無敗のダービー馬となったフサイチコンコルド
無敗のダービー馬となったフサイチコンコルド

【記者が振り返る懐かしのベストレース】フサイチコンコルドが競走馬として走った期間はわずか1年足らず。にもかかわらず、日本競馬の歴史に名を残す名馬となり得たのは、ダービーの激走があったからにほかならない。

 96年ダービー。クラシックの主役とされながら、熱発で皐月賞を回避したダンスインザダークが支持を集めていた。鞍上・武豊がついにダービー初制覇――。ファンの興味もそこにあった。

 しかし、ファンの期待、名手の夢がフサイチコンコルドの“音速の末脚”によって打ち砕かれてしまう。好位追走から直線早めに抜け出したダンスは栄光のゴールまであと一歩…というところで、ワンテンポ仕掛けを遅らせたフサイチコンコルドの末脚に屈した。計ったようなクビ差の差し切りだった。

 デビュー3戦目でのダービー制覇。当時は「奇跡の馬」と評されたが、体質の弱かった同馬を世代の頂点に立たせた陣営の努力があり「奇跡」という表現は失礼だろう。前哨戦のプリンシパルSも熱発で回避。ダービー当週には深夜の輸送を選択し、なるべく馬に負担をかけないように最善の策を講じた。それでも到着後に熱発し、通常なら回避するところ。しかし、定年間近の名伯楽・小林稔師は「ダービーだからこそ」と出走にゴーサインを出し、最高の結末へと導いた。

 陣営の英断がなかったら、名伯楽がダービータイトルを手にすることはなかっただろう。その後、種牡馬になったフサイチコンコルド自身にとっても“未来”が閉ざされていたかもしれない。出走までの苦難から衝撃的な勝利まで、これほどドラマチックなダービーはほかにはない。(2007年5月23日付東京スポーツ掲載)

著者:東スポ競馬編集部