web Sportiva×BAILA special collaboration
feat. 田中佑美(陸上100mハードル)前編

「汗に濡れて、雨のなかでも走っているふだんとは一転して、こんなふうに綺麗にしてもらって、魔法をかけてもらったような気分です」

 働く大人の女性向けメディア『BAILA』とのコラボ企画(@BAILAでも異なる内容のインタビュー記事を配信)。女性誌で活躍中のヘア&メイクアップアーティスト、スタイリスト、カメラマンが撮影を担当。いつもとは違うメイクで彩り、ドレスアップして撮影に臨んだのは、陸上競技の女子100mハードルで活躍する田中佑美(富士通)だ。


メイクでさらに美しさが輝いた田中佑美選手 photo by Sannomiya Motofumi(TRIVAL)

「ここ数年で海外遠征に行かせていただく機会が増えて、海外の選手の知り合いが増えました。彼女たちが雑誌に載ったり、ブランドの広告モデルをしているのを見て、かっこいいなと思っていました。(ファッション誌での撮影は)日常生活ではなかなかできない経験だと思うので、やらせていただけるならやりたいと思いました」

 今回のコラボ企画の取材・撮影を受けた理由を、田中はこう語る。

◆田中佑美「ファッション&メイクアップ」ビューティphoto&競技プレー写真>>

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↓↓↓【動画】田中佑美選手の生音声インタビュー【動画】↓↓↓

 日本の女子100mハードルは、今、活況を呈している。

 2000年に金沢イボンヌが当時の日本記録13秒00をマークして以来、長らく日本勢には『13秒の壁』が立ちはだかっていた。だが、2019年に寺田明日香が初の12秒台をマークしたのを皮切りに、13秒の壁を破る選手が続出。2023年シーズンを終えた時点で6人を数える。しかも全員が現役選手とあって、日本選手権をはじめ各大会では熾烈な争いが繰り広げられている。

 田中もまた、12秒台ハードラーのひとり。

 高校、大学と世代トップを走ってきた田中にとって、社会人3年目の昨年は飛躍のシーズンだった。4月に12秒台に突入すると、夏には初めて世界選手権に出場し、アジア大会では銅メダルに輝いた。

 五輪イヤーの今季、さらなる飛躍が期待されている。

【12秒台はそこまで意識していたわけではない】

── 昨シーズンは国内初戦の織田記念で12秒97をマークし、日本人4人目の12秒台ハードラーとなりました。

「12秒台が出るとは思っていなかったので、まず驚いたっていうのが大きな感想です。

 私は12秒台を出す前のベストタイムが13秒1台でした。ほかの方は13秒0台を持っていて、何度も何度も12秒台にチャレンジしていたと思うんですが、私はそこまでに至っていなかった。12秒台が遠すぎたので、あまり壁を感じていなかったのかもしれません。

 昨シーズンはヨーロッパでインドアに何試合か出て、オーストラリアでも試合を挟んで国内初戦に臨みました。なので、あまり緊張せず、自分のやることがわかっているなか、集中してレースを走れたのがよかったのかなと思います」


撮影時の動きはファッションモデルのよう photo by Sannomiya Motofumi(TRIVAL)

── その後も木南記念で12秒91、セイコーゴールデングランプリで12秒89と、さらに記録を伸ばしています。初めて12秒台をマークした時とその後では、心境も違ったのではないでしょうか。

「違いましたね。心境というよりも、レース時の感覚がまったく違いました。織田記念の時は、ハードルが次々に襲いかかってきて、『脚をさばかないとハードルにぶつかって転んでしまう』って思いながら、必死で走っていました。

 その後のレースは、特に自己ベスト(12秒89)だったセイコーゴールデングランプリは、そこまで切羽詰まった感じはありませんでした。横で走っていた寺田選手にいい感じに波に乗せてもらって、走り終わったらベストだった、という感じでした」

── 12秒台の大台に入ったことで、目線の高さも変わりましたか。

「12秒台はもちろん目標にはしていたんですけど、そこまで意識していたわけではありません。実際にクリアした時はとてもうれしかったのですが、それ以上のものはありませんでした。高校2年、3年とインターハイを連覇した時も同じように感じましたが、周りの方々に喜んでもらったり、よかったねって言ってもらえたりしたことはうれしかったです」

【ここで陸上を辞めてしまったら負けてしまう】

 田中が一躍全国区に名を知らしめ、脚光を浴びたのは高校時代のことだ。もっとも、中学時代にも、幼き頃に始めたバレエと陸上競技を両立しつつ、全国大会に出場している。しかし、全日本中学校選手権は予選敗退、ジュニアオリンピックも決勝に進むことができなかった。

 高校に入るとその才能が一気に開花し、1年の秋に日本ユース選手権で2位に入ると、高校2年、3年ではインターハイで連覇を果たした。さらには、世界ユース選手権、U20世界選手権と国際舞台も経験。将来を嘱望されるアスリートになった。


試合ではアスリートの顔になる田中佑美選手 photo by ©Fujitsu

── そもそも、バレエをやっていながらも陸上の道に進んだのは、どういう理由からだったのでしょうか。

「実は確固とした意志があったわけではなく、成り行きに近いものがありました。中学時代に部活動に入らなければいけなかったのですが、陸上部は週に2日間のお休みがあったので、それならバレエと両立できると思ったからでした。かなり打算的に陸上競技を選びました(笑)。それで、中学3年間はバレエと陸上のどちらもやっていました。

 中学、高校と、本当に部活動が楽しかったです。中学から高校へは内部進学でしたが、中学の陸上部は部員がたくさんいたのに、高校になるとかなり人数が絞られます。私も、継続するべきか、とても悩みました。

