「日本国憲法の9条と13条はつながっている」と話す弁護士の伊藤真さん=いずれも東京都渋谷区で、木戸佑撮影



 小学校でも習う「日本国憲法」。でも、実は子どもも大人も憲法のことをよく知らないのでは―。5月3日の憲法記念日、そして5月5日のこどもの日を前に、憲法に詳しい弁護士・伊藤真さん(65)に、小学校高学年くらいの子どもにも分かるように「日本国憲法」についての解説をお願いしました。最終回の今回は、「13条の考え方は世界の平和とつながっている」と話す伊藤さんと、日本国憲法の大きな特徴でもある「平和主義」について考えます。

〈子どもと学ぶ日本国憲法〉
憲法と法律の違いって? 「誰が何のために守るルールか」が異なります
憲法で一番大切な条文は? 「子どもの生き方」とも深く関係します
③平和をうたう9条 世界の現実とのズレをどう受け止めればいいの?(このページ)


実は9条と13条はつながっています

―伊藤さんが最も大切な条文だと考える13条の「個人の尊重」。平和主義や戦争放棄をうたう9条も、子どもたちは大切だと教わります。

実は13条と9条はつながっています。13条の考え方を、個人レベルから国と国との関係に広げて共存していく道を考えていこうじゃないか、というのが「戦争放棄(ほうき)」を宣言する9条です。

日本国憲法 第9条
① 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求(ききゅう)し、国権(こっけん)の発動たる戦争と、武力による威嚇(いかく)又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

個人のレベルで、自分と考えが違う人はいるでしょうし、好き嫌いもあるでしょう。でも、そういう人を全く無視したり仲間はずれにしたり、いじめたりしても構いませんか? いや、そうではないですよね。どんな子だって、自分と違っていたとしても、困らせたり悲しませたり傷つけたりしていいわけではない。

それは、国同士も同じです。文化や歴史、宗教が異なり、価値観が共有できそうにない国もあるでしょう。それこそ、民主主義や人権という観点からすると、「ちょっと困った国だな」と日本人が思ってしまうような国もあるかもしれません。そうであったとしても、その国にはその国の個性があり、長い歴史の流れの中で今の姿があるわけです。

相手の国のこれまでの歩みを考えたときに、日本と同じような価値観でなければならないのかというと、そうではないでしょう。考え方が違う国であったとしても、「一切付き合いません」「そういう国はたたきつぶしてしまっていいんです」というのは違うでしょう、というのが9条の根本の考え方です。

個性を認めて「永久の隣人」として

―個人と個人についての13条と、国同士についての9条は、隣り合わせの関係なのですね。この13条と9条を結ぶつながりを意識している人はどれだけいるのでしょうか?

日本国憲法の第9条について弁護士の伊藤真さん(右)に聞く今川綾音・東京すくすく編集長


憲法の専門家でも、あまりそういう話はしないですね。9条は9条の、人権は人権の専門家が、個々の条文を扱うことが多いです。でも実は13条と9条の根本は同じなんですよね。自分と違う他者といかに共存したらよいのか、いかにうまく折り合いをつけていくのか。

今の政治の状況で、日本と必ずしも関係の良くない国もあります。日本の国民の中にも「あの国は嫌いだ」という人もいるかもしれません。でも、好き嫌いは別にして、その国の個性を認めて、同じ地球の「永久の隣人」としてうまくやっていくしかない。

この考え方の根底は、憲法前文にあります。「どの国にも平和を愛する人がいるはず」と信じ、日本の憲法なのに、あえて「全世界の国民が平和に生きる権利がある」と表現しています。

日本国憲法 前文

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢(けいたく)を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍(さんか)が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛(げんしゅく)な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅(しょうちょく)を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従(れいじゅう)、圧迫と偏狭(へんきょう)を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。


世界が9条の理想に追いついていない

―でも、日本が掲げる平和主義と現実の世界は大きく違うように見えます。

それは世界の現実が、まだ前文や9条が目指す理想に追いついていないからです。現実に合わせて理想を引き下げるのではなく、追いついていない国に「共存していこう」と伝え、働きかけていくことが必要です。対立する一方の側について応援するのではなく、「争いをやめましょう」と持ちかけていくことこそ、日本がやるべきことのはずです。

憲法は「こうあるべきだ」という理想を掲げるものです。その理想は、現実と食い違って当然です。例えば、刑法という法律があります。刑法には「泥棒はしてはいけない」と書いてありますが、世の中から泥棒はなくならない。それでも、泥棒のいない社会を目指していくべきですよね。少しずつ犯罪がなくなるように努力をしていくのであって、泥棒がなくならないからといって、理想を引き下げて「泥棒がいても構わない」とするのはおかしい。

9条も同じことです。9条の理想には、まだ日本も世界も到達していません。だからといって、9条の理想を引き下げて現実に合わせてしまったら、進むべき道しるべがなくなってしまいます。私は憲法の前文と9条は人類の宝だと思っています。13条の個人の尊重にも関わる話で、最大の人権侵害であり、最悪の地球環境破壊である戦争は、やはりなくす方に向かっていくのが、人類・地球人として進むべき道だと考えます。

この理想を決して取り下げるべきではない。スポーツや受験と同じで、理想に向かって努力することが大事です。理想を掲げて努力する、その過程があるからこそ、私たち人間は成長するし、進歩するのだと思います。

伊藤真(いとう・まこと)

1958年生まれ。弁護士。法律資格の受験指導校「伊藤塾」塾長。法学館憲法研究所所長。講演・執筆活動を通して日本国憲法の理念を伝える。憲法についての主な著書に「憲法の力」「けんぽうのえほん あなたこそたからもの」など。

取材を終えて

話し合いで解決するんだよ。家庭でも、教室でも、園庭でも、大人は子どもにそう伝えます。私も子ども3人に何百回、何千回と言い聞かせてきました。

でも、この2年、ニュースではロシアがウクライナを、昨秋からはイスラエルがガザを攻撃する様子が繰り返し流れています。小学生の息子に何度も聞かれました。「戦争はだめなんだよね?」

中学校の公民の授業で憲法について学び、定期テストに向けて前文や9条を唱えていた娘は昨年末、「日本がこれから開発する戦闘機を、他の国に輸出することになるかもしれない」というニュースに、心から驚いていました。「憲法に書いてあることと全然違うじゃん。なんで?」

子どもが納得がいくように説明してあげられないどころか、私自身も「なんで?」と思っているんですー。このインタビューの終わりに私がそう伝えると、伊藤さんは言いました。

「親だから子どもにちゃんと説明してあげられないといけない、分かっていなきゃいけない、と思う必要はないんですよ。むしろ、子どもと話す中で気付かされることって、たくさんある。『お母さん・お父さんも、分かんないんだよね。一緒に考えてみようよ、調べてみようよ』でいいと思うんですよ。この記事も、そうやって使ってもらえればうれしいですね」

私も、この記事がそんなふうに読んでもらえたらと願っています。

「個人の尊重をうたう13条と、平和主義を掲げる9条はセットです。だから、9条を変えると私たちの生活にも影響が出てくるのではないか」。伊藤さんは、そう心配しています。「力で物ごとを解決するような社会」ではなく、「話し合いで解決する社会」に、子どもたちには生きてほしいと私は思います。あなたはどうですか?