不倫をしている夫だって、心ある人なれば胸を痛めている。墓場までこの人と添い遂げようと思って結婚したのに、ふと気づくと他の女性に心奪われている。妻に非はない。妻を嫌いになったわけでもない。だからといって恋した人を冷たく捨てることもできない。だから夫たちも苦しいのだ。

「恋をして苦しいなんて甘いことを言っている」
「ふざけるな」

 不倫する夫を、そうやって罵倒する妻たちもいる。もちろん、もっともだ。立場が違えば意見も異なる。だから夫婦のどちらかが不倫の恋に落ちると諍いが起こる。

「夫が生きているうちに知ったら、どうだったでしょう。私も怒り狂ったかしら。それとも突き放したかしら。想像ができません。なんだか怪しいなと思った時期はあったんです。でも私はあえて夫に尋ねなかったし、夫も不自然な言い訳などしなかった。だからこそ、あとの苦しみは言葉では言い表せない。今も急に胸が痛んで息ができなくなりそうになります」

 小暮真知さん(55歳・仮名=以下同)は、一生懸命笑顔を作っているように見えた。真知さんの夫・孝紀さんは3年前、53歳で突然亡くなった。出勤途中、駅のホームで倒れ、そのまま意識を取り戻すことなく3日後に息を引き取った。

「大学の同級生でした。彼は浪人しているからひとつ年上でしたが、完全に友だちから始まった関係でした。いつもみんなで若者らしい議論を交わしたり、ときにはくだらないことで揉めたり。グループの中でもいちばんの仲良しが彼でしたが、つきあうようになったのはふたりとも就職が決まってから。卒業後は彼が関西で研修となったため、つきあってすぐ遠距離恋愛になりました」

「とにかく毎日が楽しかった」孝紀さんとの日々

 それでも関係は切れなかった。卒業して5年目、かつての同級生が集まったとき、「まだ結婚しないの?」と言われ、孝紀さんが「するよ。な、今、しよう」とウケを狙った。そのままみんなで真知さんが住んでいた区の役所へ行き、婚姻届をもらってその場で出した。

「深夜3時くらいじゃなかったかしら。完全に酔った勢いとノリで提出したんですが、そのまま彼と、友人ふたりが私の部屋に泊まったんです。朝起きて顔を見合わせ、『ひょっとして夫婦になってるんじゃない?』って。友人たちがお祝いの段取りを考えてくれることになりました」

 結婚するつもりはあったが、そんな形で届を出すとは思ってもみなかったと真知さんは笑う。つきあっているときも結婚してからも、とにかく毎日が楽しかった。

「気が楽なんですよ、孝紀と一緒にいると。私はどちらかというと神経質であれこれ悩んでしまうタイプだけど、彼は『今から取り越し苦労してもしょうがないよ。問題が起こったら一緒に考えよう』と笑ってる。彼自身、結婚してわりとすぐに社内の人間関係で悩んだこともあったみたいですが、悩むより解決しようと動きだしていました。公明正大で隠し事が嫌いなのは学生時代から変わりませんでした」

いつか子どもたちが巣立ったら…

 真知さんは30歳で長女を、33歳で次女を出産。女3人に囲まれて、孝紀さんはいつもご機嫌だった。ただ、そのころ孝紀さんは「深刻な顔で」ひとつだけ話し合いたいと言ったことがある。

「私は出産後もずっとフルタイムの社員で働くつもりでした。忙しいけど、ふたりで協力すればなんとかなるだろうと思っていた。でも、だんだんどうにもならなくなってきたんですよね。お互いの仕事での目標、子育てについて、家庭について、このとき徹底的に話し合いました。夫は、妻が退職して家事育児をすればいいとは言わなかった。自分が退職することも視野に入れていた。このまま共働きでどこまでいけるか、やってみる方法もあるとも話しました」

 結局、長女が小学校に入るタイミングで、ふたりはそれぞれの職場に働き方を相談したという。今だったらリモートワークもできただろうが、当時はまだむずかしかった。結果、真知さんが時短で働くことになった。それでも周囲には迷惑をかけたと彼女は言う。

