京都産業大学の経済学部に進学し、「ふつうに大学生活を送った」と語るKenjiさんは、簿記の教室にお金を払って通うなど、大学で学問に打ち込んだこともあり、難関の筆記試験を突破して、地域別採用のあった大手通信会社に就職します。

ストレートで大学に進学し、ストレートで卒業して大手企業に勤務。何も浪人と関係のない人生を送ってきたKenjiさんですが、ここで彼は22歳にして初めて、“浪人生活”を始める決意をします。その理由は「今のままではリストラの対象になると思ったから」と答えてくれました。

リストラの対象に怯え、公務員試験受験を決意

「私が入った会社は、運転免許が必須でした。そのため、会社がお金を出して、教習所に通わせてくれたのです。でも、私はどんくさい人間なのでぶつけたり、脱輪したり、のろのろ運転しかできなかったりして……。なんとか免許は取れたのですが、会社の中で『こいつに運転させたらダメだ』という空気になったのです。私の会社はコネで入ってる人がいっぱいいたので、コネもないし、運転もできない私は、リストラ候補になる可能性が高いと思い、危機感を抱きました」

そこで、目をつけたのが地方公務員試験でした。当時、Kenjiさんが受験しようと考えた「地方上級」の都道府県庁は26〜27歳まで受験することができたので、働きながら受けようと決意しました。

「9時から17時で仕事をして、家に帰ってきてから、実務教育出版の通信教育を使って、勉強していました。父・母もいたので、掃除・洗濯をしてもらったり、ご飯を作ってくれたりした環境がありがたかったですね。残業した日は勉強できなかったですが、平日は多いときは5時間、休みの日は10時間くらいの勉強をしていました」

当時の地方上級の試験は、センター試験に近い知識分野・中学入試に近い知能試験からなる一般教養試験と、憲法・民法・行政法などが出される専門試験から構成されていました。

当時、「教養試験は4割の壁がある」と言われていたようですが、Kenjiさんからしたら、3割を確保することさえ、容易ではなかったそうです。

「教養試験は国公立の対策をしている人が有利になるように作られているので、1浪目では3割に到達するのがやっとでした。これを伸ばすのはなかなか難しいと思ったので、私はなんとしても、専門試験の出来でカバーしなければならないと感じましたね」