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 プロ野球のストーブリーグで大きな話題となるのが、フリーエージェント(FA)戦線だ。FA権を行使した選手は、所属球団内の年俸順でランク付け。日本人選手上位3人がAランク、4〜10位までがBランク、それ以下はCランクと位置付けられる。移籍時に金銭や人的補償が伴うA・Bランクの選手に対し、近年は補償なしで獲得可能なCランクの選手の需要が高まっている。今回は、CランクでFA移籍した選手を紹介したい。

 

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井納翔一

 CランクでのFA移籍を果たした井納翔一。移籍先では目立った成績は残せず。戦力外が通告され、現役引退の運びとなった。
 
 NTT東日本から2012年ドラフト3位で横浜DeNAベイスターズに入団した井納。プロ1年目から5勝を挙げると、翌2014年には11勝をマーク。
 

 
 2016年シーズンには開幕投手を務めるなど、主に先発ローテーションの一角として活躍し、在籍8年間で計50勝を記録した。
 
 2020年オフに国内FA権を行使し、争奪戦の末に読売ジャイアンツと2年契約を締結。移籍1年目から開幕ローテーション入りを果たすも、不安定な投球が続いて中継ぎに配置転換。
 
 その後も結果を残せず、自己ワーストの5試合登板、防御率14.40に終わる不本意なシーズンとなった。
 
 契約最終年となる2022年は、開幕2軍スタート。チームが新型コロナウイルスの集団感染に苦しんだ8月にリリーフとして一軍昇格を果たし、移籍後初勝利も記録したが、シーズンの大半はファーム生活に。オフには戦力外通告を受け、現役引退を決断した。

高橋聡文

 髙橋聡文は、FA移籍を機に輝きを取り戻した選手の1人だ。
 
 高岡第一高から2001年ドラフト8巡目で中日ドラゴンズから指名を受け、プロ入り。高卒3年目の2004年に頭角を現すと、貴重な左のリリーフとしてブルペンを支えた。
 

 
 特にセットアッパーを担った2010年には、63試合登板、35ホールドポイント(4勝31ホールド)、防御率1.61の好成績を残し、リーグ優勝に尽力した。
 
 しかし、翌年以降は左肩の故障に悩まされ、登板機会も減少。2015年オフに国内FA権を行使すると、中継ぎ左腕不足に悩まされていた阪神タイガースが獲得に乗り出し、3年契約で合意した。
 
 移籍初年度の2016年は開幕からフル回転した。6年ぶりとなる50試合登板を果たし、重要な場面でも数多く起用。翌2017年も61試合に登板し、26ホールドポイント(6勝20ホールド)、防御率1.70をマークした。
 
 しかし、その後は再び左肩痛に苦しみ、2019年に現役引退を表明。阪神での在籍期間は4年と長くなかったが、復活を印象付ける活躍を見せた。

森福允彦

  森福允彦はCランクでFA移籍を果たしたが、移籍先では結果を残すことができなかった。
 
 シダックスから2006年大学・社会人ドラフト4巡目で福岡ソフトバンクホークスへ入団した森福。プロ2年目のオフにサイドスロー転向を決断すると、同5年目の2011年は勝ちパターンを担い、60試合登板で38ホールドポイント(4勝34ホールド)、防御率1.13をマークした。
 

 
 さらに、日本シリーズでは「森福の11球」と呼ばれる印象的な火消しを見せ、リーグ2連覇と8年ぶり日本一に貢献。その後も左キラーとして登板を重ねた。
 
 しかし、2015年以降は左打者へのワンポイントリリーフが増加。環境の変化を求めて2016年オフにFA権を行使し、読売ジャイアンツへの移籍を決断した。
 
 移籍1年目の2017年は開幕からセットアッパーとして起用されたが、期待に応えることはできず。同年は30試合登板で7ホールドポイント(1勝6ホールド)、防御率3.05の成績となった。
 
