「石ころじゃけえ、安心して投げてきんさい」

 野球の試合中に、時ならぬ暴言や失言が飛び出した。一体どんな理由でそんなことになったのか?ファンの記憶に残る3試合を振り返ってみよう。本塁打を打った打者が、捕手をポカリと殴る珍ハプニングが見られたのが、1983年4月27日のヤクルト対広島である。【久保田龍雄/ライター】

 故障で出遅れ、この日、開幕後初めて4番ファーストでスタメン出場をはたしたヤクルト・大杉勝男は、初回の1打席目、広島の先発・津田恒美から先制1号3ランを放った。

 そして、3対0で迎えた3回、大杉が2打席目に入ると、津田は明らかに動揺している様子。そこで、捕手の達川光男は「こいつぁー石ころじゃけえ、安心して投げてきんさい」と声をかけた。「四球で歩かせても、ひとつずつしか進塁できない石ころだから大丈夫」という意味だ。「石ころ」の隠語は、チームのミーティングでもよく使われていたので、つい口に出てしまったのだが、本人の目の前で言ったのは、まずかった。

 10歳も年下の“後輩”に石ころと呼ばれてカチンときた大杉は、怒りをパワーに変えて津田の内角球をフルスイング。左翼席に2打席連続の2号ソロを叩き込んだ。

“ポカリ事件”以降、全国区の人気者に

 だが、話はこれだけでは終わらなかった。ダイヤモンドを1周して本塁に戻ってきた大杉は、呆然と立ち尽くしている達川の後頭部を右拳でポカリ。もちろん、本気のグーパンチではないが、自らの失言が原因で本塁打を許す結果を招いた達川にとって、まさに“ダブルパンチ”だった。

 とはいえ、どこかユーモラスなこの“ポカリ事件”は、「広島に面白い捕手がいる」とファンに注目されたのも事実。当時は中日・宇野勝の“ヘディング事件”(1981年)が珍プレーとして大きな話題を集め、江本孟紀氏の「プロ野球を10倍楽しく見る方法」シリーズがベストセラーになるなど、野球をエンタメ的視点で楽しむ風潮が盛んになりはじめていた。

 そんな時流にも乗って、以後、達川は「当たった、当たった!」の“死球詐欺”やコンタクトレンズ紛失事件などの爆笑珍プレーの数々で全国区の人気者に。必ずしも“口は禍の元”ばかりではなかったようで……。

「日本の野球はつまらない」

 チームの守護神が勝利の直後、「バーカ、タコ!」の暴言を口にする事件が起きたのが、1999年5月26日の横浜対ヤクルトである。

 4対3とリードの横浜は9回、満を持して“大魔神”佐々木主浩をマウンドに送った。

 だが、この日の佐々木はどこか投げにくそうで、先頭の宮本慎也を四球で歩かせてしまう。さらに2死二塁から真中満に右前同点タイムリーを献上する。

 ここまで13球のすべてが直球で、“伝家の宝刀”フォークはゼロ。捕手・谷繁元信は「ここは配球を読んでくることもあるから」と説明し、佐々木もヤクルトの一塁コーチが打者に球種を伝達しているのではないかと気にしている様子だった。

 この回を1失点で切り抜けた佐々木は、再び1点を勝ち越した延長10回裏を3者凡退に切って取り、勝利投手になったが、直後、相手ベンチに向かって「バーカ、タコ!」と暴言を浴びせた。さらに報道陣にも「やってられない。日本の野球はつまらない」と不満をあらわにした。直球とフォークで勝負する佐々木だけに、2分の1の確率で球種を盗まれることに対して、ナーバスになっていたようだ。

 自著「大魔神伝」(集英社)でも「確かに暴言だった。言い方にしても、品位を疑われてもしかたがない。横浜、ヤクルトの両球団に迷惑をかけたことも、お詫びしたい。ただ、何と言われようと、抗議したことそのものは、今でも正しいと思う」と主張している。

 これに対し、ヤクルト・若松勉監督は「してませんよ」と否定し、問題もそれ以上論議されることはなかった。佐々木は同年オフ、マリナーズにFA移籍。「日本の野球はつまらない」と口にした時点で、メジャー移籍を視野に入れていたのかもしれない。

「何走っとんねん、コラッ!アホか!」

 一塁走者の二盗直後、相手ベンチに怒声を発したのが、ヤクルトの古田敦也選手兼任監督である。

 2007年4月19日の横浜戦、捕手では史上5人目、大学・社会人を経た捕手では史上初の通算2000試合出場を達成した古田監督だったが、せっかくのメモリアルゲームも7回表までに0対11と大きくリードされる屈辱的な展開に。

 それだけでも内心穏やかではないのに、さらに2死一塁から石川雄洋が二盗を試みた。すると、古田兼任監督は送球の素振りも見せず、横浜ベンチを振り返ると、「何走っとんねん、コラッ!アホか!」と罵倒した。

 古田監督が怒ったのは、大差がついた試合での盗塁は、“不文律破り”に等しい行為だからだ。メジャーリーグでは、このような行為をした場合、故意死球などの報復を受けても仕方がないとされている。

 はたして、プレー再開後、マウンドの遠藤政隆は次打者・内川聖一の背中にぶつけてしまう。さらに村田修一にも頭部死球。両軍ナインがマウンド目がけて殺到し、もみ合いとなった。

 乱闘が収束すると、深谷篤球審は遠藤に危険球退場を宣告したが、これが新たな騒動の火種となる。

 古田監督は、村田が前かがみの姿勢で頭を突き出していたことを指摘し、「カーブのすっぽ抜けだし、何で危険球や?」と猛抗議。さらに「お前、常識持ってんのか? 何キロ出てたんや!」「何でお前らに敬語使わなあかんのや!」と暴言を連発し、遠藤ともども退場になってしまった。

「2000試合も出てるが、その中でワーストの試合になっちゃった」と苦笑いの古田監督だったが、事件の発端となった石川の盗塁は「守備側の無関心」で記録されず。翌08年に大差での盗塁は記録として認めないことを盛り込んだルールの一部改正も行われたので、怒ったこと自体は、結果的に報われたと言えそうだ。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

デイリー新潮編集部