ドキュメンタリー映画『ドクちゃん ―フジとサクラにつなぐ愛―』出演、伝えたいこととは

 ベトナム戦争時、米軍が散布した枯れ葉剤の影響で1981年2月に結合双生児としてベトナムで生誕したベトちゃんドクちゃん。日本で報道されると、支援の輪が広がり、88年には日本赤十字社の協力の下、分離手術に成功。兄ベトさんは2007年に死去したが、ドクちゃんことグエン・ドクさん(43)は2児の父親に。ドクさんが本音で明かした今の生活は?(取材・文=平辻哲也)

 ドクさんはドキュメンタリー映画『ドクちゃん ―フジとサクラにつなぐ愛―』(5月3日公開、川畑耕平監督)に出演した。来日は今回が53回目で両国の友好にも尽力している。本作はドクさんと長年、交友のあった映画プロデューサーのリントン貴絵ルース氏がロシアによるウクライナ侵攻をきっかけに、今だからこそ戦争の実態を伝えたいと企画した。今のドクさんの日常や思いを綴っている。

「日本ではご存じの方も多いかもしれませんが、私はベトナムでは有名ではないです。ベトナムでも、メッセージを発することはありますが、マスコミが私のことを取り上げるわけではないんです」

 ドクさんは2006年にボランティア活動で知り合った妻トゥエンさんと結婚し、18年目。09年には人工授精で双子の男女を授かった。親日家のドクさんは長男には富士を意味するフーシー、長女にはサクラを意味するアイン・ダオと名付けた。この日も、富士山と桜をデザインしたアオザイを着ていた。左足欠損などの障害を持ちながらも、ホーチミン市で2人の子供を養育し、闘病中の義母を自宅介護している。

「妻は非常に家庭的な人で、自分の家庭を大切にしていたことに惹かれました。教育機会がなかったので、教養がそれほどある人間ではないのですが、家庭のことはしっかりやってもらっています」

 普段の仕事は病院事務。

「公務員ですが、賃金はものすごく低くて、日本円にすると3万円くらい。それでは生活が成り立たないので、休みの日には、いろんな副業もしています。雇ってくれるところがあれば、何でも。だから、休みの日に何かを楽しむという時間は正直ありません」

 ベトナムは昨今、日本人の旅行先としても人気が高いと水を向けると、「外国人が観光で行くのにはいいのかもしれませんが、けっして住みやすくはありません。国としては発展途上で、国際的化も進んでいますが、福祉が行き届いていないですし、障害を抱えていると、社会から置いてきぼりにされてしまいます」と答える。

 映画では「痛みは目に見えないから」と言いながらも、懸命に家族のために働く姿が印象的だ。

「今も痛みはあります。僕たちは2人で一つしかない腎臓を分け合ったので、そもそも消化機能などに影響があったと思うんですが、最近になって排尿バッグをつけています。それを一生続けないといけない。それは非常につらいです」

 ドクさんは質素倹約に徹している。裕福とは言えない生活だが、2012年8月には東日本大震災の被災地を訪れたり、20年8月にはコロナ禍でのマスク不足を知ると、執行役員を務める日本ベトナム友好協会を通じて、不織布マスクも寄付している。

「周りを見ると、自分よりも困っている人がいる。私は経済的に豊かにはなってないけれども、日本との交流もあって、ある意味、恵まれていると思っています。困っている人はいっぱいいるのなら、そのままほってはおけないという気持ちです」

 双子の子どもは14歳。日本で言えば、中学3年生に当たる。

「子どもたちも日本に関心を持っています。日本に連れて来られれば、とても喜ぶとは思いますが、実際には渡航費用の問題もあります。私としては、とりあえずは元気でいてほしい。それからしっかり勉強して、安定した生活を送れるようになればと思っています。機会があれば日本で勉強できたらと思っています」

「私の人生は兄の犠牲の上で成り立っています」

 今の願いは一日でも長く健康で生きていくことだという。

「私の人生は兄の犠牲の上で成り立っています。今はこうやって話しができていますが、明日はどうなるか、実は確信が持てないんです。とにかくできるだけ長いことを健康でいたいという希望は持っていますが、何か成し遂げようとか思っているわけではないです。ただ家族に対しては支えていかなければと思っています」

 枯れ葉剤を散布したアメリカに言いたいことは何か。

「兵隊一人一人が悪人だとは思っていません。当時のアメリカ政府が軍にやらせた政治的なことだと思います。枯れ葉剤の影響は私たちだけではなく、いろんなところに残っていますが、今の若い人たちはベトナム戦争の傷跡については知りません。今、世界中でいろんな不幸が起きていますが、戦争は人間が人間に対してやっていること。本当にやめてほしいと思っています」。ドクさんの言葉は重かった。

■グエン・ドク 1981年2月に結合双生児として誕生。88年、ホーチミン市内の病院で分離手術に成功。兄ベトさんは手術前に患った脳症で、寝たきりの状態が続き2007年に死去。高等職業学校で学び、現在は病院事務、非営利団体“DUC NIHON”代表として活躍中。2017年、広島国際大学客員教授に就任。日本ベトナム友好協会執行役員。平辻哲也