 その後は2年連続で登板数が1桁にとどまり、2019年オフに戦力外通告を受け、現役を引退した。

中田賢一

 中田賢一は、FA移籍後も2桁勝利を挙げるなど先発ローテーションの一角として活躍した。
 
 北九州市立大から2004年ドラフト2巡目で中日ドラゴンズへ入団すると、ルーキーイヤーから開幕ローテーション入りを果たした。
 

 
 プロ3年目の2007年にはリーグ2位タイの14勝をマーク。低迷したシーズンもあったが、在籍9年間で計61勝を挙げた。
 
 2013年オフに国内FA権を行使。実績のある先発投手かつ補償なしのCランク選手ということもあり、同年のFA市場の目玉となった。複数球団との交渉の末、地元の福岡ソフトバンクホークス移籍を決断した。
 
 移籍1年目の2014年は、開幕5連勝を含むチームトップタイの11勝を挙げ、自身7年ぶりの2桁勝利を記録した。翌2015年も規定投球回をクリアし、9勝をマーク。その後も先発として登板を重ねた。
 
 しかし、2019年は1試合のみの登板にとどまり、同年オフに無償トレードで阪神へ移籍。2021年限りで17年の現役生活に幕を閉じた。

小笠原道大

 北海道日本ハムファイターズ、読売ジャイアンツでシーズンMVPに輝くなど、球史に名を残した小笠原道大。中日ドラゴンズへのFA加入は、Cランクでの移籍だった。
 
 暁星国際高、NTT関東を経て、1996年ドラフト3位で日本ハムに入団。捕手から内野手へ転向した1999年に大ブレイク。「恐怖の2番打者」として打率.285、25本塁打をマークした。
 

 
 その後、2002年から2年連続首位打者に輝くなど、球界を代表する打者として君臨。特に2006年には打率.313、32本塁打、100打点をマークし、リーグ優勝、日本一の立役者に。打撃2冠(本塁打・打点)に加え、最優秀選手に輝いた。
 
 同年オフにはFA権を行使して巨人入り。移籍初年度から打率.313、31本塁打、88打点と持ち前の打棒を遺憾なく発揮し、リーグを跨いで2年連続となるシーズンMVPを戴冠。その後もクリーンアップの一角として、強力打線を牽引した。
 
 しかし、2011年はけがの影響もあって規定打席未満に終わると、翌年以降は本格的にレギュラーを奪われ、出場機会が激減した。2013年オフには事実上の戦力構想外となり、2度目のFA権を行使。中日でのプレーを決断した。
 
 中日では代打の切り札として貴重な戦力となり、2014年は83試合出場で打率.301をマーク。翌2015年も53試合出場ながら打率.294と結果を残したが、同年限りで現役生活に別れを告げた。

福田秀平

 FA宣言の際には争奪戦が繰り広げられた福田秀平は、移籍先でけがに苦しみ、期待に応えることはできなかった。
 
 多摩大聖ヶ丘高から2006年高校生ドラフト1巡目で福岡ソフトバンクホークスから指名を受け、プロ入り。入団時は内野手だったが、外野手登録に変更された2011年をきっかけに一軍の重要戦力となり、同年は打率.252(規定未満)、22盗塁をマークした。
 

 
 度重なる故障と選手層の厚さから規定打席に到達したシーズンはなかったが、走攻守三拍子揃ったバイプレーヤーとして、ソフトバンクの黄金期を支えた。
 
 2019年オフに国内FA権を行使すると、残留オファーを出したソフトバンクの他、5球団が獲得に名乗りを挙げる争奪戦となった。交渉の末、千葉ロッテマリーンズと4年契約を締結。
 
 移籍1年目は開幕スタメンの座を掴むも、2度の故障離脱で62試合出場、打率.216、5本塁打という成績に終わった。
 
 翌2021年もけがの影響が尾を引き、わずか4試合の出場にとどまった。2022年は夏場に一軍昇格を果たすも、守備機会で負傷交代。そのままシーズンを棒に振ると、昨季も目立った活躍はできず。オフには戦力外通告を受け、選手生命の岐路に立たされている。

 

 

 
【了】