2021年に開催された東京パラリンピックのNHK障害者キャスター・リポーターを務めた千葉絵里菜さん。脳性まひのため車いすで生活する絵里菜さんは、2024年2月に女の子を出産しママになりました。現在は北海道帯広市で、夫と生後3カ月の娘と暮らしています。
絵里菜さんに、夫との出会いや妊娠中のことついて話を聞きました。全3回のインタビューの2回目です。

一緒にいろいろな場所に行ってみたい、と思える人との出会い


絵里菜さんが夫と出会ったのは、東京パラリンピックのNHK放送キャスター・リポーターの仕事のために東京で暮らし始めた2017年。SNSで知り合い、初めてデートしたときから「この人とずっと関係を続けていきたい」と思ったそうです。

「初デートは江の島の海に行きました。でもあのあたりは階段が多くてエスカレーターがなく、車いすで行けない場所が多かったんです。そうしたら彼は、私を抱っこしたりおんぶしたりして、階段の上までも連れて行ってくれました。私は普段は行くことができない場所があったらあきらめるしかないけれど、この人とだったらあきらめなくて済むかもしれない、彼と一緒にいろんな場所に行ってみたいな、と思いました。

それに、彼と私はチャレンジャーなところが共通点な気がしたんです。彼はヒッチハイクで旅をしたり、英語がほとんど話せないにもかかわらずロンドンへ1カ月間20万円だけ持ってバックパック旅行に出かけたりする人。
私も、車いすカーリングに挑戦したり、NHKのリポーターに応募してみたり、可能性に挑戦してきた経験があります。私たち2人はどこか似ているんじゃないか、と思いました」(絵里菜さん)

その後間もなく2人はおつき合いを始め、2018年からは一緒に暮らすようになります。

「彼と同棲中も、私はヘルパーさんの介助をお願いしていたんですけど、一緒に暮らすとどうしても彼に甘えるようになってしまったんです。そうしたら、彼は私のことを女性としてではなく、ただお世話をする子どものように感じてしまったらしく、2年ほどつき合った2020年に1度お別れすることになりました。

彼と少し離れてみて、やっぱり彼以外の人は考えられないという思いが強くなりました。そこで彼に『結婚もしなくていいし、子どもももたなくてもいいから、あなたと一緒にいたい』と伝えて、2021年1月におつき合いを再開しました」(絵里菜さん)

けんかのあとのプロポーズ?


「結婚しなくていい」「子どももいらない」とは言ったものの、実は絵里菜さんは以前からママになることにあこがれを持っていました。

「10歳上の姉や親友の出産がきっかけで、19歳のころから『いつかはママになりたい』と思っていたんです。彼と再びおつき合いして『やっぱり彼と結婚したいな』と思うようになり、それとなく『結婚したい』雰囲気をアピールしていました。そんな中、2021年の9月でNHKのリポーターの仕事の任期が終わったあとに、彼との旅行を計画しました。この旅行中にプロポーズしてもらいたいな〜と思いながら、いつチャンスが来てもいいように、普段使わない高級スキンケアを使って、普段つけないコンタクトもつけて、おしゃれしていました。でも結局、旅行中にはプロポーズされませんでした(笑)

私はちょっとふてくされたような気持ちで、旅行から戻って飼っている犬の散歩中に彼に『プロポーズしてくれると思ったのに』と話したんです。そうしたら彼もムッとしてけんかになってしまいました。

そのけんかの数時間後、彼が私に箱型のオルゴールを差し出しました。旅行のときに立ち寄ったオルゴール館で彼が作ったものです。ふたを開けたら、そこにはキラキラした指輪が。彼は彼なりに、私にプロポーズするタイミングを考えてくれていたようでした。それなのに私に急かされて、ムッとしてしまったのだと。そんなエピソードも私たちらしいかもしれませんが、彼のおかげで私が密かに願っていた『誕生日に入籍をする夢』がかなうこととなりました」(絵里菜さん)

まさかの子宮外妊娠で、卵管切除手術をすることに


絵里菜さんは2021年11月3日、26歳の誕生日に入籍。2022年には夫と一緒に、絵里菜さんの実家のある帯広に引っ越します。かつて「結婚もしなくていい、子どもももたなくていい」と言ったものの、晴れて大好きな人と結婚をした絵里菜さん。ずっとあこがれていた「ママになること」についても、夫と一緒に前向きに考えるように。

「『人間は欲深い生き物で・・・(笑)』と切り出し、『子どもがほしくなっちゃいました』と夫に伝えたんです。そうしたら、『そうだろうね』って(笑)。彼は本当によく私のことをわかってくれている人です。

夫も子どもがいる生活にあこがれがあったので、『いつか授かれたらいいね』と話すようになりました。私はもともと生理不順だったので、自分の体を整えるために食生活を見直したりして、妊娠へ向けて健康面で準備をするようになりました。

結婚してから1年3カ月ほどたった、2023年2月。生理がなかなか来ないなぁと思い、でも茶褐色のおりものが出てたため、通っていた不妊治療専門クリニックで診てもらいました。すると子宮外妊娠が判明。すぐに総合病院に搬送されて、左の卵管切除手術を受けました。

このときの手術で、腹膜と腸などがくっついてしまっている“癒着”があることがわかりました。赤ちゃんのときに胆道閉鎖症という病気で肝移植手術をしたことの影響だそうです」(絵里菜さん)

