『虎に翼』での大役は「本当に運命みたい」

 俳優の伊藤沙莉が主演を務めるNHKの連続テレビ小説『虎に翼』に韓国人留学生・崔香淑(さい・こうしゅく/チェ・ヒャンスク)として出演中のハ・ヨンスが注目を集めている。確かな演技力と流暢(りゅうちょう)な日本語で存在感を放っているが、日本ドラマへの出演は今回が初。韓国でも申し分ないキャリアを積んできた彼女はなぜ、異国の地での新たな挑戦を決断したのだろうか。(取材・文=中村彰洋)

 ヨンスは、高校時代にはアニメーションを専攻するなど、とにかく絵を中心とした日々を送っていた。しかし、2013年にネットショッピングでのモデル姿が注目を浴び、スカウトを受けたことで、その後の人生は大きく変化した。

「絵への未練もある状態でのスタートでした。それまでは、1人で静かにアニメや絵を描いていることが多かったので、演技をやったことはありませんでした。スカウトのときも、『まずは練習生のような生活をしたいです』と伝えていて、『OK』とは言ってもらえていたんです。だけど、実際に事務所に入ってみたら、すぐにいろんなオーディションを受けては、何回も落ちて……。『私なんて才能ない!』と絶望の日々でしたね」

 右も左も分からない状態で始めた俳優活動だったが、映画『恋愛の温度』(13年)ですぐにデビューすると、ドラマ『モンスター』(13年)ではヒロインに抜てきされた。18年には、日本の人気ドラマ『リッチマン、プアウーマン』(12年/フジテレビ系)の韓国版リメイク『リッチマン』では、石原さとみが演じたヒロインを務めた。

 韓国での俳優としての地位を確立していったヨンスだったが、デビュー直後から日本で活動することが、夢だったと明かす。

「昔から日本に興味がありました。漫画家を目指していたので、日本の漫画も2000作品ぐらいは読んでいると思います。『デトロイト・メタル・シティ』や『聖☆おにいさん』みたいなシュールな笑いが好きです。

 映画やドラマも、石原さとみさんや松山ケンイチさんの作品など、いろいろ観ている中で、日本作品の穏やかな空気感などが好きで、私も出演したいと思っていました。その中でも、蒼井優さんが出演している『オーバーザーフェンス』が、私の人生のTOP5に入るぐらい好きな作品なんです。

 だから、20代前半から『日本で演技がやりたい!』と事務所の方にも何度もアピールしていました。だけど、そのときは日本語をしゃべれなかったので、『君は韓国でもっと経験を積むべきだと思うし、韓国語を使って演技したほうが簡単だよ』と言われてしまい、諦めていました」

 そんな思いを胸に抱きながらも活動を続けていたが、ついに22年に大きな決断をした。

「10年続けたタイミングで、環境を変えてみたいと思うようになりました。海外で活躍する人たちも増えていたので、私も昔から興味のあった日本で挑戦してみようと考えたんです。少し遅いタイミングかもしれないけど、今、挑戦しないと永遠にチャンスがないままだと思って、何も決まっていなかったのですが、とりあえず日本に来ました」

 決して若いとは言えない30歳を過ぎての挑戦だった。「日本に行く」と決めてからの3か月間は独学で日本語を猛勉強した。「もし上達しなかったら行くのを諦めようとも思っていました。3か月間、毎日日本語を勉強していたら、とても伸びたんです。『ここまでできるなら日本に行ける』と決断できました。たった3か月で自分の人生が変わったと思うとちょっとおもしろいですよね」。

 家族からは「なんで今さら、大変な道を進むんだ」と反対をされたものの、ヨンスは「今行くしかない。ダメだったときに戻ってくればいいの」と説得。誰一人知り合いすらもいない日本へと単身で飛び立った。

