンブル依存症の怖さだと思います」

 かつて、自ら野球賭博に手を染めていた古市氏だが、現役力士時代(※若貴兄弟や曙と同期の昭和63年春初土俵組)は賭博に一切、興味がなかったという。ところが現役引退後、福岡県で風俗チェーン店を統括する仕事に従事していた時期、プロ野球賭博の胴元と知り合い、「玉」(ギョク=賭け金)を流すようになる。

「ハンデ(※賭博対象チームの実力差を調整する数値)の話を飛ばして言えば、野球賭博とはどちらが勝つかに賭ける丁半バクチです。巨人―阪神戦で、阪神の勝ちに100万円張った場合、負ければゼロ。勝てばテラ銭(※胴元に払う手数料)の1割を引かれた90万円が勝ち分となる。ただし、ツケサゲ(精算)は基本的に週1回、試合のない月曜日で、その間はたとえ負けてカネがなくなった状態でも、胴元が受ける限りは賭け続けられる」

一文無しの状態でも賭けられる「信用賭け」の怖さ

 同じギャンブルでも公営競技(競馬、競輪、競艇、オートレース)やパチンコは、「信用」で勝負することはできないため、必ず手元に現金を用意しなければならない。その点、カネがなければ負ける金額にも限度があるが、野球賭博は一文無しの状態でも賭けることができる。

「100万円負けて、あっさり引き下がる人間はいない。100万円勝てば、もう一度賭けない人間はいない。つまり誰も賭けることをやめない。相撲界は狭い世界で、胴元や中継(客から金を集め、胴元に流す人間)は客の信用力を見極めて玉を受ける。

 たとえば月々わずかなカネしかもらえない幕下以下の力士と、三役や横綱クラスの力士では、それぞれどのくらいのカネを作ることができるか熟知している。客はその範囲内なら賭けることができるわけです」

 では、いかにしてこの違法なギャンブルが角界に蔓延っていったのだろうか?

<後編につづく>

文=欠端大林

photograph by JIJI PRESS