「本来なら残業がけっこう多い部署だったんです。でも私は残業できない。だから家でけっこう仕事をしましたね。もちろん残業代もつかないけど、仕事が好きだったし、当時はそれでもありがたいと思っていました。迷惑をかけた分、今は女性たちがもっと自由に働ける職場作りに奔走しています」

 子育ては楽しかった。何でも話し合える夫がいたからだ。いつか子どもたちが巣立ったら、また新婚時代を楽しもうとふたりはいつも話し合っていた。

急逝…憔悴の真知さんのもとを訪れたのは

 それなのに夫はある日突然、ひとりで逝ってしまった。何の予兆もなく、何の言葉も残さずに。いきなり気持ちをぶった切られ、真知さんは葬儀後、入院するほど憔悴しきった。

「2週間入院して退院したその日、妹が家にやってきたんです」

 当時、ふたりの娘たちは大学生だった。長女は大学院に進学が決まり、その日はどうしても大学へ行かなければならないということで、次女が病院に迎えに来てくれた。次女の運転で帰宅し、一息ついたところで次女はアルバイトへと出かけた。

「私もどこが悪いというわけでもなかったから、ひとりで大丈夫と娘たちには言っていました。夫がいなくなったのは事実、それを私が受け止められるかどうかの問題で、私自身が時間という薬を借りて立ち直っていくしかない。それはわかっていましたから」

 夫の気配が消えた家で、彼女はひとりコーヒーをいれた。思わず夫のカップを食器棚から出そうとして、夫はもういないんだと体が感じた。その場に崩れ落ちるほどの衝撃だった。そのとき玄関チャイムが鳴った。

「妹でした。『大丈夫?』と顔を覗き込んできた妹にすがって号泣しました。彼女はじっと私を抱きしめていてくれた。私にはこの子がいる。そう思い、見栄もなにもなく泣き続けました」

血のつながりはなかったけれど…

 4つ違いの妹の遼子さんと真知さんは、本当の姉妹ではない。まったく血のつながりのない遼子さんを、真知さんの両親が養子にとったのだ。

 遼子さんは、真知さんの伯父(父親の兄)の結婚相手の連れ子だった。伯父は初婚だったが、まだ2歳だった遼子さんを連れた女性と結婚したのだ。ところがその女性が30代の若さで病死した。妻を愛していた伯父は、なんと後追い自殺をしてしまう。

「私もまだ子どもだったから、その件については当時、詳細がわかっていたわけではありません。でも何かが起こったのはよくわかった。それから少しして、遼子がうちにやってきました。最初はお互いに恥ずかしさもあって、なかなか仲良くなれなかったけど、母がうまく取り持ってくれたんでしょうね。遼子は『おねえちゃん、おねえちゃん』と私を慕うようになりました」

 真知さんも遼子さんがかわいくてならなかった。妹が小学校に入学したときは、毎日、こっそり妹のクラスを覗きに行ったほどだ。誰かにいじめられることがないよう絶対に自分が守ると決めていた。

「両親は特に隠そうとはしなかったようです。私が中学生になったころ、気軽な世間話でもするように妹の出自を教えてくれました。妹も聞いていましたが、ドラマみたいに『え? 本当の親じゃないの?』とびっくりするような感じではなかった。彼女がうちに来たのは3歳過ぎでしたから、なんとなく覚えていたのかもしれない」

 その話をしたあと、両親は「これからも4人で仲良くやっていこうね」と言った。もちろん、と真知さんは声を高くした。私は遼子をずっと守っていくから、と。おねえちゃん、と遼子さんは一言つぶやき、真知さんの肩に頭を預けた。

後編【妹は亡き夫とずっと関係を持っていた…それでも彼女を憎めない、と言う55歳未亡人が明かす「特殊な姉妹関係」】へつづく

亀山早苗(かめやま・さなえ)
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。

デイリー新潮編集部