将来はうさぎの保護活動に意欲「日本でも韓国でもそういった活動を」

 来日当初は美術留学も視野に入れていたが、「今はもっと演技をやるべき」と気持ちを整理し、日本での俳優活動を目指すことを決めた。自らネットで調べ、事務所に履歴書を送るなど、積極的に売り込んでいった。そんな中、出会ったのが現在の事務所「ツインプラネット」だった。「面接のときは今よりも日本語がうまくなかったので、おかしな日本語を使っていたと思います」と苦笑いを浮かべる。

『虎に翼』への出演が決まったのは23年の夏ごろ。それまでの期間はNHK『ワルイコあつまれ』に出演したりしつつ、日本語や日本作品を学ぶ時間に費やした。

 なかなか仕事が決まらない状況に心が折れそうになったこともあるという。「心の中では不安がたくさんありました。『ホントに私なんかが日本で仕事できるの?』って。でも韓国に帰りたいと思ったことはありません。『何か1つでも日本で結果を残すんだ』と思い続けていました。そんな苦しかった時期にちょうど朝ドラのお話をいただけたので、本当に運命みたいでした」。

 ソウルには、住んでいた家もそのままの状態で所持しているが、年に2回ほどしか帰国はしないという。日本で暮らし始めて約1年半。韓国との文化の違いに驚くこともある。

「読めない漢字もあったり、苦労することも多いですが、日本に少しずつなじんでいると思います。韓国ではカフェや電車の中でも電話をしている人が多いのですが、日本では全部NGということに驚きました。『こんな静かなんだ!』って。日本に慣れていたので、韓国に帰ったときには『あー、うるさい!』ってなっちゃいました(笑)。それぞれ違う魅力があって好きです」

 日本での生活の癒やしは、来日してから飼い始めたうさぎの「マヨ」の存在だった。

「ブリーダーの方とたまたま出会って、そこで出産をするためだけに飼われているメスうさぎに出会いました。そんな人生で終わってしまうなんて悲しいなと思ったんです。1歳ぐらいだったので、赤ちゃんうさぎは連れて帰ってもらえても、大人になった子は残されてしまうんです。

 韓国では捨てうさぎが多いんです。山に放せば生きていけると思われてしまっているのですが、うさぎってそういう動物じゃないんです。ペットとして育てられているので、ちゃんとケアをしなくちゃいけないんです、なのに無責任にみんな捨てていて……。捨てうさぎを飼うことも考えたのですが、先にまずい状況に置かれていた子を連れて帰ろうと決断しました」

 将来的には、うさぎ保護の活動に興味を持っている。「もしマヨが亡くなったら、次は捨てうさぎを助けたいと思っています。捨て犬や捨て猫は興味を持つ人も多いですが、捨てうさぎはあまり注目されていないので……。もっと日本で根を張って安定的に稼ぐことができたら、日本でも韓国でもそういった活動をしていきたいです」。

 現在は『虎に翼』に全力投球の日々。今後については「流れに任せたい」と口にする。「10代の頃は永遠に絵をやるものだと思っていたけど、今は日本で演技をしています。才能があるかないかは置いておいて、今までの経験は、ムダではなかったんだなと思っています。今まで自分のことを褒めたことはなかったのですが、今は『私は自分の人生をちゃんと生きているよ。偉いね』って褒めてあげたいです」。

 33歳にして新たなページをめくったばかり。今後も新たな“運命”と巡り合うための努力を続けながら、その時を待つ。

□ハ・ヨンス 1990年10月10日、韓国・釜山生まれ。2013年にスカウトを機に俳優デビュー。さまざまな人気作に出演し、18年には日本の人気ドラマ『リッチマン、プアウーマン』(12年/フジテレビ系)の韓国版リメイク『リッチマン』でヒロイン役を務める。22年からは日本での活動をスタート。23年NHK連続テレビ小説『虎に翼』で日本ドラマデビューを飾った。趣味は油絵、フィルム写真など。今も休みの日にはイラストを描いている。中村彰洋