3月18日(月)朝4時45分から放送した「ザ・ドキュメンタリー 途絶えぬ記憶」。

【無料配信】「途絶えぬ記憶」熊谷9人死傷事故 遺族が加害者に伝えた16年後の思い【ザ・ドキュメンタリー】

「心情等伝達制度」とは、制度利用を希望した犯罪被害者などから、被害に関する心情、その方の置かれている状況、加害者の生活や行動に関する意見を聴取した上で、加害者を別の機会に呼び出して、聴取した心情などを伝達するものである――(警視庁ホームページより)。

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埼玉県に住む小沢樹里さん(関東交通犯罪遺族の会/あいの会代表)。
2008年、埼玉・熊谷市で泥酔状態のドライバーの車に小沢さんの義理の家族の車が正面衝突され、夫・克則さんの両親が死亡。義理の弟と妹も重傷を負った。
樹里さんと克則さんの幸せな結婚式から約1年後の出来事で、事故を機に樹里さん家族の人生は一変。悲惨な事故から16年…被害者遺族が刑務所にいる加害者に“思い”を伝えられる「心情等伝達制度」が始まった。

刑期を迎える加害者の仮出所が迫る中、樹里さんは地方の刑務所へと向かう――。
樹里さんは加害者にどんなメッセージを送ったのか。出所した加害者から樹里さんに送られた手紙の内容とは…。

「テレ東プラス」では、番組の一部を紹介し、石津早也果ディレクター(報道局 ニュースセンター 記者)を取材。企画を立ち上げた経緯から、取材に立ちはだかる困難まで…話を聞いた。



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埼玉県に住む小沢樹里さんは、16年前、義理の両親を交通事故で失った。

「本当に優しい父と母で、2人の息子さんであれば、私もこういう風に幸せになれるんじゃないかなと思った」(樹里さん 以下同)。

しかし、結婚式からわずか1年後、幸せな生活が一変する。

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2008年2月17日、埼玉・熊谷市。家族旅行から帰る小沢家の車の前に、対向車が飛び出してきた。時速100キロ以上で暴走し、カーブを曲がりきれずにセンターラインを大きく越え、正面衝突したのだ。
この事故で、樹里さんの義理の父母、義政さん(当時56歳)と雅江さん(当時56歳)が死亡。義理の弟と妹も重傷を負った。
事故を起こしたドライバーは、直前にビール1杯とウーロンハイ7杯を飲んで泥酔。同乗者2人と酒を提供した飲食店の店主も逮捕された。

「(事故に遭った車のナンバープレートは)本当にぐちゃぐちゃで、あたった衝撃が伝わる。生臭さというか、独特な匂いを覚えている」。

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23歳の時に息子の柊羽くんを出産した樹里さんは、前夫と離婚。一人で子育てに奔走する樹里さんを克則さんが受け止め、再婚した。
克則さんの父・義政さんと母・雅江さんも樹里さんと柊羽くんを温かく迎え入れてくれたという。母子家庭で育った樹里さんにとっては、やっとつかんだ大切な家族の時間だった。
裁判で検察は、飲酒運転をしたドライバーに対して、危険運転致死傷罪で最長の懲役20年を求刑。しかし判決では、賠償金の支払いが見込まれるとして、懲役16年の実刑が下された。

「全然納得していない。悔しいとしか今は言いようがない」と克則さん。

全ての裁判が終わった時、8年の月日が流れていた。

「裁判だけで子どもの成長があっという間に過ぎてしまった。(柊羽の)着ている服もつんつるてんで、気付くのがどうしても遅くなってしまって…」。

裁判に追われ、息子との大切な時間を失った樹里さん。事故の時、5歳だった柊羽くんは 大学生になり、一人暮らしを始めた。

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「20歳になっていろんなことがわかってきた。お酒を飲む時も車の免許を取る時も、『交通事故は絶対にしちゃ駄目だよ』と言うと、『お母さん、うちの家族がどんなつらい思いしたかわかってるんだから、絶対にやるわけないじゃん』と言ってくれる。
でも(言葉の裏を返すと)息子もつらかったんだなと。とんでもないことを親として我慢させてしまった」。

遺族が抱える、さまざまな悩みや苦しみは計り知れない。



去年10月。法務省の施設で、ある研修が行われていた。各地の刑務所で働く刑務官、約80人が参加。学んでいたのは、新たに始まる「心情等伝達制度」だ。被害者や遺族の思いを刑務官が聞き取り、服役中の加害者に伝えるというもので、加害者の更生につなげるのが狙いだ。

刑務官役と加害者役に別れて、実際の伝達シーンを想定したロールプレイングが行われたが、これまでにない試みに刑務官からは戸惑いの声も。

ある刑務官は、「彼らの心にちゃんと響くように伝えられるのか、ちゃんと聞いてくれるかどうか…不安なところはある」と話す。

今年1月。 樹里さんは、始まったばかりの心情等伝達制度を利用するために地方の刑務所を訪れた。テレビ東京は、メディアで初めてその現場を取材することに。樹里さんは、刑務官を前に、加害者への思いを語る――。

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番組は、樹里さんのもとに送られた「心情伝達の結果をまとめた通知書」の内容や加害者の反応を取材。さらに、仮釈放された加害者から樹里さんに直接送られた手紙を開封する現場に立ち会った。そこに書かれていた遺族との約束に注目する。

そして迎えた家族の命日…事故現場で起きたこととは? 「途絶えぬ記憶」…その言葉に託された加害者の思いとは…。

「樹里さんの涙を見た時、何年経っても被害者側の心の傷は癒えない…そう感じました」(石津ディレクター)


「心情等伝達制度は、被害者遺族の要望を受けてできた仕組みであり、そこには、加害者に“自分たちの思いを知ってほしい”“更生できているのか知りたい”という願いが込められています。新たに始まった制度を通して、遺族と加害者の間にどんなやりとりが生まれるのか、その先に何があるのか…取材したいと思いました。
放送まで約2カ月しかない中、加害者への心情伝達まで行われるのか、被害者側へのフィードバックは返ってくるのか、先がまったく見えない取材とあり、一体どんな番組になっていくのか、この2カ月は、毎日緊張の中にいたような気がします。

取材する中で樹里さんの涙を見た時、改めて“何年経っても被害者側の心の傷は癒えない”ことを感じました。変わってしまった生活、取り戻せない時間…。樹里さんは裁判のために8年も奔走し、家族や息子さんとの大切な時間を失ってしまったのです。
取材の過程で、息子の柊羽くんとのツーショット写真がないかと尋ねたところ、樹里さんが『裁判に追われていたので、小さい頃のツーショットが本当にない。』と話していたのも印象的でした。
番組の冒頭、樹里さんが見せてくれたショッキングな証拠写真が映し出されますが、何より事故の悲惨さを物語っている写真だと思ったので、そのまま撮影させていただきました。このドキュメンタリーを通して、今後少しでも、悲惨な交通犯罪が減ることを心から願っています」。