『いつか、アジアの街角で』 中島京子ほか著 文春文庫 737円

『旅のない』 上田岳弘著 講談社文庫 704円

『理由のない場所』 イーユン・リー著 篠森ゆりこ訳 河出文庫 1100円

 日常の風景から物語とは何かを考えさせる3冊がそろった。

 香港や台湾などアジアを主題とし、日本語の女性作家たちが短編を競作した(1)は、コメディータッチの探偵物語からディストピア近未来ものまで、多彩な作風がそろう。コミュニケーションの不調や死という主題、あるいは香港での抗議活動、コロナ禍や震災といった社会を大きく揺るがした出来事も取り上げられるが、再生への希望を捨てない人々の姿は一貫して変わらない。物語とは、未来への信頼によって形作られるのだ。

 2020年代の日本を舞台とする四つの短編を収めた(2)もまた、フィクションの意義を探求している。コロナ禍の非日常、システム開発といった要素が繰り返し姿を見せ、やがて現実と虚構との境目が意外なほどもろいという洞察が浮かび上がる。そのもろい境界線上に日常があるのなら、人はそこでどう振る舞えばよいのか。日常そのものが虚構として立ち現れるときの、遠く離れた場所に旅をしたような感覚は忘れがたい。

 女性作家が自殺で失った息子と対話を繰り返す(3)は、文学そのものの意義を問い詰める迫力に満ちている。虚構は作家が思いのままに操作できる場所ではなく、そこでは世を去った息子は他者のままであり、心のなかに入り込ませてはくれない。その場所を生きねばならない作家は、個人的な悲劇から、他者を描く行為とは何かという文学的主題に到達する。傷つきやすく、しかし決して物語を諦めない人間のしぶとさが凝縮されている。=朝日新聞2024年5月18日掲載