大瀧詠一さん(1948〜2013)の音楽というと、カラフルなアルバムジャケットが印象的なこともあり、「ビーチ」や「夏」、「リゾート」といったイメージが強い。しかし、よく知られているように彼が生まれたのは北国、岩手県。

 その故郷では、代表曲の一つ「君は天然色」が駅メロとして使用されているという。

 全国各地の「駅メロ」を訪ねて回り、18駅のエピソードをまとめた『駅メロものがたり』(藤澤志穂子著・交通新聞社新書)から、この曲をめぐるドラマを見てみよう。(以下は、同書をもとに再構成しました)

鈍色の空の下で、モノクロの世界がカラーに切り替わるメロディ

 岩手県奥州市は、大リーグ・ドジャースで活躍する大谷翔平選手の出身地として知られるが、観光客がわざわざ足を運ぶ観光地とは言い難い。東北新幹線が停車するJR水沢江刺(みずさわえさし)駅で流れるのは「君は天然色」、大瀧詠一さんが1981年に発表した大ヒット曲だ。

 私が訪ねたのは2022年の12月30日、奇しくも大瀧さんの命日であった。みぞれの舞う鈍色の空の下、乗降客もまばらなホームで突然、鮮やかに鳴り響くメロディは、松本隆さんが書いた歌詞のように、モノクロの世界がパッとカラーに切り替わるような印象がある。奥州市は大瀧さんが生まれ、学齢期までを過ごした街だった。

 この街では、ご当地の有名人として「大谷翔平か大瀧詠一か」がよく話題に上る。「時の人」は大谷選手だろうか。奥州市は、2006年に旧水沢市、旧江刺市など5市町村が合併して誕生、大瀧さんは旧江刺市出身、大谷選手は旧水沢市の出身で、両方の街は車で10分足らずと近い。

 2人の間に共通項があるとしたら、寒冷地で、ストイックに自分自身と向き合う性格が培われたことだろうか。大瀧さんは妥協をしない音作りにこだわり、大谷選手は大リーグを目指してひたすら鍛錬した。

立役者は2人〜ジャマイカ料理店の店長と「大瀧マニア」の印刷会社経営者

「君は天然色」のメロディは2020年10月1日から流れている。駅構内には、あわせて大瀧さんの軌跡を紹介するコーナーを設置、年表や作品解説とともに、直筆サインやレコードが展示されている。

 来訪者向けの雑記帳が置かれ、全国から集まったファンが思いのたけを書き込んでいる。「大瀧ファン歴28年、メロディを聞いて心が震えました」「明るいメロディと(東北新幹線の)『はやぶさ』が走り出す姿が合っていて感動的」「東北の自然の中で育った大瀧さんが、美しいメロディを作り出してくれたことに改めて感謝です」などなど。

「駅メロ」実現に奔走したのは、地元住民で構成された「大瀧詠一応援団」。団長は元水沢青年会議所(JC)理事長で、ジャマイカ料理店「ROYALジャマイ館」を経営する石川悦哉さんだ。石川さんがJC理事長だった2006年に奥州市が誕生、まずは駅名を「奥州駅」に変える運動を始めたが諸事情でとん挫。その代わりに「街おこしの切り札は駅の発車メロディ、それも江刺出身の大瀧さんの曲しかない」と決意、運動を始めた。

 サポートしたのが奥州市議で印刷会社経営の高橋晋さん。高橋さんは大瀧の熱烈なファンで、学生時代から40年来、岩手と大瀧さんの関わりを研究し、生前の本人とも交流があった。駅構内に置いた大瀧関連の資料は、ほとんどが高橋さんの提供である。関係者間の協議で、曲は現在までCMにも多く採用されている「君は天然色」に決まる。

 実現に向け、2019年から市内各地で署名運動を開始。5000筆を集めて奥州市に2020年1月に提出。同年夏には奥州市内の施設で大瀧さんの七回忌追悼展が開催され、期間中に全国から5万人以上の来場者を集めた。こうした実績から最終的にJR東日本も導入を決定。大瀧さんの遺族も「大変光栄なこと」と快諾したという。

 市内の音楽家がメロディをアレンジし、上りはサビ、下りはイントロと分かれている。同年10月1日のセレモニーでは石川さんが一日駅長を務めた。作詞した松本隆さんは花束を贈り、当日のツイッターで「空の上の人は聴いているかな」というつぶやきとともに紹介した。

松本隆さんが「駅メロ」をサポート、今も続く「揺るぎない友情」

 松本さんと大瀧さんは、1970年代に活躍した音楽グループ「はっぴいえんど」のメンバーで、学生時代からの長い付き合いがあった。その後、方向性の違いからバンドは解散状態となる。

