もう二度と雪国・越前に帰らなくていい、そして都が目前に迫っている。そんな気持ちが、このような歌を詠ませたのでしょうか。

また、造られてから長い年月が経つ卒塔婆(木造供養塔)が倒れ、道を行き来する人々に踏みつけられる光景を見た式部は「心あてにあなかたじけな苔むせる仏の御顔そとは見えねど」と詠みます。

(推測ではあるが、あれが仏様のお顔にあたる部分だと思うと、もったいない。人が踏むではないか。でも、苔むした卒塔婆を見ると、とても仏様だとはわからないが)

道に倒れている卒塔婆にも注目し、思いやるかのような歌を詠む式部。

越前時代は頑なになり、まるで氷の世界の中にいるように、心が閉ざされていた式部でしたが、ここに来て、雪解け、春が訪れたようです。

50歳目前の宣孝と20代後半の式部

その式部の心を解かした人が、夫となる藤原宣孝でした。宣孝は50歳目前、式部は20代後半。年の差夫婦の結婚生活はどうなるのでしょうか?

宣孝の歌には「け近くて誰も心は見えにけむ ことば距てぬ契りともがな」というものがあります。

「こうしてお近付きになって、私の想いはわかってくださったのでしょうから、この先は隠し立てをしないで、話し合える契りを結んでほしいのです」という意味です。

こうして式部が都の邸(実家)に戻ると、宣孝から歌と文が送られてきたのでした。

光る君へ 大河ドラマ 紫式部 藤原宣孝 紫式部の邸宅跡とされる京都・廬山寺(写真: ogurisu_Q / PIXTA)

式部に対して、愛おしいという想いや、前掲の歌のようなこと(この先は隠し立てをしないで、話し合える契りを結んでほしい)を表明したのでしょう。

それに対し、式部は「へだてじと習ひしほどに夏衣 薄き心をまづ知られぬる」と返します。

(私があなたを疎んじたことはありませんが、逆にその間にあなたの薄情さがわかりました)というような意味です。

ここで式部が触れている、宣孝の薄情さが具体的には何を指すのかわかりませんが、もしかしたら、近江守の娘と宣孝が噂になっていることをまだ言っているのかもしれません(宣孝には、近江守の娘に言い寄っているという噂があったのでした)。