「現在では使われなくなった地名=『旧町名』は、古い家屋の表札やビルなど様々なものの中に発見することができる」と語るのは、16年以上、全国の旧町名の名残りを探し、その記録をブログなどで発信している102so(じゅうにそう)さん。ご著書の『旧町名さがしてみました in東京』より、今回は東京・中央区の旧町名にまつわるエピソードを紹介していただきました。102soさんいわく、「中央区は元々2つの区が合併して誕生した」そうで――。

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京橋區、日本橋區、日本橋區本町

<京橋區、日本橋區>

地図で中央区を見ると、日本橋の付くものとそうでないもの、町名が2種類に分かれているのがわかります。これは中央区が元々2つの区が合併して誕生した表れです。

日本橋が付く方が「日本橋區」、そうでない方が「京橋(きょうばし)區」。江戸・東京の中心だった両区が世界の中心を目指すため、中央区は誕生しました。

<日本橋區本町>

1590年8月1日に江戸入りした家康が最初に行ったのが架橋工事。8月26日に常盤橋が竣工すると、9月1日からは町割に着手します。その第1号がここ、本町(ほんちょう)なのです。


空襲被害を免れた本町には、かつてはこのような戦前の貴重な琺瑯看板が残されていた(写真提供:二見書房)

日本橋本町は江戸時代の始まりであり、令和のいまこの記事を書いている私にも、この記事を読んでいるあなたにも繋がる道の入口なのでしょう。