そんな地元、和倉温泉を襲った今回の大震災。絵里香さんは震災直後に和倉を訪れ、言葉を失った。資金的にも継承の面でも、元の姿を取り戻す道は険しい。胸が締め付けられた。加賀屋を含め22軒ある和倉温泉の旅館のほとんどが、震災から3カ月が過ぎた現在も、営業再開のめどが立っていない。

千年に一度ともいわれる大規模地震の1年以上も前に、あわらに拠点を移していた意味を、与えられた役割を、考えないわけにはいかない。和倉温泉全体の復興に小田家は必要不可欠な存在になるだろう。だが、あわらにいる自分にしか負えない役目がきっとある、そう考えるようになった。

「私たちがしっかりしなければ」

被災地から戻って、絵里香さんは気持ちを前に押し出すようになった。

「私たちまで一緒に落ち込んでもどうにもならない。商売ができるだけでありがたいことなんだって、私たちが能登の応援県にならなきゃいけないって。私がいちばん年下なのに、あわらの女将さんたちの前で、そんなこと言ってしまったのです」

旅館同士で連携する「女将の会」

1人の存在が要となって、互いのためにできること、やってみたいと思えること、関わりたいと思う仲間が増えていく。

あわら温泉は旅館同士で連携する「女将の会」の結束が強い。後継者のいる旅館も多く、全国の中でも希望のある温泉地だと絵里香さんは自負している。

冒頭の、震災の講話会が開かれたように、これから復興に向かう和倉温泉の人々の経験やおもてなしの実践を生かし、学び合う場、助け合える場にしていけるのではないか、そんな期待が湧く。