2024年3月の大相撲春場所では、苦労人が渋い輝きを放った。約3年半ぶりの十両復帰を37歳にして成し遂げた北磻磨(山響部屋)。兵庫県出身で本名は嶋田聖也。1986年7月生まれだ。大相撲ファンの間では知る人ぞ知る力士で「きたはりま」と読む。5月の夏場所で再び幕下に逆戻りしたが「土俵への情熱は消えない」と気持ちは前へ前へと進んでいる。(共同通信=田井弘幸)

 ▽天と地、残酷な境目を何度も往復

 番付の最高位を極めた横綱でさえ、自らの土俵人生でうれしかった瞬間を「関取になった時」と挙げることが多い。「関取」は番付で十両以上の地位を指し、ここから月給(十両は110万円)が発生。相撲部屋で個室が与えられ、身の回りの世話をする付け人が付く。取組で締めるまわしは木綿から見た目も鮮やかな絹製に変わり、頭はちょんまげから大銀杏になって美しい化粧まわしで土俵入りができる。他にも挙げたらきりがないほど、十両以上と幕下以下の待遇は天と地の差だ。
 この残酷な境目を北磻磨は何度も往復してきた。十両昇進は12年初場所の新十両から今回の春場所で9度目。希善龍に並び史上1位タイとなった。37歳6カ月29日での再十両は大潮に次いで戦後2番目の年長。記録ずくめの関取復帰の裏側には恩師への思慕、徹底した創意工夫、相撲愛が生む不屈の魂がにじんでいる。

 ▽「百福是集 北の湖」の化粧まわしに思わず声が…

 20年秋場所以来となる関取復帰で登場した春場所初日の3月10日。会場のエディオンアリーナ大阪で十両土俵入りに臨む北磻磨の姿を見て、思わず「あっ!」と声が出た。黒地の化粧まわしに「百福是集」と銀色の文字。左側には「北の湖」とある。02年春場所初土俵からの師匠で、15年11月に逝去した北の湖親方(元横綱)による書だ。

 「自分にとって大きな節目の場所。この化粧まわしでスタートしたかった」。北磻磨が1場所だけ幕内を務めた16年名古屋場所で後援者から贈られた。「百福是集」は北の湖親方が生前に好んだ言葉で「たくさんの幸せが、ここに集まるように」を意味する。日本相撲協会理事長として大相撲人気回復に尽力し、懐の深い性格で多くの人々に親しまれた往年の大横綱にふさわしい4文字だ。
 北磻磨はそんな先代師匠を今も敬愛している。眠る時は枕元に北の湖親方の写真を入れた小さな額を置く。紋付きはかま姿のもので、お守りとして地方場所にも持参。同じ位置に立てるという。

 今も頭から離れない恩師の思い出は二つ。一つは新十両昇進の記者会見後だ。残っていた報道陣から指導力を持ち上げられた北の湖親方は「違う。あいつが頑張ったから上がったんだよ」と即答した。自分が席を外した後の出来事で、他の力士から伝え聞いてうれしくなった。
 もう一つは新十両の場所で3勝7敗と負け越し寸前の崖っぷちから、残り5日間を5連勝で勝ち越した時だ。千秋楽打ち上げパーティーのスピーチで「これは大したものです」と、たたえてくれたという。
 二つとも直接褒めてくれたわけではない。それでも師匠の愛情をひしひしと感じ「見ていないようで見てくれている。さりげない優しさがあった」と述懐する。稽古で前に落ちるような悪い角度の立ち合いをすると「おいおい、水泳の飛び込みじゃないんだから」と笑いながら指摘するユニークさの一方、新弟子時代にたった一人で夜の稽古場で四股を踏んでいたら「もういいぞ。一緒に上がろうか」と包み込むように語りかけてくれた温かさも覚えている。