 ソロとして起死回生を狙っていた大瀧さんは、没交渉になっていた松本さんに作詞を依頼した。松本さんはその依頼をいったん断っている。大切な妹を亡くしたばかりで、詞が書ける状態ではなかったのだという。松本さんに当時のことを聞いてみた。

「渋谷の街が本当に真っ白(モノクロ)に見えた。眼医者に行った方が良いのでは、と思った位」のショック状態。「彼に電話して『ほかの作詞家を探してくれない?』と言ったんだけど、『松本じゃないとだめ、できるまで待つ』と凄く強く言われて。それならと半年、待ってもらったかな」

 真っ先に詞ができたのが「君は天然色」と「カナリア諸島にて」だった。

「僕は曲をもらってもイマイチだったらなかなか書けず苦労する。この2曲は書きだしたらバーッと短時間でできた」

「君は天然色」は、「妹の死という、僕のプライベートを彼に押し付ける気はなかった。妹よりも元気な女の子をイメージし、普遍的なラブソングに聞こえるようにした。もし感動してもらえる要素があるのなら、大事な人を亡くした後、という僕の実体験も影響しているかもしれない」

「(アルバムの)発売は1年くらい遅れたはず。よく待ってくれたと思うけど、レコード会社のディレクターが、僕と一緒に太田裕美(「木綿のハンカチーフ」を作詞)さんを担当した人で頑張ってくれた」

 それが1981年3月発売の大ヒットアルバム「A LONG VACATION」である。「君は天然色」は1曲目だ。レコードに針を落とした途端、軽快に鳴り響くメロディに当時、衝撃を受けたファンも多いだろう。シングルカットもされ、その後、現在に至るまで数々のCMにも使われているスタンダード曲となった。

 生前の大瀧さんは、故郷についての発言を殆ど残していない。

「秘密主義で、自分のことを喋りたがらなかった。小・中学校、高校時代や家族の話は聞いたことがない。こうして取材を受けるのも『余計なことしやがって』と怒っているかもしれない。『こうしたら喜ぶのでは』と普通に思うことを怒る人だった。それが照れ隠しなのか本心だったのかは今もよく分からない。そうはいっても彼も人間だから。『駅メロ』は彼のために僕がOKした。『故郷に錦を飾る』という感じ。喜んでくれていると思う」(松本さん)

 大瀧さんとの一番の思い出は、1969年、細野晴臣さんと3人で福島から軽井沢、清里と出かけたドライブ旅行だった。運転は松本さんと細野さんが交互に担当した。清里の丘の上で車中泊し、180度の視界が広がり、小海線を走る蒸気機関車が見渡せたことが印象に残っているという。

 2人の関係は「けんかしても解散しても、友情はゆるぎないものだった、たとえて言えば東京タワーのような」(同)

 高くて固い、深い友情は、大瀧さん亡き後の今も、続いている。

「恋するカレン」にかけた「カレーパン」

 石川さんの「街おこし」は今も続いている。

「若い子たちが大瀧さんをほとんど知らなくて。『君は天然色』のメロディを聞くと『ああ、あのCMの曲』と気が付くようですが。もっと知ってほしいですね」

 経営する「ROYALジャマイ館」では大瀧の代表曲の一つ、「恋するカレン」にかけた「恋するカレーパン」を販売して盛り上げる。毎年のように新作を出し、これまでに「サバカレーパン」、江刺のリンゴを使った「江刺リンゴのカレーパン」と進化してきた。最新作は、地元のピーマンを使ったカレーパンを検討中。

「地域で農業を学ぶ高校生たちと一緒にコラボレーションできたらいいなと。僕らが駅メロを実現させた経緯は、ぜひ他の地域でも参考にしてほしいです」

 毎年12月30日の大瀧さんの命日には「ジャマイ館」で追悼イベントを実施、駅構内の展示もファンのために定期的に入れ替えている。夢は、大瀧さんの銅像や記念館設立までと広がっていく。

藤澤志穂子(ふじさわ・しほこ)
元全国紙経済記者。昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。早稲田大学大学院文学研究科演劇専攻中退。米コロンビア・ビジネススクール客員研究員、放送大学非常勤講師(メディア論)、秋田テレビ(フジテレビ系)コメンテーターなどを歴任。近著に『釣りキチ三平の夢 矢口高雄外伝』(世界文化社、2020)、『学習院女子と皇室』(新潮新書、2023)

デイリー新潮編集部