容姿ネタを捨てた尼神インター

 2024年3月、人気女性コンビの尼神インターが解散した。明るく天真爛漫なキャラクターの誠子と、やさぐれキャラの渚。見た目も性格も対照的に見える2人のコンビネーションが絶妙だった。

 尼神インターの持ちネタの中には、過剰に「いい女」を気取る誠子に対して、渚が容赦なく「ブスやないか」とツッコミをいれる、というものがあった。だが、ある時期から彼女たちはこのネタをやらなくなった。

 もともと誠子は、自分の容姿にコンプレックスがあった。お笑いの世界に飛び込んでみたところ、そこでは自分の容姿をネタにすることで笑いが取れることに気付き、コンプレックスが解消され、自信を持てるようになった。そんな彼女にとって、容姿ネタを捨てるというのは大きな決断だったのではないか。

次々と“封印”された容姿イジり

 3時のヒロインの福田麻貴も、2021年にツイッター(現・X)で「私達は容姿に言及するネタを捨てることにしました!」と書き込み、容姿イジり封印を宣言したことで話題になった。

 彼女の意図としては、容姿ネタそのものを否定するつもりはなく、あくまでも現場の肌感覚として、そういうネタがウケなくなっているのを感じていたので、自分たちはそれをやらないことにした、というだけだった。

 また、馬場園梓とのコンビ・アジアンを解散して女優に転身した隅田美保も、漫才の中で容姿イジりをされることが多かったのだが、それを嫌っていたと噂されていた。

 ここ数年の間に、女性芸人が容姿に関するネタをすることはほとんどなくなってきた。彼女たちがそのような道を選んだ最大の理由は、時代の変化だろう。

かつて存在した暗黙の合意

 一昔前までのお笑い界では「笑いのためなら(ある程度は)どんなことでも許される」という風潮があった。頭髪が薄い芸人や太っている芸人は、自分の身体的な特徴をネタに取り入れて、笑いを取るのも普通のことだった。

 女性芸人も例外ではなく、「ブス」や「デブ」であることを自らネタにするような人もいたし、ほかの芸人に容姿についてイジられることもあった。

 当然ながら、一般社会で他人の容姿について否定的なことを言うのはマナー違反である。ただ、芸人が芸人に対して笑いを取るためにお互いの暗黙の合意のもとで容姿イジりをするというのは、普通に行われていることだった。

 だが、時代も少しずつ変わっていき、たとえ芸人同士のやり取りであっても、見た目のことでからかったり悪口を言ったりするのは不快に感じるという人が増えてきた。女性の容姿イジりに関しては特にその抵抗感が強かった。

笑いのあり方は時代によって変わる

 笑いはナマモノである。芸人は、観客がどこでどう笑うか、というのを敏感に察知して、ネタの中身を日々調整している。彼女たちは、容姿ネタが少しずつウケなくなっていることを感じて、それをやらないことにしたのだろう。

 しかし、今のところ、容姿ネタ全般がお笑い界から消えてしまったわけではない。少なくとも男性芸人に関しては、見た目をネタにするのが悪いことだとは思われていない。男性と女性では見た目に関する意識の違いが大きいため、男性の容姿イジりはまだそこまで嫌悪感を持たれていないのだろう。

 笑いとは緊張からの解放であり、リラックスした状況でなければ生まれないものだ。女性が容姿のことをネタにされたりすると、直接不快に思ったり傷ついたりする人もいるだろうし、そうやって傷つく人がいる可能性を想像するだけでも笑いの妨げになってしまう。

 笑いのあり方が時代によって変わっていくのは当然のことであり、プロの芸人はそれを敏感に察知している。女性芸人が続々と容姿ネタを封印しているのは時代の必然だと言えよう。

ラリー遠田
1979年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部卒業。テレビ番組制作会社勤務を経て、作家・ライター、お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など多岐にわたる活動を行っている。お笑いムック『コメ旬』(キネマ旬報社)の編集長を務めた。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり 〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『逆襲する山里亮太』(双葉社)『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)など著書多数。

デイリー新潮編集部