【WEEKEND女子プロレス♯17】

 マリーゴールドの旗揚げ戦で、初来日かつ無名の存在にもかかわらずメインイベントに大抜擢、ジュリアとSareeeの対戦を食うかのように大きな話題をかっさらっていったのが、ドイツからやってきた“大怪獣”ボジラだった。

 まだ20歳の若さというボジラは身長181センチ、体重91キロ。プロレスデビューは2022年3月5日。なんと父親とのタッグチームで初マットを踏んだという。

相手は男子のタッグチーム。ともに身長180センチで、体重が110キロと90キロのヘビー級だった。その後も男子ヘビー級レスラーとの対戦が中心で、しかもキャリア22戦目が日本デビュー戦。そんなキャリアを持つボジラとはいったいどんなレスラーなのか。まずはボジラのプロレス入りに大きな影響を与えた父について説明していこう。

 ボジラの父は、ドイツ人のウルフ・ヘアマン(「ヘルマン」と表記されることが多いが、「ヘアマン」の方が現地での発音に近い)。身長198センチ、体重128キロのスーパーヘビー級で、89年8月にデビューした。92年10月にアメリカに進出しWWFに初登場、ヘルマン・ザ・ジャーマンのリングネームでルイ・スピコリに勝利した。

93年からは、オットー・ワンツがドイツ語圏に一大プロレス帝国を築いたCWAを主戦場とし、99年12月に崩壊するまで主力として闘ってきた。ハノーバーやブレーメンでのトーナメント(リーグ戦)が有名なヨーロッパマット界だが、タイトル戦線においてはCWA世界タッグ王座を4度獲得。そこには、新日本プロレスの常連外国人だったトニー・セントクレアーとのチームも含まれている。CWAでのヘアマンは、エプロンからトップロープ越えでリング内に飛び込むド迫力のクローズラインが印象的な大型レスラーだった。

また、98年から99年にかけては再び渡米しECWにも登場。98年7月には田中将斗と対戦、99年にはロブ・ヴァン・ダムのECW世界TV王座に2度挑んでいる。

 CWA消滅後は、プロモーター業にも進出。09年から17年にかけてブルヘッドシティ・レスリングを主宰した。現役としては12年12月、EWPでのマイケル・コバック戦を最後にリングを離れるも、15年10月のPOWでクリス・ラバー(バンビキラー)とのタッグでダグ・ウイリアムス&ニック・アルディス(マグナス)組を相手にワンマッチ。そして、6年半のブランクを経て22年3月にIPWで復帰、58歳の現在もリングに上がり続けている。そのときのパートナーがボジラ。つまり、娘のデビュー戦でカムバックを果たしたのである。

 ヘアマンの一人娘であるボジラは、幼少から父がプロレスラーであることを認識。物心つく前からプロレス会場に連れていかれたり、かつての父の試合を映像で見る機会に恵まれた。が、本人はモデル志望。実際、かつてはそちらの道に進んでもおかしくないほどスレンダーだったとボジラは笑う。

「身体が大きくなっていったらやっぱりプロレスがやりたくなって、地元のレスリングスクールに通うようになった。でも実際には、父から教えてもらう方が多かったかな。チェーンレスリングをよく教えてもらったわね。また、昨年はカナダのカンナムレスリングでスコット・ダモールにコーチしてもらったの」