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 小室哲哉と言えば、90年代後半にヒット曲を連発して一時代を築いた伝説的な音楽プロデューサーである。CDが最も売れていた時代に、その頂点を極めていたのが小室だった。彼が手がけた楽曲がヒットチャートの上位に並び、20曲以上のミリオンセラーを世に送り出された。

 そんな時代の寵児だった小室が、この令和の世に再び脚光を浴びている。きっかけの1つは、4月にNetflixオリジナル映画『シティーハンター』の配信がスタートしたことだ。

 長年愛されている人気コミック作品の日本初の実写化ということもあり、話題性は十分。主演を務める鈴木亮平の本作にかける意気込みにも並々ならぬものがあった。

 Netflixの非英語映画部門でも週間ランキング1位を獲得するなど、世界的な大ヒットを記録している。この作品の主題歌は、小室が作曲した「Get Wild Continual」である。アニメ版のエンディングテーマでもある「TM NETWORK」の「Get Wild」の新録音版だ。

 1987年にリリースされた「Get Wild」は、単なる流行歌にとどまらず、時代を超えて長く愛される楽曲になっている。今回の映画の大ヒットにより、そんな「Get Wild」と楽曲制作者の小室が改めて注目されることになった。

 4月23日に東京・新宿歌舞伎町のシネシティ広場で行われた『シティーハンター』のブルーカーペット・ワールドプレミアイベントでは、主演の鈴木亮平らとともに小室哲哉も登壇した。

■立て続けにムーブメント

 4〜5月には「TM NETWORK」の40周年記念ツアーが行われ、大盛況のうちに幕を閉じた。5月19日のファイナル公演では、かつてサポートメンバーだったB'zの松本孝弘がサプライズ出演する一幕もあった。

 5月11・12日に大阪・万博記念公園もみじ川芝生広場で開催された浜田雅功主催の音楽フェス「ごぶごぶフェスティバル」では、2日目に小室が出演。浜田との伝説的なユニット「H Jungle with t」として、大ヒット曲「WOW WAR TONIGHT〜時には起こせよムーヴメント〜」を披露した。

 さらに、5月15日には小室哲哉を題材にしたノンフィクション書籍『WOWとYeah 小室哲哉 起こせよ、ムーヴメント』(神原一光・著/小学館)が刊行された。ここ1〜2カ月の間にこれだけのことが重なり、まさに「ムーヴメント」と呼べる現象を起こしている。

 音楽プロデューサーとしての小室が世の中に与えた影響として最も大きいものは、日本にダンスミュージックを広めて、ダンスの文化を作ったことだろう。『WOWとYeah 小室哲哉 起こせよ、ムーヴメント』には、その過程が克明に描かれている。

 80年代後半、くすぶっていたTM NETWORKにヒット曲が出て、ようやく浮上のきざしが見えたころ、小室は最先端の音楽を学ぶためにイギリスに飛んだ。当時、海外でレコーディングをする日本人アーティストはいたが、長期間にわたって海外に行くのは異例のことだった。

 その間、日本で音楽活動ができなくなるため、周囲のスタッフは猛反対したが、小室はそれを押し切ってロンドンに旅立った。そこで最先端のユーロビートに触れ、屋外イベントのレイブというものを知り、数多くの音楽プロデューサーやミュージシャンと交流する中で、彼はダンスミュージックに目覚め、自身の作る音楽をそちらにシフトしていった。

■踊れる音楽のクリエイターに君臨

 その後、90年代に入ると小室はプロデューサーとしてtrf、globe、篠原涼子、華原朋美、安室奈美恵などの楽曲を手がけ、希代のヒットメーカーとなった。カラオケボックスが大流行して、歌うための音楽が求められていた時代に、小室は歌って踊れる音楽のクリエイターとして活躍した。

 その後、日本でもDA PUMP、EXILEなど数々のダンス&ボーカルグループが生まれ、多くの若者がダンサーやDJを目指すようになった。2012年にはダンスが義務教育でも必修化され、2024年のパリ五輪ではブレイキン(ブレイクダンス)が正式競技に採用された。

 現在40代の筆者が子どものころは、人前でノリノリで踊るのは(どちらかと言うと)恥ずかしいことだという風潮があった。でも、今そんなことを思っている若者はほとんどいないだろう。

 歌って踊れる、いわゆる「ノレる」音楽。小室は日本人に「ノる」ことの快楽を教えて、日本中をダンスホールにしてしまった。「Get Wild」のイントロが流れてきた瞬間に「来たー!」と思ってしまう人も、「歌ってみた」「踊ってみた」の動画を公開する人も、誰もが小室の手のひらの上で踊らされているのだ。(お笑い評論家・ラリー遠田)