セレクションセールにスクーリングに行くことにしました。スクーリングとは下見のこと。初めての競馬場でレースをする前に、物見をしたり、変に緊張したりしないように、前もってパドックや地下馬道、コースなどを歩かせて慣れさせておくことを意味する競馬用語(?)です。僕も来年のセレクションセールにスパツィアーレやダートムーアの仔が出場したとき、人間がバタバタしないように、雰囲気に慣れておかなければいけません。なんて言いながら、初めてのセレクションセールに行ってみたいだけなのですが。

セレクションセールは日高や浦河地方などの生産馬たちを中心としたセリです。その名のとおり、どの馬でも出られるわけではなく、血統や馬体などを基準にした厳しい選抜の上、選ばれた馬たちだけが上場できる晴れ舞台。良血馬や好馬体のサラブレッドが集まるため、セレクトセールほどではないにしても、高額で取り引きされる馬が続出します。日高の生産者たちは、セレクションセールに自身の生産馬を出すことを最初の目標にしていると言っても過言ではありません。

これまでは1日間開催で200数十頭が上場されていましたが、昨年(2022年)から2日間開催となり、1日約150頭ずつ、トータルで約300頭が販売されることになりました。生産頭数や購買者のニーズの高まりに合わせて、セレクションセールの規模も大きくなってきたのです。サラブレッドの市場が拡大傾向にあるのは、生産者にとっても嬉しい話です。

セリ自体は2日間の開催ですが、前日展示といって、セリ前日に上場馬をひとしきり見ることができます。本気で買う気のある人たちは、前日にできるかぎり多くの馬たちを見て、そこから絞り込みをかけ、当日もう一度馬を見てチェックして、最終決断をするという過程を辿ります。購買者にとっては、生産者から直に話を聞ける貴重な機会です。生産者は生産馬のことをアピールし、購買者は必要な情報を聞き出すという、静かな交渉の場でもあります。

本当は前日展示にも行ってみたかったのですが、飛行機の到着が遅れた関係で、前日展示はあきらめることにしました。碧雲牧場の理恵さんに空港まで迎えに来てもらい、そのまま牧場に行って、ダートムーアとスパツィアーレ親子たちとおよそ4カ月ぶりの再会を果たしました。当歳馬と母親たちは広々とした放牧地で草を食んでいます。

この暑い時期はアブが多く、サラブレッドの体のあちこちを刺したり、血を吸ったりするため、馬たちも常に多くのストレスにさらされながら放牧生活を送っています。遠くから見ると、どの馬たちも尻尾でアブを追い払いながら草を食べている様子が分かります。近くに寄ってみると、お腹のあたりやお尻など、馬の肢の届かないところを狙うようにアブが止まり、馬たちも筋肉をブルっと震わせたり、後ろ肢を高く上げたり、尻尾を器用に振り回して抵抗していて、キリがなくても思わず手ではらってあげたい気持ちになります。

牧柵の外から眺めていると、当歳馬たちが近寄ってきました。餌をもらえると思っているのでしょうか。碧雲牧場の馬たちは、普段から人間に優しくされているので人懐っこく、撫で回しても嫌がりません。むしろもっと触ってほしいと体を擦りよせてくるほどです。当歳馬たちの中にスパツィアーレの息子とダートムーアの娘もいました。やはり自分の子どもたちは気になりますので、写真を撮ったり、何度も撫でて会話をします。

スパツィアーレの息子は1週間ほど発熱して、注射を何本も打ったそうです。「注射代の請求が5万ほどいくと思います。すいません」と言われ、一瞬顔が引きつりましたが(笑)、可愛い我が子の今は元気にしている姿を見られているのでノープロブレムです。スパツィアーレの息子はまだ冬毛が抜け替わり切っていないのか、まだら模様になっています。冬毛が残ってしまっていると、熱がこもりやすい面もあるそうなので、早く抜けきってもらいたいですね。

ダートムーアの娘は相変わらずボーっとしていますが、人懐っこくて、僕にしてみれば可愛くて仕方ありません。碧雲牧場の慈さんは「名馬って、牧場時代は目立たない存在だった、あまり記憶にないって言われることが多いじゃないですか」となぐさめてくれましたが、この大人しさは競走馬としては心配でしかありません。ただ、普段はボーっとしていても、スイッチが入ると激しいところをみせたりもするらしいので、オンオフの区別ができる馬だと思うようにします。それでも可愛さ余って、「お母さんとしてここに戻してあげるからね」と思わず約束してしまいました。

翌朝、シモジュウこと下村獣医師が牧場まで迎えに来てくれたので、改めてダートムーア親子とスパツィアーレ親子を見に、馬房まで行きました。前日は牧柵越しでしたが、今日は馬房から連れ出されてきたダートムーアの娘とスパツィアーレ息子の隣に並んでみると、やはりこの4カ月間で大きく成長しているのが分かります。体高が高くなり、ちょうど互いの顔の位置が同じぐらい。ダートムーアの娘は牝馬らしく、華奢な面がありますが、どちらかというと前が勝ったタイプの馬体に映ります。スパツィアーレの息子は胴部にも十分な伸びがあって、馬体全体のラインが美しいですね。スラリとした流線形の馬体は、中長距離のレースを得意としそうな伸びやかさがあります。トニービンのクロスが多少なりとも影響を与えているのでしょうか。2頭とも、1年後にはどのような馬体に成長していくのか楽しみでなりません。

セリ市場までの車中、下村獣医師と馬づくりに関する話は尽きません。下村獣医師は今や大狩部牧場の代表ですから、以前にも増して馬づくりにかける情熱に溢れています。今回のセレクションセールには、馬主さんから依頼されて、ゆくゆくは大狩部牧場の基幹繁殖牝馬になりそうなメス馬を買うために参加するそうです。前日展示で3頭ほどの候補に絞り、そのうちの1頭はモガミヒメを祖母に持つ名牝系の牝馬だけに予算内に収まらないだろうから、実際は残り2頭のどちらかを落札したいとのこと。

1頭は25番のレディオブベニスの22(父スワーヴリチャード)、もう1頭は50番のレディマールボロの22(父リアルスティール)です。出張馬房を訪れて、馬を出してきてもらい、僕も目の前で見せてもらいました。前者のレディオブベニスの22は筋肉量が豊富でメリハリもあり、かなり煩そうなタイプの牝馬です。下村獣医師は活気があって良いと解釈していました。レディマールボロの22はコンパクトな馬体で手先の軽さは感じられますが、やや迫力に欠ける面は否めません。馬体のフレームが良いので、繁殖牝馬になったときにどんな種牡馬でも配合しやすく、産駒の馬体もイメージできるというのが下村獣医師の見立てです。

セリ会場には福永祐一調教師の姿もありました。テレビ番組の取材なのか、カメラが後ろをついて回っています。福永祐一元騎手は、僕が競馬を始めた頃にデビューしましたので、同じ時代の競馬を共に過ごし、(偉そうな言い方かもしれませんが)成長を見守ってきたジョッキーの一人です。祐一の祐は、僕の敬愛する野平祐二氏の祐で、一は父福永洋一騎手の一からとったと知ってからは、ずっと応援してきました。騎乗技術の高さや分析能力は当然として、福永祐一騎手の素晴らしさはその人間性と馬に対する愛情にあったと思います。その二つは調教師にとって最も問われるものですから、福永祐一が調教師として成功しないわけはありません。騎手として以上の成功を収め、名伯楽になると僕は確信しています。

(次回へ続く→)

著者:治郎丸敬之