岡本和真は不動の4番

 巨人が首位・広島との3連戦を2勝1敗と勝ち越した。3戦目を3対2でなんとかモノにした。チームは貯金1で3位に浮上。見ていると今後も苦しい戦いが続くと思う。

 首位から5位で並ぶヤクルトと中日までは7ゲーム差だ。巨人だけじゃない。他の5球団も同じだ。抜け出す決め手を欠いている。どこも我慢のしどころだ。長嶋(茂雄)さんは「勝つ! 勝つ! 勝つ!」だけど、私は「我慢! 我慢! 我慢!」と言いたい。

 1勝1敗で迎えた3戦目、4番・岡本和真が先制のタイムリーを放った。1回2死三塁、玉村昇悟の外角球を中前に運んだ。大振りせずにうまく打った。

 6月29日の第2戦目終了後、阿部慎之助監督は岡本和の打順変更を示唆していた。同戦で2度好機はあったが凡退。得点圏で3試合、6打席連続無安打だった。

 それでもいざフタを開けてみれば、4番に座っていたのは岡本和だ。当然のことだと思う。岡本和は不動の4番だ。それでももし打順を替えるとしたら、1試合限定で3番だと思う。気分転換だ。

打順変更示唆はリフレッシュ狙い

 阿部監督の打順変更示唆は岡本和への発奮材料だった。こう捉える向きもあるようだが、それはなかったと考えている。岡本和は常に一生懸命やっているし、努力もしている。リフレッシュさせようと思ったのではないか。

 私は王(貞治)さん、長嶋さんが健在なのに4番を任されたことがある。3、4番がONかNOかという時代だ。1969年7月3日の阪神戦(甲子園)だった。

 先発は江夏(豊)で巨人は大の苦手にしていた。川上(哲治)監督が言うには「ONの気分転換」。この試合で1回に2ランを放ち2安打2盗塁で、チームは4対2で快勝した。私の4番はもちろん、この1試合のみ、翌日以降はONが4番に座った。

 仮に岡本和を3番にしたら1番はエリエ・ヘルナンデス、2番に吉川尚輝、そして4番に丸佳浩を起用する。4番はかなりのプレッシャーがかかる。日本人選手ならなおさらだ。

 現状、実績から最適は丸だと思う。これと深く考えない。伸び伸びやれるかもしれない。

 幻に終わった岡本和の4番変更案から当時を思い出した。

大勢はまた故障しかねない

 中川皓太と大勢が30日、1軍に上がってきた。西舘勇陽が登録を抹消され、アルベルト・バルドナードはここ直近3試合で連続失点していた。

 西舘は制球難、抑えのバルドナードは精神的な疲れが見て取れる。重圧がかかる場面で登板してきたが、最近は悲壮感さえ漂っていた。当分、楽な場面で起用した方がいい。中川は左膝痛から約2カ月半ぶりの復帰となった。

 大勢は5月4日、右肩の違和感を訴えて緊急降板して故障班に合流していた。30日は9回に登板し、四球2個が絡んで2死満塁のピンチを迎えたが最後は切り抜けた。19球、すべてストレートだった。でも、相変わらず上体の力で目いっぱい投げている。

 速く強い球を投げたい。こう思っているのだろうが、もっと下半身の切れで投げる必要がある。上体の力だけに頼っている。中日のライデル・マルティネスがいいお手本だ。そんなに力を入れて投げていない。下半身を使って、もっと楽に投げる。そうでないと、また故障しかねない。

 西舘はコントロールを磨く必要があるが、2軍に行ってよかったと思う。外角低めへの投球が肝で1軍ではできないこともある。試合にもどんどん出てほしい。ファームでは3イニングで四球を1個も出さない。そういう投球を心がけてほしい。

なんとしてでも優勝したい

 坂本勇人が打撃不振のためファームで調整中だ。一刻も早く1軍に上がってほしい選手だし、上がってもらわねば困る選手だ。

 見ているとバットが下から出ている。速い球はファウルになり、遅い球を引っかける。いい時はバットが水平に出ている。あおっている。坂本が1軍にいる、いないでは全然違う。いなけりゃ相手は楽だ。

 巨人が新外国人選手をまた獲得するという。3Aアルバカーキのココ・モンテス内野手
で27歳だ。強打の右打者との前評判だ。強肩で内野ならどこでもOKとか。

 今年は巨人にとって創設90周年の記念イヤーだ。なんとしてでも優勝したい。こんな気持ちが伝わってくる。門脇誠が不振だし、新人の泉口友汰にも打撃面では大きな期待がかけられない。

 途中入団のヘルナンデスが当たった。ハングリー精神あふれる3Aの選手が入団すれば、戦力層は厚くなる。競争も激化する。

「二匹目のどじょう」を狙っての補強だろうが、さてどうなるか。

 2、3日は松本、前橋で中日戦、5日からは神宮でヤクルト3連戦だ。いずれにせよ、
苦しい戦いが続く。もう一度、いまが「我慢! 我慢! 我慢!」と記して最後を締めたい。

(※成績などは1日現在)

柴田 勲(しばた・いさお)
1944年2月8日生まれ。神奈川県・横浜市出身。法政二高時代はエースで5番。60年夏、61年センバツで甲子園連覇を達成し、62年に巨人に投手で入団。外野手転向後は甘いマスクと赤い手袋をトレードマークに俊足堅守の日本人初スイッチヒッターとして巨人のV9を支えた。主に1番を任され、盗塁王6回、通算579盗塁はNPB歴代3位でセ・リーグ記録。80年の巨人在籍中に2000本安打を達成した。入団当初の背番号は「12」だったが、70年から「7」に変更、王貞治の「1」、長嶋茂雄の「3」とともに野球ファン憧れの番号となった。現在、日本プロ野球名球会理事を務める。

デイリー新潮編集部