子宮外妊娠とわかり、片方の卵管を切除することとなり「赤ちゃんをなくしてしまった」とショックを受けた絵里菜さんですが、その数カ月後にまたタイミング法による妊活にトライします。

「5月ごろにまた生理が来なくなり、子宮外妊娠のときと同じような茶褐色のおりものが見られました。もしかしたら今度は右の卵管も取らなきゃいけなくなるのかな・・・と、いろんな心配で頭がいっぱいでした。東京出張中だったんですが、心配のあまり羽田空港で妊娠検査薬を買ってチェックすると、結果は陽性。ドキドキしながら飛行機に乗って、降りてすぐに空港から病院へ直行しました。そこで見てもらった結果、妊娠8週です、と言われ、子宮外妊娠ではないとわかりひと安心しました。

だけど、気持ち的にはうれしさ半分、心配半分でした。子宮外妊娠で一度は失ってしまった赤ちゃんがまた戻ってきてくれたかもしれないのに、もし流産して、また失うことになったらどうしよう、とおびえていました。しばらくは何が起こるかわからない、と不安な気持ちが大きかったです。でも夫に妊娠を伝えたら、すごくうれしそうにして、喜んでくれました」(絵里菜さん)

自分を嫌いになってしまい、泣いてばかりだった妊娠初期


脳性まひの影響で手や足の不随意運動がある絵里菜さんは、それを抑えるために普段から筋弛緩剤と入眠剤などの薬を服用しています。妊娠初期には、赤ちゃんへの影響を考えてこれらの薬の服用を中止する必要がありました。しかしそのために、心身ともにつらい状況に。

「妊娠初期に薬の服用をやめたので、自分の身体を制御できなくなりました。水を飲む、ごはんを食べる、歯磨きをするなど、今まで自分でできていたちょっとしたことがすべてできなくなり、ヘルパーさんの全介助が必要になりました。『なんで自分はこんな障害があるのか』と自分を嫌いになってしまって、今振り返れば、このときは今までの人生でいちばんつらかったかもしれません」(絵里菜さん)

絵里菜さんは、妊娠する前は「赤ちゃんを産める、そして赤ちゃんを育てられる」と考えていたはずが、体の制御ができなくなったことで「こんな自分が子どもを育てられるのか?」とも考えてしまうようになりました。

「妊娠初期に、TikTokで脳性まひの女性が子どもを産む権利を主張している動画を見ました。そこで、見なければいいのについコメント欄を見てしまったんです。『脳性まひの人が子どもを産むなんて・・・』とか、『子どもは親を選ぶことはできない』とか、『親のエゴだ』とか・・・いろんなネガティブなコメントを目にしてしまいました。自分自身の心が不安定だったところに、そんなコメントを見て影響されてしまって。買い物に出かけた先ですれ違う人や、いつも介助をしてくれるヘルパーさん、みんなが自分を『親になるべきじゃない』と思っているんじゃないか、と被害妄想にとりつかれ、いつも泣いていました」(絵里菜さん)

そんな苦しい思いを抱えながらもなんとか赤ちゃんと自分とを守り、妊娠5カ月ごろからは筋弛緩剤と入眠剤の服用が再開となりました。絵里菜さんが初めての胎動を感じたのもそのころでした。

「不安が続いてはいたけれど、妊娠5カ月ごろから少しずつ気持ちが落ち着いてきたかもしれません。初めての胎動は、夫と2人でベッドで横になっているときに、胃が動くような感じで気がつきました。『これが胎動か!』とうれしかったです。筋弛緩剤を飲んでいるから赤ちゃんは動かないのかな?と思っていたけど、夜になったらおなかを蹴っ飛ばしてくるし、パンチしてくるしで、とっても活発な子のようでした。元気に生きていてくれることに幸せを感じました」(絵里菜さん)

障害者も子どもをもつ当然の権利がある

絵里菜さんに「障害がある人の妊娠・出産について知ってほしいことは?」と聞きました。すると「障害者だって1人の人間で、子どもを育てるという当たり前の権利があることを社会に広く知ってほしい」という言葉が返ってきました。

「私と夫は、2人でいろんなことを考えて赤ちゃんを産む決断をしました。私は自分の障害についても自覚しているから、子育てがすべてできるわけではないこともわかっています。今までもいろんなことを工夫して、自分ができることを全力でやってきたのだから、子育てもみんなで工夫してできるはず、と覚悟して準備をしました。赤ちゃんを育てることについても、専門家に相談し、環境を整えることや、ヘルパーの支援制度についてもきちんと準備しています。

先ほど言ったTikTokのコメント欄で『障害者が子どもをもつのは親のエゴ』というコメントを見て、とても悲しい気持ちになりました。だけど、健常者も障害者も関係なく、子どもをもつかどうかを決めるのは親になる人自身のはず。障害者だけが『エゴ』と言われるのはおかしいと思いました。

障害者の子育ては、多くの人にとって想像しにくいかもしれません。私自身も自分が子どもを育てている姿を想像できませんでした。最近では、いろんな車いすママがSNSやブログなどで発信をする姿を見かけるようになりました。だれにとっても、子どもをもつ権利、もたない権利があって、いろんな生き方の選択肢があることを、みなさんに知ってほしいと思っています」(絵里菜さん)

お話・写真提供/千葉絵里菜さん 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部

自分の障害について受け入れているつもりでも、ときに難しくなることも。絵里菜さんは「障害受容は永遠の課題」と言います。
次回は、出産のことや子育ての様子についてです。

「 #たまひよ家族を考える 」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年5月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。