<前編のあらすじ>

資産形成で豊かな将来を手に入れたいと一念発起して2人で毎月10万円の積立投資を始めた小山達也(37歳)と佐野沙織(33歳)だったが、積立投資を始めて半年後、沙織が突然、「毎日が全然楽しくない」といって泣き出した。大泣きの沙織を前にして小山は、かける言葉さえ見いだせずにおろおろするばかりだった……。

 

コロナ禍が浮き彫りにした不安定さ

小山が、そもそも2人で積立投資を始めようと提案した背景には、不安定なお互いの現在の収入や社会的な立場を克服するため、将来にしっかりした安心のとりでを築きたいと考えたためだった。小山の勤める会社は、中堅どころの外食チェーンで、コロナ禍では数カ月にわたって店舗での営業ができず、給与20%カットとボーナスの支給停止を経験した。もともと給与は、同級生と比較して安く、30代になっても月の手取りは24万円程度だった。沙織はコールセンターで派遣社員として働いていて、コロナ禍では仕事がなくなり、貯金を取り崩して生活していた。

コロナ禍は、2人が付き合い始めた直後に起こった。世界各地でロックダウン(外出禁止)政策がとられ、日本でも出社の自粛などが呼びかけられた。小山の勤めるチェーンは、比較的早い段階でテイクアウト・サービスに注力したこともあって、社員は休むことなく店舗の感染対策やテイクアウト事業の立ち上げに駆けずり回ることになった。慣れないことばかりの毎日で、また、コロナ感染の恐怖とも闘う毎日だった。へとへとになっていた小山の毎日を支えてくれていたのが、沙織と交わすSNSのメッセージや、ほぼ毎晩のようにビデオコミュニケーション・サービスを使って顔を見合わせて会話を続けたことだった。付き合い始めた2人にとっては、コロナ禍が2人の関係をより強固に結びつけるきっかけにもなった。

しかし、コロナ禍はまた、2人にとって、今の生活の基盤がいかにもろいものであるかを思い知らせもした。小山は収入が大幅に減り、沙織は一時期とはいえ収入の道が閉ざされた。こんな状態では、2人が結婚して家庭をつくることなど無理だと感じた。そこで、小山が持ち出したのが、積立投資による資産形成計画だった。「当面は厳しい生活を続けることになるけど、数年もすれば数百万円の資金ができるから、それが心の余裕になるはず」と言い出した。そして、「将来、億を超えるほどの資産ができたら、これまでの生活では考えられないような豊かな暮らしができるようになる。僕は沙織とそんな将来を実現したい」と小山は熱心に語り続けた。

積立投資を続ける息苦しさの正体は?

沙織は、小山に押し切られるような感じで積立投資に同意した。もちろん、人の将来のために一緒に資産を作るという考えは悪くないと思ったし、小山から提案を受けたことはうれしくもあった。ただ、沙織の収入から、毎月5万円を捻出することは相当大変なことだということがわかっていた。そして、2人で一緒に暮らすようになって、家賃や光熱費の負担が少なくなったために、毎月の生活は回るメドは立ったが、沙織は、職場の同僚から誘われる喫茶や飲み会を断らざるを得なかった。毎月、いくらかの資金が余るものの、精神的には常に追い込まれているような毎日だった。化粧品を安いシリーズに変え、美容院も安い店に変えた。最初の約束通りに、毎月ちょっとリッチなレストランを予約してディナーを食べても、箱根の温泉に泊まりに行っても、全然楽しくはなかった。結局、レストランでのディナーは止めて、翌年に計画していた海外旅行も見直すことにした。

沙織は、毎日、職場を往復するだけの生活を判で押したように続けざるを得ないことに、息苦しさを感じるようになっていたのだろう。秋のシルバーウイークに行った箱根の温泉宿で、ささいなことから口論になって、その夜は一言も口を利かずに眠った。それから、お互いの無駄を指摘し合うようなことが続くようになった。「あまりケチなことを言わないで」という小山に対し、「節約して投資しようと言い出したのはあなたよ」と沙織が言い返すパターンが多かった。11月には一緒に暮らしていても、会話らしい会話がなくなっていた。そして、迎えたクリスマスの夜に、沙織の感情が爆発したのだった。

小山は、沙織が泣きやむのを辛抱強く待った。そして、沙織が落ち着くのを待って、何が問題なのかを聞いた。沙織は、積立投資を開始して以来の毎日が嫌でたまらないと答えた。いつも、息をひそめるようにしてお金を使わないで暮らすことを考えるばかりで、友達とお茶をすることもできず、好きな映画も見に行けず、ショッピングの楽しみもなくなった。こんな生活は息が詰まる。もう耐えられないと沙織は訴えた。「それに……」と言ったきり、沙織は口ごもった。小山は、沙織の言葉を待った。

自分たちの人生を大事にする決意

沙織は、意を決して話し出した。「わたし、赤ちゃんができたみたいなの。今のままの生活を続けることはできないし、まして、5万円の積立投資を続けることも難しいと思う。期待に応えられなくて、申し訳ないのだけど……。本当にどうしたらいいのかわからなくて……」と、うつむいたままに話を続けていた沙織は、小山に抱きしめられて驚いて顔を上げた。小山は「うれしいよ。沙織は、どうしたい? 僕たち子どもができるんだね。一緒に頑張ろうよ。ダメかな? 結婚して家族になろうよ。どう? 僕、頑張るよ」と言葉をかけ続けた。沙織は、小山に抱きしめられたまま、また、涙が止まらなくなった。ただ、今度の涙は、安堵と喜びの涙だった。

2人は話し合って、毎月の積立投資は小山の5万円だけにして、沙織は出産に向けた準備をすることにした。沙織の登録している派遣会社には、産休や育休の制度もあるため、その制度を活用して、できるだけ無理のない出産を迎えることにした。そして、婚姻届を出し、家族を迎える準備を始めることにした。その後、小山は、沙織に言った。「僕は何か焦っていた。自分には何も確かなものがないという思いが強かったので、せめて将来の資産はしっかりしたいと思って必死だった。何か確かなものがないと、自信を持ってプロポーズもできないと思っていた。けど、この子のおかげで決心ができたよ。将来のために、今を犠牲にし過ぎるのは良くないよね。自分たちの人生をしっかり生きないとダメだ。その上で、可能な範囲で将来の資産を作っていけばいい。将来の資産づくりを第一に考えていた僕は間違っていた。一歩一歩進んでいこう。頼りないかもしれないけど、一緒に進んでくれるかい?」。沙織は、小山が沙織のおなかにおいた手に自分の手を重ねてうなずいた。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。