内容の信憑性を巡って、「南京事件」の関連書籍『ザ・レイプ・オブ・南京』が国際的な議論を惹起してからおよそ30年。このほど米国で、昭和天皇や旧日本軍に関する“歴史書”が新たに発売された。が、その拙劣かつ悪趣味な内容が再び物議を醸しつつある。

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 問題の書籍は今年3月19日に出版された、『日本のホロコースト:第二次世界大戦中の大日本帝国による大量殺人と強姦の歴史』という一冊。著者はブライアン・マーク・リッグという人物で、かつてイスラエル国防軍や米海兵隊に勤務した元軍人とされる。

「タイトルから想像できる通り、全編を通じてことごとく驚かされます」

 とは、読後に著者インタビューを行った国際ジャーナリストの山田敏弘氏だ。

「昭和天皇に関する記述はとくに目を引きました。“裕仁は68キログラムと小柄で身長は167センチとチビだった”“まるで極度の偏平足かのように歩き方が変”“オタクのような丸メガネ”という具合。日本人なら誰もが、著者の悪意を感じるはずです」

「“トンデモ本”と言いたいところですが…」

 山田氏は、歴史的事実に関する記述にも不正確な点が少なくないと指摘する。

「第2次大戦の際、旧日本軍がアジア・太平洋各国で殺害した数を3000万人としている。日本共産党の発表でさえ2000万人ですよ。提示している数字があまりに大げさであるだけでなく、根拠が示されない。率直な感想としては、いわゆる“トンデモ本”だと言いたいところですが……」

 何とも歯切れの悪い物言いにはこんな理由が。

「執筆に際して、リッグ氏は何人もの超一流の歴史学者に取材をしている。世界的ベストセラー『大国の興亡』の著者で、イェール大学歴史学部のポール・ケネディ教授をはじめ、ペンシルベニア大学で歴史学を教えたジョナサン・スタインバーグ教授らですね」

中国政府の援助、支援は否定するが…

 加えて本書の推薦者には、米軍の元幹部や著名な大学教授も名前を連ねている。

「リッグ氏自身もイェール大学を卒業したインテリで、後に英国のケンブリッジ大学で博士号を取得しています。過去には7冊ほどの著書を出版しており、どれも一読に値するものでした」

 とはいえ、同書が列挙する“歴史的事実”のほとんどは、中国や韓国の主張とほぼ同じ。南京事件に関すると思しき箇所には“少なくとも30万人の中国民間人が残忍な方法で殺され、8万人以上の女性がレイプされた”とある。

「あまりに偏りがある書き方なので〈中国政府から資金援助や何らかの協力を受けているのではないか、との疑義が呈されると思う〉と指摘すると、リッグ氏は資料の整理を友人の中国人女性に手伝ってもらったこと、彼女の学友に南京市で公文書を扱う主任記録官がいたことを明かしました」

 もっとも、それ以外の援助や支援は強い口調で明確に否定したという。

別の場所で撮られたと証明された写真を使用

 リッグ氏は、このインタビューで日本での取材の際に自民党の新藤義孝経済再生担当大臣から協力を得ていたとも語っている。

〈日本では多くのものが封印されていて読むことができませんが、(中略)新藤義孝氏といい関係だったので助かった。そんなこともあって東京都公文書館に行った時、スタッフの方がとても親切でした。彼らは事前に調べ物をしてくれてすべての書類を取り出してくれた〉

 新藤事務所に真偽を尋ねたものの回答はなし。その新藤氏は、先の大戦末期に硫黄島で散った栗林忠道中将の孫。事実なら、経緯はどうあれ、その来歴にキズを付ける失態といえそうだ。

 ともあれ、近現代史に詳しい麗澤大学大学院の高橋史朗特別教授は、リッグ氏と同書を厳しく批判する。

「本人は学術書だと主張しているそうですが、本文はもとより引用元もずさん。総じて読むに堪えません。まず、慰安婦については“平均年齢がわずか15歳”“日本は約25万人の女性を犯し、数百万の家族を破壊”“推定20万人の慰安婦のうち、悲惨な試練を生き延びたのは、わずか10%”などと、根拠のない誤った内容が断定的に書かれています」

 それは南京事件も同様だ。

「戦時中の日本の非道を訴える人々は、偽造文書や偽写真を用いることが多い。この本も、最近の研究によって別の場所で撮影されたことが証明されている写真を、米国立公文書館所蔵のものと謳って掲載している」

「歴史家として、評価に値しない」

 昭和天皇に関する描写についても眉をひそめる。

「“裕仁は兵士ごっこを楽しんだ”“征服された人々や自国民の苦しみには無関心だった”など。当時の日本への理解が不足しているだけでなく、日本人への配慮のなさもうかがえます」

 先の山田氏も指摘した、日本軍による犠牲者の数も信憑性に欠けると一蹴する。

「これはナチス・ドイツのホロコーストによる死者、600万人の5倍。先の慰安婦のケースと同じく、デタラメもいいところ」

 改めて、高橋教授は同書が国際社会に与える影響を強く危惧していると訴える。

「歴史家として、あの本は評価に値しないと考えます。ただし英語で出版されている以上、この内容が“世界の総論”として拡散し、各国で大きな誤解が定着する可能性がある。日本は早急に、官民が一体となって反論しなくてはなりません」

 日本での発売は未定ながら、識者がザワつく挑発的な中身。「販売部数の増加を狙った話題作りの筆致かも」(山田氏)との見方もあるが、単なる“ヘイト本”と見過ごすワケにはいくまい。

「週刊新潮」2024年5月2・9日号 掲載