今年の大河ドラマ『光る君へ』は、紫式部が主人公。主役を吉高由里子さんが務めています。今回は道長や娘の彰子、その子供の敦成親王(後の後一条天皇)が呪われた、ある事件を紹介します。

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1008年は、藤原道長にとって、人生でいちばん幸せだった年かもしれません。その年の9月に娘の彰子が、待望の一条天皇の皇子(敦成親王。後の後一条天皇)を出産したからです。

しかし、翌年早々、道長を震え上がらせる事件が起こります。中宮・彰子と生まれたばかりの敦成親王、そして何と道長までをも呪う厭符(呪いのお札)が発見されたのです。

誰が道長や中宮、皇子を呪ったのか

厭符は内裏で見つかったと言われています。道長の邸を訪れた藤原行成は、その厭符を見せられたようです。一体、誰が道長たちを呪ったのでしょうか。

呪ったと疑われた僧侶や陰陽師らは拷問され、犯人探しが始まります。その結果、源為文・源方理夫妻・高階光子(佐伯公行の妻)が犯人として浮かび上がってきました。彼・彼女らが僧侶の円能と話し合い、呪ったというのです。

彼らの関係性を整理すると、源方理の妻は、源為文の娘でした。そして、高階光子の父は高階成忠、姉には高階貴子がいました。

重要な点は、この貴子の夫が、藤原道隆(道長の兄)だったことです。貴子は、道隆の子女(伊周・隆家・定子)を産みました。