 続けることにしたのは、同級生にライバルがいたからです。その子は陸上でも私生活でも見習うべきところが多くて、私は『その子みたいになりたい』とうっすら思っていました。その子が高校で陸上を続けると聞いて、ここで陸上を辞めてしまったら負けてしまうと思い、その子に負けたくなくて高校でも陸上を続けることにしました」

── 中学時代にも全国大会に出場していますが、高校に入って一気に飛躍を遂げます。楽しかった陸上競技に対して、心の持ちように変化があったのでしょうか。

「いや。高校でも追い詰められることなく陸上をしていました。それは、とても得難い経験だったなと、今でも思っています。

 たしかに中学の時にも全国大会に出場しましたが、当時の大阪府のハードルのレベルはとても高くて、全中(全日本中学校陸上競技選手権大会)に出場するのも珍しくはありませんでした。なので、誰に期待されるわけでもなく、記念出場してさらっと帰ってきました(笑)。

 高校も、強豪校だとインターハイに向けて死に物狂いでがんばると思うんですが、(関大一高は)部員が少なかったですし、インターハイに出場する選手も私以外にはいませんでした。インターハイは、ひとつのがんばるべき試合として捉えていました」

【東京五輪を目指す真摯な気持ちがなかった】

── とはいえ、高1の日本ユースで全国2位、そして、2年、3年とインターハイ連覇を果たしています。そこにターニングポイントがあったのでしょうか。

「中学、高校の戦績に関しては、ずっと"棚からぼた餅"気分でしたが......(笑)。ターニングポイントは、中学から高校でハードルの規格が変わって、高さが上がり、ハードルの間隔が広くなったことです。

 小さい頃から陸上をしている子たちは、ラダーやミニハードルなどで脚を素早く動かすトレーニングを早くからしていると思うんですが、私はそうではなかったので、素早く体を動かすことが苦手でした。なので、中学の規格の短いハードル間、低いハードルは私の体にあまり合っていませんでした。高校になって、自分に合った高さ、間隔になったので、それがよかったのかなと思います」

── 高校、大学と各カテゴリーで日本トップとなり、国際大会も経験しました。このあたりから上のステージを見るようになったのでしょうか。

「う〜ん。想像力に乏しいのか、自分が関わる範囲や自分の手が届く範囲しかわからない。というか、興味を持てないんです。

 コロナ禍の前、学生時代にも東京オリンピックを目指せるポジションにはいましたし、もちろんひとつの目標として努力はしていました。でも、あまり具体的ではなかったかもしれないですね。そこに真摯な気持ちがなかったと思います」

── 大きな目標を立ててそこに向かっていくというよりは、ひとつひとつをクリアして、その結果としてそこにたどり着ければいい、というお考えなのでしょうか。

「そうですね。学生時代は、もちろん日本選手権は自分のなかで大きな試合でしたが、それと同じくらい、チームで挑むインカレが大切でした。

 社会人になってからは周りに世界レベルの選手が増えましたし、海外遠征を通して『世界ってこんなところなんだ』っていうことがわかりました。それで、よりいっそう心を入れて、世界を目指すようになったと思います」

【出場できなくて悔しかったオレゴン世界選手権】

── 目標にしつつも届かなかった東京オリンピックは、どんな心境で見ていたのでしょうか。

「実際に自分がその舞台に立つビジョンがあまり浮かんでいなかったので、あまり悔しいとは思えなかったかもしれないですね。

 ただ、その翌年(2022年)のオレゴン世界選手権は、周りに出場する選手がいましたし、自分もポイント(※)さえ足りていれば出場できていた。なので、出場できなくて悔しかったです」

(※=オリンピックや世界選手権に出場するには、参加標準記録をクリアするか、各大会で獲得したポイントによるワールドランキングにおいてターゲットナンバー『出場人数枠』内に入らなければならない)

 世界大会への出場権を逃し、「悔しい」という感情が湧くようになったことこそ、田中の目線が高くなった証と言えるだろう。

 そして、既述したとおり、社会人3年目の昨シーズンに、ついにシニアでも世界大会のスタートラインに田中は立った。

(後編につづく)

◆田中佑美・後編>>日本人4人目の12秒台は通過点「ビビらずに勝負したい」

◆田中佑美「ファッション&メイクアップ」ビューティphoto&競技プレー写真>>


【profile】
田中佑美(たなか・ゆみ)
1998年12月15日生まれ、大阪府出身。中学から100mハードルを始め、中学3年の万博ナイター陸上競技大会ユースハードルで大会記録を更新。関西大学第一高ではインターハイを連覇し、第9回世界ユース選手権に日本代表として出場する。立命館大学では関西インカレ4連覇、2019年には日本インカレ優勝。2021年4月より富士通に所属し、2022年の日本選手権で3位、2023年世界選手権(ブダペスト)日本代表、2023年のアジア大会で銅メダルを獲得する。Instagram→Tanaka Yumi(@yu____den)

<スタッフ>
山﨑静香●スタイリスト、吉崎沙世子(io)●ヘア&メイク、動画撮影&制作●市川陽介、動画ディレクター●池田タツ(スポーツフォース)

<衣装クレジット>
ジャケット¥107800、ドレス¥36300/ボウルズ(ハイク)、ビーズキャミソール¥42900/ミュラー オブ ヨシオクボ、グローブ¥25300/ピーアールワントーキョー(ツヨシヤオ)、ピアス・靴/スタイリスト私物

著者:和田悟志●取材・文 text by Wada Satoshi