体づくりにはとにかく時間がかかることで知られるボディビル競技。そんなボディビル界において、50歳から筋トレを始め、わずか1年で頭角を現したのが宮田みゆきさんだ。そんな彼女は、実は家族全員がボディビルディングに励み、家族全員が大会での優勝経験をもつ「筋肉一家」の妻であり母だった。宮田さんに、ボディビルのすばらしさや家族の抱える苦悩を聞いた。

ボディビル一家の母親は、一筋縄ではいかない!

――ご家族全員が体を鍛えているボディビル一家ということですが、最初に体を鍛え始めたのは誰だったんですか?

宮田みゆき(以下同) 
長男です。大学までサッカーをやっていたんですが、ケガをしてリハビリのために筋トレを始めました。そのうちに筋トレにはまってしまい、筋肉美を競う大会を目指すようになりました。

そんな長男に対抗するように、元々筋トレをやっていた夫にも火がついて、「息子に負けてられない」と大会に出るようになりました。階級も同じだったのでガチの親子対決ですよ。そのあとに私。家族みんなが大会で優勝するようになったのに感化されて最後に始めたのが次男です。

家ではとにかく半裸

――みゆきさんは、そもそもボディビルが嫌いだったそうですね。

そうなんです。面倒なことが家庭内でたくさん起こったんですよ。まずは長男の食事の注文が細いこと。脂肪を落とすために食事制限を始めたのはいいけど、私が鶏肉のグラム数をちょっと間違えただけで、ものすごく怒るんですよ。それでケンカになっちゃって、こんな競技はこりごりだなと思っていました。

あと、長男と夫がとにかく家では半裸なんです。目が合うたびに「お母さん、どっちの筋肉がいい?」っていちいち聞いてくる有様で、長男と夫が家庭内で常にバチバチの状態。結局、長男は夫とそりが合わずに家を出てひとり暮らしを始めましたけど、あのまま一緒に住んでいたら家庭崩壊だったと思います(笑)。

――ところがみゆきさんも筋トレにハマってしまったと……。

長男の大会を応援しに行ったとき、女子にフィジーク(全身の筋肉のバランスのよさを見るカテゴリー)という競技があると知りました。

この中にフリーポーズといって、1分間ほど好きな音楽に合わせて、自由にポージングをする演目があるんですけど、選手たちの華麗な動きや美しいポーズを見て、感動してしまったんです。筋肉増強よりも「このパフォーマンスを自分もやってみたい!」と思ったのが最初の入口。だから、今でも筋トレ自体はあまり好きじゃないんですよね(笑)。

夫の鬼の特訓とどんどん変わる体

――いざトレーニングを始めてみると、わずか4ヶ月後の大会(東京ノービス選手権大会)でいきなり1位に。ド素人だった人が数ヶ月でそこまで仕上げるのはほぼ奇跡だそうですが、どんなトレーニングを?

夫のスパルタ特訓の賜物です。もうほとんど星飛雄馬(漫画「巨人の星」)状態でした。倒れても夫に引きずり上げられ、「もう帰れ!」と暴言を吐かれ、昭和のスポ根を押し付けられました。

通っていたジムでも有名なあぶない夫婦になっていて、みんな、私たちを遠目で見ていました(笑)。おかげで鉄のメンタルになりましたけど、あんな特訓、今はもう無理ですね。あのときはデビュー戦で絶対優勝したいって気持ちが強かったし、自分の体がどんどん変わっていくのが楽しかったので耐えられましたけどね。

フリーポーズをしたいっていうのが1つの夢でしたけど、はじめて割れた腹筋を見たときは「こんな風になっているんだ」って感動しました(笑)。

――その後、多くの大会で成績を残し、いまでは日本が誇るトップビルダーのひとりですが、周囲の反応はどうですか?

TVなどのメディアにも取り上げていただく機会もあり、ボディビル業界では、家族の中で最も有名になったと思います。

それはそれでうれしいことなのですが、夫が「よかったね!」ではなく「調子に乗るな」と。きっと恩師である夫の存在に、もう少し敬意を払ってあげればよかったんでしょうね。

引退が頭をかすめる

――最後に出場された2021年の大会(日本ボディビル選手権)では、かなり苦労されたとか。

もともと私は股関節のかぶりが浅く、そのせいでトレーニング中に骨と骨が擦れて痛むようになりまして。なんとか3位を取れましたが、痛み止めの座薬を何回も入れながら、立っているのもつらい状態で、これを最後に引退しようと決めていました。半年後に手術をして人工関節を入れました。
 

――いったん引退を覚悟したものの、競技に復帰なさるそうですが、人工関節の具合はどうですか?

重たいものは持てないし、深くしゃがめない。そうすると脚の筋肉を作れないってイメージがありますよね。でも、ここからスタートして、それでも体を変えられるってことを証明したくなったんです。

3年間のブランクがあって、体の組織も変わっているし、年齢も重ねているので、自分でも未知の挑戦ですけど、日本3位のときのレベルにどこまで近づけるか、もしくはそれを超えられるかってところを目指しています。

ボディビル競技という過酷な世界

――ビルダーになって、よかったことは?

実は、この競技に出会わなきゃよかったと思うときもあるんです。なぜかというとあまりにもいろんな悩みを抱えてしまうから。筋トレって好きでやっているだけなら問題ないのですが、競技として大会に出るとなると、過食してしまったときに「私はダメだ」って自分を責めてしまったりする。

あと大会で結果を出せたとしても、その後は、そのときの頂点の身体を維持しなきゃいけないっていうプレッシャーが生まれ、またこの身体を作れるのかという不安に悩まされ続けるわけです。一度でも最高峰の身体を手にした人は、多かれ少なかれ、そういう葛藤を抱えています。そのせいで躁鬱っぽくなってしまう選手もいるし、常に自分の心との戦いなんですよね、この競技は。

そういった体験でわかったのは、筋肉を作るのはトレーニングでもプロテインでもなくメンタルだということ。強くて折れないメンタルではなく、穏やかで安定したメンタル、つまり心が整わないと体は鍛えられない。本当に大事なのは筋トレではなく“心トレ”だと私は思っています。

――将来の夢はありますか?

めちゃくちゃ恥ずかしくて言いにくいんですけど……幸せな家族をめざしてます(笑)。みんなが体を作ることに真剣に取り組んでいるので、えてしてぶつかりがちなんですよ。それぞれが頑固な職人気質というか。そこをうまくまとめていくのが私の役目だと思っていますね(笑)。



取材・文/若松正子 写真/集英社オンライン編集部