ドイツ・ブンデスリーガで長く活躍した元日本代表MFでアイントラハト・フランクフルトの長谷部誠(40)が、今季限りでの引退を表明した。今後は同クラブで指導者としての道を歩む。月刊ラモスのラモス瑠偉編集長は「彼は奥寺さん、中田英寿に続く功労者。海外における日本サッカーのステータスを大いに高めてくれた」と引退を惜しみつつ、その功績をたたえた。その上で「海外のクラブで指導者としての実績を残し、いつの日か日本代表を率いてほしい」と大きな期待を口にした。

 長谷部とは何度が食事をともにしたことがあるし、顔を合わせればいろいろな話をした。本当にナイスガイだ。義理堅いし、いつでも、誰に対してもリスペクトをもって接する。裏表がないから、誰からも愛される。

 もちろん、選手としての実績も素晴らしい。2006年から代表を引退した18年まで日本代表に選ばれ、W杯に3大会連続でキャプテンとして出場。キャプテンとして出場した国際Aマッチ81試合は日本代表歴代1位。自分に厳しく、背中でほかの選手を引っ張るタイプ。手を抜かないし、仲間意識も強く、思いやりがある。だからこそ、周りの選手も彼を信じてついていった。キャプテンの中のキャプテンだった。

 海外における日本サッカーのステータスを高めたという意味でも、彼の存在は大きい。07年にウォルフスブルクに移籍し、08―09シーズンにブンデスリーガを制覇。フランクフルトでは21―22シーズンの欧州リーグを制覇している。ブンデスリーガ出場383試合は外国人として歴代3位。とてつもない数字であり、まさに鉄人。40歳にしてトップリーグでプレーできたのは、しっかり自己管理し、練習で鍛錬してきたあかしだ。そうでなければ、あそこまで続かない。

 とにかく頭のいい選手だ。相手チームだけでなく、味方のこともよく見えていた。ゲーム全体が見えている。そして流れを読み解いていく。うまくいかない選手の近くでその選手をカバーする。そしてチームを機能させる。日本代表でも、ブンデスリーガでもそうだった。だから多くの選手、指導者、そしてサポーターに愛され続けた。

 長く世界のトップで活躍し続け、世界が認めた日本人プレーヤーという意味で、私の中では奥寺(康彦)さん、中田英寿に続く選手が長谷部だ。中田と長谷部がW杯で一緒にプレーすることはなかったが、長谷部がリベロで中田がボランチだったら、W杯における日本代表の歴史を変えていたかもしれない。

 今後はフランクフルトに残って指導者の道を歩むという。クラブも長谷部という人間を認めているからこそ、離そうとしない。ドイツでライセンスを取り、勉強して経験を積んで、近い将来、ドイツのクラブで監督を務めてほしい。彼はドイツ語も堪能だし、人望も厚いから、必ず成功するだろう。そしていつの日か、日本代表の指揮を執って、W杯で思う存分に手腕を振るってほしい。それが日本サッカー界にとって、次の大いなる道筋となる。

 日本代表監督の歴史を振り返ってみると、私が日本代表でプレーしていた92年に、オフトが外国人として初の日本代表監督に就任した。あと一歩のところで初のW杯出場の夢はかなわなかったが、初のアジア・カップ制覇など、Jリーグの誕生とともに日本サッカーは目覚ましい躍進を遂げた。外国人監督の路線はファルカンに引き継がれたが、途中解任され、加茂周監督が就任。しかし、W杯最終予選中に交代を余儀なくされ、岡田武史監督がコーチから昇格し、初のW杯出場を果たす。

 2002年日韓大会は再び外国人監督路線に戻り、トルシエ監督が初の1次リーグ突破。その後、ジーコ監督は1次リーグ敗退、オシム監督は脳梗塞で倒れ、再び岡田監督が引き継ぎ、16強入りを果たした。

 その後も外国人路線は続き、ザッケローニ、アギーレ、ハリルホジッチ監督が指揮を執ったが、ハリルホジッチ監督はW杯直前に解任され、西野朗監督が指揮を執って16強入り。その後を引き継ぎ、私とともにドーハで戦った森保一監督が、Jリーグ経験者として初めて日本代表監督に就任。W杯カタール大会1次リーグでドイツ、スペインを倒したが、決勝トーナメント1回戦でクロアチアにPK戦の末敗れた。そのクロアチアは3位となっている。

 そして森保監督が史上初めて、2大会連続で日本代表の指揮を執ることになり、アジア最終予選進出を決めた。歴史の流れを見れば、日本サッカー界は着実に歩を進めている。

 もし長谷部が日本代表監督になったら、Jリーグから世界に飛び出し、海外のクラブで指導者としてのキャリアを積んだ初めての日本代表監督となる…かもしれない。その道筋を作れるのは、現在のところ長谷部しかいない。あとに続く世代のためにも、準備ができて、長谷部本人が納得した時点で、ぜひとも日本に帰ってきてほしい。

 まだ、現役として最後の戦いが残っているが、本当にお疲れさまでした。長く日本代表を引っ張り、世界のトップでプレーし続けたサムライ。サッカーファミリーの一員として、感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとう。 (元日本代表)