あの時に書いた通り

『ウェブはバカと暇人のもの 〜現場からのネット敗北宣言〜』は、2009年4月に光文社新書から私が上梓した一冊である。あれから15年経過したが、我ながら「あの時に書いた通りじゃん」としか思えない現状がある。というか、さらに「バカと暇人化」は進行している。それはユーザー数が激増し、写真と動画を簡単に公開できるようになったこと、そして、目立てば目立つほど刹那的なカネを獲得できるシステムが完成したことが理由である。

 さらに、「バカッター」の横行や「スマホ中毒」「スマホ脳」「歩きスマホ」といった言葉が登場するように、完全にインターネットに人々は支配され、サイトやサービス運営側に貴重な「時間」を奪われ、それらを課金や広告費という形で吸い上げられているのだ。

 インターネットは活字や従来型の「見られる時間が決まっている」テレビやラジオとは段違いの中毒性を持つ。しかも、自身の嗜好に合わせてアルゴリズムが組まれ、時間泥棒に利用されまくり、ユーザー自身が進化することなく、ただただ「クリック・タップする奴隷」になっているのだ。サービス・サイト運営主体からすれば笑いが止まらないだろう。

インターネットに期待しすぎるな

 とはいっても、勝てるのは一握りのプラットフォーマーであり、その下に連なるサイト運営者は過当競争で広告単価も下がりアップアップの状態で、皆一緒に泥船で沈んでいくような状況になっているのも、これまた事実だ。ウェブメディアについては、「さっさとライバルは廃業してくれ!」と各社が思っている状況にある。まぁ、言うなれば未来は暗い。それが『ウェブはバカと暇人のもの』から15年経ち、成熟し切ったインターネットの世界である。

 さて、同書を執筆した時、インターネットには夢があった。私自身、IT業界の編集者として、正直、大企業の役員クラスよりも多額のカネをもらうポジションにいたため、ネットには感謝していたが、常に「過大評価されてるぞ……」といった感覚があった。その過大評価を黙っていることが不誠実だと考え、暴露本的に同書を発表したのだ。インターネットは決して人間の能力向上をもたらさない。インターネットに期待し過ぎるな! ということを訴えたかったのである。

 あれから15年、私の指摘通りに世の中は動いている。そもそも、人間の一定割合はバカだ。元々「頭の良い人」が使い、メリットを享受していたインターネットが一般化したことで、一般社会と同じくバカ率が高まったというだけなのだ。別に私はコレを否定的には見ていない。インターネットは特権階級のためのものではなく、誰もが使えるインフラであるべきだというネット開発における理念には共感しているし、コンサルタントの梅田望夫氏が日本で紹介した概念「ウェブ2.0」も理解している。バカでも買い物や予約や検索といった「機能」を使いこなせる社会は間違いなく便利な社会である。

インターネットがあろうがあるまいが

 その一方で、当時とはレベルの違う「炎上」騒動が起き、ネットゲームへの課金で身を持ち崩す人々が続出する事態にもなっている。それが『ウェブはバカと暇人のもの』で訴えたかったことだ。本稿では、15年前のウェブの世界観を振り返りつつ、これからウェブがどのようになるかについて考察してみる。

 私が『ウェブはバカと暇人のもの』を出した時の状況を振り返ると、「完全黙殺された」という状況だった。というのも、当時「インターネットがあれば集合知が集まり、補完し合い、修正して人間はより高みに行ける」というポジティブな「ウェブ2.0」の概念が支配的だったのだ。これに私は真っ向から反論し、この牧歌的な論調を「ネットユートピア論」と呼び、「ギーク」と呼ばれた先端的ITオタクやIT業界人の夢を煽る論調に冷や水を浴びせた。

 多くの人は私が述べた「インターネットがあろうがあるまいが優秀な人は優秀なまま。バカはバカのまま。ツールがあなたの能力を高めることに期待しなさんな。あなたはあなた自身の能力を鍛え、ネットを便利に使いなさい」という意見を黙殺。

インフラの一つに過ぎない

「まぁ〜そんなことを言う人もいますが、インターネットはあなたの人生を変えます! 素晴らしいです!」といったことをひたすら彼らは言い続け、私の存在を「なかったこと」にする時代が2009年のネット界隈の風景だった。もちろん、YouTuberとして大活躍したり、ネットで書いた文章が評価されて作家デビューをした人などもいたが、これは極めてレアケース。ほとんどの一般人は参入障壁の低いネットの世界の過当競争に疲れ、マネタイズはできていない状況が続いている。

 ギーク達は、「次はこのツールが来る!」と散々期待を煽ったが、毎度毎度アーリーアダプターのみがおいしい果実を得られるだけだった。グーグルプラスで日本一のフォロワーを誇った女子大生は当時でこそ広告やらイベント出演のおいしい果実を得たが、グーグルプラスの衰退とともに彼女も存在感を減らした。YouTuberが多数所属する会社もクリエーターの離脱が相次ぎ、減収減益状態に。

 結局「インターネット」という夢を今の40代以上の層は抱いたわけだが、それよりも若い世代からすれば、水道ガス電気電話と同じように「インフラ」の一つに過ぎない。なんでインフラに夢を抱くんだ? といった感覚を抱くことであろう。

勝者総取り

 だが、我々のようなオッサン世代は「うわっ、海外の人とも文字で交流できる! 来てるね未来!」なんてことを1990年代中盤から2000年代前半に経験し、インターネットに過度な希望を抱いたのである。

 とはいっても、世の中の本質は“The winner takes it all”で意味としては「勝者総取り」である。いくらインターネットが使えたといっても、初期のユーザーが少ない時はさておき、誰もが使えるインフラになった後にインターネットがその人物を“Winner”にするほどの力はない。

 むしろ、余計なことを書いて誹謗中傷だと開示請求を申し立てられたり、損害賠償請求をされたり、非常識なバカ動画をバイト先で撮影してそれを投稿した結果、解雇されて賠償金を求められたりするのが関の山。

あなたが正しかったです

 フェイスブックでは著名人を騙った投資詐欺の広告を信じてカネをむしりとられ、闇バイト募集に応募した結果逮捕されて人生台無し……。こんな未来を私は『ウェブはバカと暇人のもの』で予想していたのだが、なぜそれが15年前にできたかといえば、以下が理由である。

 人間はバカな生き物。ツールが進化しようがバカはバカのまま。そして、射幸心やモテたい欲、金銭欲や性欲や自己顕示欲は「動物」としてツールの進化とは関係ない。インターネットはこれら欲求を制御するわけではなく、むしろ増幅する。

 こうしたことは「人間」を観察し続ければ2009年に分かっていたことなのである。日本は常に「臭いモノに蓋」をする国だが、あの時のネット界隈の私へのスルーっぷりは今でも異常だと思う。それでいて数年後「あなたが正しかったです!」とすり寄ってきた人間が多かったのには、人間というものの真実の一面を見た気がした。要は、ネットに夢を見ても儲からないから、現実路線であなたに仕事を発注したい、という人が当時は「目覚めた」のである。

 その意味であの本を15年前に書いて良かったと今、悠々自適人生を佐賀県唐津市で送る私はしみじみ実感する次第である。

中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)
1973(昭和48)年東京都生まれ、佐賀県唐津市在住のネットニュース編集者。博報堂で企業のPR業務に携わり、2001年に退社。雑誌のライター、「TVブロス」編集者等を経て現在に至る。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『ウェブでメシを食うということ』『よくも言ってくれたよな』。最新刊は『過剰反応な人たち』(新潮新書)。

デイリー新潮編集部