閉経前後で心や体が大きく変化する「更年期」。
英語では更年期を「The change of life」と表現します。 その言葉通り、また新たなステージへ進むこの時期を どう過ごしていったらいいのか――。
聞き手にキュレーターの石田紀佳さんを迎え、 さまざまな女性が歩んだ「それぞれの更年期」の エピソードを伺います。

今回お話を伺ったのは・・・
たいら由以子さん
1966年福岡県生まれ。大学で栄養学を学び、証券会社に勤務したのち、結婚そして出産。2004年、特定非営利活動法人「循環生活研究所」を、2019年には「ローカルフードサイクリング株式会社」を設立する。https://lfc-compost.jp/


自分を後まわしにして進んできて

「女の人って自分を後まわしにしがちですよね。それが度を過ぎると女性特有の器官に症状が現れるんでしょうね」 
1997年から「半径2キロメートルの栄養循環」を目標に、生ゴミを堆肥化して野菜を育てる活動をスタートした、たいら由以子さんは自らの過去をそう振り返った。

余命3か月と宣告された父に、おいしくて安心なものを食べてもらいたいという一心で始めた活動だった。余命宣告から2年を共に過ごすことができた父の死後、2004年、由以子さん38歳のときにNPO「循環生活研究所」を立ち上げて、自宅を事務所にした。

「多忙を極めていた45歳のときに子宮頸癌の手術をしました。検査を待つ病院の廊下で泣きましたが、心配されたくなかったので、みんなには内緒にしていました」  
幸い術後の経過はよく、「念のためにみんなに書いた手紙」は渡さずに済んだ。

その後、活動はさらに忙しくなり、年間500本の堆肥作りに関する講座をして、コミュニティー農園を13か所運営するに至る。
健康の大切さについて改めて認識したはずだったのに、ちょうど閉経前の3年に当たる48歳から51歳ごろまでの3年間、由以子さんは出血多量の貧血の中でさらに多忙を極めた。

市民で運営するUFC(アーバンファーマーズクラブ)と連携して、由以子さんは渋谷駅近くの渋谷リバーストリート沿いにコンポストを設置した。

渋谷近辺に住む人たちがLFCでできた堆肥を持ってきて、木製の大きなコンポストに入れる。

あぁ、若返る風呂に頭からつかりたい

「生理中の2日間ぐらいですが、そのときに講座があると、とくに大変でしたね。忙しすぎて、外食も多かったせいだと思います。これからこの活動をどうしていったらいいかも考え続けていたので、閉経を挟んで、夜の寝付きの悪さにも苦労しました」 

漢方薬を飲んでみたり、体を温める対処をしてみたが、 「やっぱり食べ物は大事だなと思って、スタッフのぶんのお弁当も作って持っていっていました」 

由以子さんらしく、周囲への気配りをする一方で、この先まだやらなくてはいけないことがたくさんある。人前で話す機会も多いというのに、鏡の中の自分を見てがっかりしたと言う。

「ぐっすり眠れないし、貧血もひどくて顔色も悪い、どうしたらいいの?」と、生き生きと活動している先輩たちを見ては途方にくれた。お金で解決できたらと、やたら高い嗜好品や化粧品を買ってしまったこともある。

「仕事のパフォーマンスも心の置き所も落ちていました。そういえば、あぁ、若返る風呂に頭からつかりたいと、眠れない夜を過ごしたこともありましたね」 会社を設立しようかと悩んでいた時期と更年期が重なったのだ。

この日は、食べ物と生ゴミについて話し合うイベントがあり、生ゴミ堆肥で大きく育った、渋谷リバーストリート産のルッコラをサンドイッチにしてふるまった。「食べ物をもう一度食べ物に変える」という由以子さんの目指す世界を伝えた。

80歳を前になお成長する母に励まされて

「今から思えば、忙し過ぎる私を気遣う母の愛情の裏返しだったと思うのですが、母との関係がすごく悪かったんです」 堆肥づくりの大先輩である、母の信子さんから学ぶために、信子さんに「循環生活研究所」に入ってもらった。
由以子さんとしては、父の死によって、母が孤独にならないようにという配慮でもあった。

「母はいつも父と行動していて友だち付き合いはあまりしていませんでした。人見知りが激しかったので、私たちと一緒に活動することは、母にとってもいいんじゃないかなと思ったのです。
でも母は活躍する反面、『あんたのせいで忙しくなった』と怒りばかりをぶつけてきた時期が続いて……」 

なんとか一緒に活動をするために、「関係改善にいい」と言われる100以上のメソッドを試みた。例えば、会議の際に本の輪読をしたり、信子さんを含めみんなのいいところを確かめあうゲームをしたりなど、前向きな気持ちになる方法、思いを言葉にする練習などを取り入れた。

