元日に能登半島を襲った大地震。現地は5カ月経った今でも、断水や避難所生活が続くなど、未だに日常生活のままならない状況が続いている。都筑区内で酒屋を営む内野敦さんは、ゴールデンウイーク(GW)の休みを利用し、災害ボランティアとして現地に赴いた。内野さんに被災地の現状について話を聞いた。

進まない復興

GW前半の4月28日と29日、内野さんは妻・春美さんと中学2年の娘・聖火さんと家族3人で珠洲市へ向かった。同市は日本海沿岸部の街で、津波の被害もあった場所。土砂で汚れたままの家屋も多く「自然災害が重なった際の恐ろしさを改めて感じた」という。

2日間の滞在で、がれきの撤去、家財道具の運び出しなどを行った。多くの家屋で使用されていた「能登瓦」は、「一枚が40cm四方と大きく、重さも約4kgあるため、作業は大変だった」と振り返る。

GW後半の5月5日、6日は輪島市と珠洲市を訪れ、避難所となっている中学校と市役所近くの広場で、中にあんこを挟んだ「都筑まもる君焼き」を作り、800個提供した。避難所での食事は常温のものが多く、「焼きたてのまもる君焼きは避難所の方に大変喜ばれた」という。

内野さんは2月にも輪島市にボランティアへ訪れている。当時は車中泊で過ごすなど不便を強いられることもあった。今回は旅館やスーパーマーケット、コンビニなどが営業を再開しており、人々の生活は元に戻りつつあったが、それでもがれきの撤去などに関しては「2月と比べ、ほとんど進んでいないように感じた」と話す。

3つの原因

復興が進まない原因について内野さんは3つ挙げる。

1つは、ボランティアの不足。内野さんは2011年の東日本大震災以降、災害ボランティアとして全国の被災地を訪れているが、「東日本や熊本のときと比べて人数がかなり少ない」と話す。「発災当初はボランティアの自粛を呼び掛ける報道もあったが、現在は各市で募集している。今からでも遅くない。『ボランティアに参加したい』、『興味がある』方はぜひ、『災害ボランティア』で検索を」と呼びかける。

内野さんがボランティアを行う際に心掛けているのは「被災者の話をたくさん聞くこと」。「次にいつ地震が来るか分からない恐怖を少しでも和らげてあげたい」とコミュニケーションを大事にしている。また自己完結も必要だとし、「『避難食をいただかない』『水、食料は持参する』『お礼は受け取らない』など最低限の心掛けを持ってボランティアに参加して欲しい」と話している。

2つ目は、現在も続く交通網のマヒ。能登半島地震では、現地へ向かう道路の多くが寸断されており、場所によっては未だに不便を強いられる状況が続いているという。

3つ目は、報道の減少。災害から5カ月が経過し、「明らかに報道が減っている」と危機感を募らせる内野さん。「東日本大震災の時は、同時期でも連日被災地の状況が報道されていた。適切な支援を呼び掛けるため、被災地で不足しているものや避難所の様子などを知らせる必要がある」と警鐘を鳴らす。

過去の後悔

内野さんがボランティア活動を始めたきっかけは、1995年に起きた阪神淡路大震災。当時、仕事を優先して現地に行かなかったことを「後悔した」という。11年の東日本大震災では発生直後から現場へ向かった。内野さんは「横浜もいつ被災するかわからない」とし、「今後もできる限り活動を続けていきたい」と語った。