なんというか、好きで応援して、自分でお金を払ってるなら、好きなようにしたらいいとも言える。「インフルエンサー」と「客」として結束している人々に対して、外から何かモノ申すのは、きわめて困難なことだ。しかし、インフルエンサーにのめりこむZ世代にどうしても言っておくべきことがある。

こんな論理は決して「リアル」では通用しない、ということだ。

現実世界の「アンチ─アンチ」

たとえば、職場で「あなた」を叱ってくる上司がいるとする。叱る理由も色々あるだろう。私怨とか、機嫌が悪いとか、理不尽な理由もあるかもしれない。インフルエンサー的世界観に則るなら、この上司はアンチである。アンチ─アンチして、断固として拒絶せねばならない。

でも、世の中そんな人ばっかりじゃない。別に、上司はあなたのアンチではない。ツイッターで他人を攻撃するような人は、社会のごくごく一部、よりもっと少ない超特殊事例だ。あなたに苦言を呈してくる人は、ふつうはアンチではない。

にもかかわらず、YouTuberに倫理観を教わったZ世代は、自分を傷つける人はぜんぶアンチだと思っている。で、それにはちゃんとアンチ─アンチしないといけない。だって、大事な大事な推しは、そうしているんだもん。

さすがに大げさだと感じるかもしれない。しかし実際に教育現場では、似たようなことが起きている。たとえば、授業中に私語がうるさいという苦情を受けたので学生を注意したところ、注意された側の学生から、逆にこういうクレームが入ったのだ。

「他人を気にしている暇があったら自分のことをすればいいのに。出る杭は打たれる」

「アンチが何か言ってたみたいですけど、でも、私は自分の味方が一人でもいれば、アンチは気にしません」。

なぜこんな物言いをするのか。「推し」がそう言っていたからに違いない。