「すごく自分の学び、成長になりましたが、なかなか母との関係改善はできなくて、もうスタッフのためには母か私のどちらかがNPOを辞めるしかないところまで追い詰められました」 

ところが、由以子さんが会社を設立する意思を固めると、信子さんはガラリと変わった。誰よりも状況を理解し支援と後押しをしてくれたのだ。そして80歳を目前に、発言がどんどん進化する。今では堆肥作り名人として、また野菜の加工品職人として、組織を牽引し、仲間に囲まれている。

「あれだけ成長を見せられると、私ももっとやれるんじゃないか、もっと成長できるかもと励まされました。希望を持って日々を過ごすことができるようになりました」 由以子さんは、人生の大先輩である母、信子さんを「心から敬愛している」と言う。

働けば働くほど人を幸せにできる仕事をしたい

コロナ禍直前の2019年、由以子さんは「株式会社ローカルフードサイクリング」を設立した。53歳だった。持ち運びのできるバッグ型のコンポストを核にした会社だ。

この革命的ともいえるコンポストは20年以上のNPO「循環生活研究所」での段ボールコンポスト普及の実践から生まれた。

「このままNPOの活動だけでは、自分が生きている間に、半径2キロメートルの栄養循環は達成できないと思い、会社化したのです」 それまでに年間8万人以上の人に段ボールコンポストなどでの生ゴミの堆肥化を伝えたが、現実は生ゴミの90%は可燃ゴミとして焼却されていた。
由以子さんの取り組みを取材に来る人も多くなって、みんな「頑張っていますね」と言ってくれるが、「そう言っている人が実際に家でコンポストをしているのかはわかりませんでした」。

草の根的な活動としてNPOを続けていたが、「食べ物をもう一度食べ物に変える」という生き物の当たり前の根本が真っ当な仕事になり得ない状況をおかしいと思っていた。
商業ベースで成り立つようにしなければ、理念として掲げている「半径2キロの栄養循環生活」が実現する暮らしにはならない。そんな思いを抱えながら、更年期前後の混迷期をくぐり抜け、「LFCコンポスト」が生まれる。

コロナ禍の自粛期間とも重なり、人の意識が家庭生活に向かい、コンポストバッグは想像以上に都市部で受け入れられた。

「私は自分の夢や目標に、力を出し尽くしてその日その日を終えるタイプ。更年期を抜け出したことも自覚しないまま、今日まで来てしまった感じがします」 

ますます忙しいが、精神的には充実し、仲間にも恵まれているという。

「以前とは違いますね。今ではランチはみんなで作って食べるようになって、会社での生ゴミも堆肥にしています。東京に出張しているときも、おいしい野菜を食べさせてくれる仲間とも出会えました」 

女性は月経が始まってから、出産、授乳、子育て、更年期と「苦労が多くて、コンプレックスを抱えることばかりだと不満に思うこともありましたが、その度に自分の中の何かと向き合い、努力や工夫を重ねてきました」 

大学卒業後に就職した証券会社ではバブル崩壊を経験した。
「証券会社時代は、働けば働くほど人を不幸にしてしまったから、働けば働くほど人を幸せにできる仕事をしたいと思ってきました」 半径2キロの栄養循環生活が世界中で実現するように、そして周りの人への感謝のためにも、元気でありたい。

「父のことで検査ばかりする医者と大げんかして病院が大嫌いになりました。それで健康診断もスキップしまくってきましたが、近いうちに行こうかと思います」 

巡りよい暮らしの中には、もちろん人の体も心も含まれている。
半径2キロの中心は由以子さん自身なのだ。50代の終盤、自分を後まわしにせずに、夢に向かって働いている。

〜私を支えるもの〜

福岡の本拠地から、日本中に循環する生活を目指す仲間は、由以子さんにとって大きな存在。渋谷区のアーバンファーマーズクラブの皆さんとローカルフードサイクリングのスタッフ、そして娘の希井さん(写真左から2番め)と。

由以子さんが開発した「LFCコンポスト」。

30年にわたる堆肥実践研究から生まれた持ち運びできる布製コンポスト。ここに来るまでの苦労と喜びが集約された商品。今も改良を続けている。

植物と触れ合う無心の時間が由以子さんにとって大切な時間。
多くの発見もあるそう。「循環生活研究所」の周辺や事務所の庭、福岡県に5か所あるコミュニティーファームで日々植物と触れ合っている。


撮影/白井裕介 聞き手・文/石田紀佳 編集/鈴木香里

※大人のおしゃれ手帖2024年4月号から抜粋
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