 ▽異例の朝食導入、生活改革とルーティン継続で復活

 北磻磨は身長181センチ、体重130キロ前後と力士としては軽量で大きくない。取り口は突き、押し主体の正攻法。巧みな投げ技や小技があるわけではなく、器用なタイプでもない。ひたすら真っすぐ当たる愚直な取り口の代償で首の痛みは慢性化し、30代半ばを過ぎると衰えも出てきて関取の座から遠ざかった。
 転機は幕下下位の昨年2月だった。同期生の二所ノ関親方(元横綱稀勢の里)が茨城県阿見町に設立した二所ノ関部屋へ初めて出稽古すると、力士たちが稽古前におにぎり、うどんなどの朝食を取っていた光景に遭遇。角界では一般的に稽古終了まで何も食べないだけに、新鮮に映った。同時に「同期生がこんな立派な部屋を建てたんだ」と大きな刺激も受けた。
 体格に恵まれないだけに、体に対する意識は人一倍強い。「常に立ったり座ったりして股関節を柔らかくしなければ、けがにつながる」が持論。例えば2時間以上の新幹線移動は1時間おきに立って車内デッキまで歩いて体をほぐし、座席で足をぶらぶらさせて血流を促す。実際に稽古場の上がり座敷に座っての取材中に「気にしないでくださいね」と前置きし、途中から立ち上がって話し続けた。
 一度やると決めたら突き詰める性格で、朝食は二所ノ関部屋への出稽古後から早速導入。メニューは毎日変わらず、おにぎり1個、バナナ1本、はちみつ入りヨーグルト、ゆで卵1個、麦芽飲料ミロ入りの豆乳というこだわりだ。午前6時起床で食べ終えると、腹筋と体幹のストレッチ運動と20分間のウオーキング。10年以上も続けているルーティンをこなしてから土俵に下りる。稽古を始める前から汗びっしょりの力士は極めて珍しい。努力の継続に生活習慣の改革が加わり、力がじわじわと戻ってきた。
 「朝食の効果で稽古の質が落ちなくなった。スタミナが持続され、けがの予防にもなる」と手応えを実感した。幕下から三段目に落ちた23年秋場所で7戦全勝優勝し、再起のきっかけをつかむ。24年の年頭には10キロ近く体重が増え、130キロ台を突破。復活劇へとつながり「朝食のおかげだと思う。前に出る力が上がってきた」と語る。土俵生活20年を超えても新たな取り組みに着手する探究心と謙虚さ、結果に関わらず同じことを長く続けられるひたむきさと執念は見習うべきテーマだと痛感した。

 ▽夢は続く「あの染め抜きを着るために」

 1場所で幕下に落ちた北磻磨だが「まずは10度目の十両昇進を目指す」と史上最多記録の更新を見据えている。「まずは」と言ったのは、夢の続きがあるからだ。
 新入幕の時、北の湖親方の妻とみ子さんから新しい染め抜きを贈られた。自分のしこ名や模様を染め抜く夏用の着物で、幕内力士だけが着用できる。北磻磨は1場所で十両に落ちたため、とみ子さんが図柄から考案して1年がかりで完成した逸品に袖を通せていない。聞けば、重厚な黒色の生地の背中には、赤色をベースにした不死鳥が大きく描かれているという。「先代のおかみさんがじっくりと考えて作っていただいた。あの染め抜きを着るために、自分は幕内にもう一度上がらなければいけない」。夢がある限り、人は夢中になって頑張れる。

 大相撲は世代交代が急速に進み、ベテランにとって厳しい闘いが待ち受ける。ただ北磻磨には「相撲を好きだと思う気持ちが止まらない」という土俵への愛情がある。「相撲は白か黒かのどちらかで、一瞬で勝負が決まるのがいい。勝てなくて嫌いになりかけたけど、やっぱり大好き。好きなまま、このまま終わりたい。でも心の中の火はずっと燃えている」
 春場所で締めた若葉のような緑色のまわしは、ここから花を咲かせる気概を感じさせた。そして再び幕内へ上がり、己の生き方を体現するかのような不死鳥の染め抜きを身にまとえるのか。人生模様が凝縮された北磻磨の勝負は、まだまだ終わらない。