「サードプレイス」という概念がある。「サードプレイスとは人々が自宅(ファーストプレイス)や仕事の場所(セカンドプレイス)以外で、社会的なつながりを築き、リラックスや交流を楽しむ場を指します。」(前掲書、173頁)。

コーヒーショップや図書館や公園がそれに当たる。ミドル期シングルは「ツーリングに出かける先、コンサート会場やスポーツ観戦の場所などの地域コミュニティには存在しない『イベント』的サードプレイス」を挙げているが、それは「“その場を楽しむ”ということに限定されており、必ずしも、何かあったときに支え合う、家族の代替になるものではなさそう」である(前掲書、173頁)。

ミドル期シングルは表面的には活発な社会的関係を形成しているように見えても、自分が高齢期になったときに「生活に不安のない人」は全体の3.7%しかいない(前掲書、176頁)。「病気になったときに身の回りの世話をしてくれる人がいない、という不安は64%にも上り」、「自分が『孤独死』する不安を多少でも持っている人は半数に上ります。」(前掲書、176頁)。「病気になったときや介護が必要になった場合に誰を頼ればよいのか、高齢期になってお金は足りるのだろうか、住むところはあるのだろうか、そして災害時に誰が助けてくれるのか」(前掲書、176頁)という不安を多くのミドル期シングルは抱いている。

特に災害の場合、地域コミュニティへの参与の有無は決定的である。避難所に知り合いが一人もいない状態で罹災者になるストレスはかなりシリアスであるだろう。

カギになるのは「ゆるいつながり」

本書がそれゆえミドル期シングルたちに地域へのゆるいコミットメントを勧奨している。図書館や公園で会って挨拶する程度の関係でもいい。それだって、地域の一員であるという意識の培地にはなる。

地域活動の核といえば、学校と病院である。学校と病院を「地域に開く」という試みはすでに行われている。子どもたちの教育活動に参加する、高齢者の支援者となるといった取り組みは「世代を超えて地域の結びつきを深めることに結びつくかもしれません。」(前掲書、194頁)。

学校と病院は『社会的共通資本』(宇沢弘文)の重要な柱である。これを安定的に維持することは地域共同体にとって死活的に重要であるのだから、学校と病院を「サードプレイス」にできた人は、かなり安定的な仕方で地域コミュニティに参与できるだろう。この見通しには私も同意する。

いずれにせよ、カギになるのは「ゆるい」ということである。都市生活者は「強い絆」を嫌う。何となく、ふらっと立ち寄った場所で、気が向いたら参加し、気が向かなかったら参加しないという程度の「ゆるいつながり」を求める(前掲書、196頁)。