タレントの石原良純(62)が、10日放送のTBS系「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」(金曜後8・55)に出演し、ピンチを救ってくれた、今は亡き芸能界の恩人との別れを振り返った。

 父は芥川賞作家で政治家の故・石原慎太郎さんで、叔父は昭和の大スターだった故・石原裕次郎さん。裕次郎さんが社長を務める石原プロモーションに入り、鳴り物入りで芸能界デビューしたが、裕次郎さんの死去後に独立。仕事がまったくなくなった。そんな窮地を救ってくれたのは、後に事務所の社長になる三原栄子さん。雑誌社で大手企業の広告担当を経て独立。個人事務所を立ち上げたが、良純のために広告の仕事を辞めて芸能マネジャーを買って出てくれたという。

 熱心さと人の才能を伸ばす能力に長け、何より良純に母親のような深い愛情を注いだ三原さん。バラエティー番組だけでなく、コラム執筆やコメンテーター、気象予報士と、ユーモアと知性を兼ね備えた存在に育て上げたのは、三原さんの尽力だった。

 そんな三原さんに、13年ごろから異変が起きたという。事務所で見かけた三原さんは、毛糸の帽子をかぶっていた。「明らかに調子悪いわけよ。毛糸の帽子かぶって。がんの放射線の治療したじゃん?分かるじゃん?バカじゃないんだから、俺だって」。良純の予感は的中した。三原さんは悪性リンパ腫に冒されていた。

 良純は三原さんの性格を見越して、何も聞かなかったという。「1回も聞かなかった。何があったの?って。どう見たってがんの治療でしょう?向こうも1回も何も言わないよな。自分から言うことじゃないだろうし。どうしたの?って聞いても、言ったかどうか分からない。本当のこと言えよって詰め寄るわけでもない」。良純は粛々と仕事をこなしたという。

 一時は体調も回復した三原さんだったが、病状は再び悪化。良純の収録現場にも来なくなり、電話で収録の様子を報告するだけになっていったという。良純はあえて見舞いに行かず、仕事に集中したという。そのうち、電話もつながらなくなっていった。

 三原さんは19年に死去。三原さんの愛娘で、現在の事務所社長から報告を受けたという。良純は「本当はどうだったのかな?と今でも思う」と本心を明かした。

 路頭に迷っていた良純を、あの手この手でもり立ててくれた、大恩人。良純は「三原っていたよねということ、素晴らしい人間がいましたということを、お披露目するのもいいかなって」と、三原さんについて語った理由を打ち明けた。「出会いなんですよ、人というのは。出会いがあって、人は1人ではいきていけないから。僕らの年になると、出会いもあるけど、確実に別れもあるということも分かってきて、まだまだ三原がうるさいから一生懸命やんなきゃなって」と気丈に話した。

 番組には、三原さんの愛娘からコメントが届き、三原さんが良純に病状を伝えなかった理由も明かされた。「本当のことを伝えたら、良純さんは優しい人だから、本人が顔に出さないようにしても、心配だったり悲しい気持ちが顔に出てしまうだろう。良純さんには、笑って元気にテレビに映っていて欲しい。そのため、連絡が来ても入院していることは伝えないように。もし病状が悪化しても、お葬式が終わってから伝えるようにと言われました」。病床でも、良純の番組はチェックしていたといい、「夜、番組は必ず見ていたようです。クイズ番組などで良い成績を取った時には、プロデューサーに電話して、うれしいということを伝えていたと聞いています」ともつづられていた。

 良純は「ずっといろんなことあってね。京都に行ってよく遊んだんだよね。京都で放っておくと俺が遊ぶから、付いて来て。めんどくせえなって。よく遊んだ。お酒も飲んだし。そうやって教わったから」と、三原さんとの思い出を回顧。あらためて「弱ってる時、死に目に会えなくてもいいんだよ」と、自分に言い聞かせるように話していた。