シリーズ累計発行部数が9000万部を超える人気サッカー漫画「キャプテン翼」の作者で4月に漫画家を引退した高橋陽一さん(63)が、都内でスポーツ報知のインタビューに応じた。漫画としての絵を描くことは今後なくなるが、今夏からウェブサイトでネーム(鉛筆での下描き)形式で「キャプテン翼」の物語を週1回連載する。44年間の漫画家生活。引退を迎えた今の心境と、新しい形で始まる創作活動への意気込みを聞いた。(樋口 智城)

 生まれ故郷の東京・葛飾区内にある仕事場。高橋さんは息を切らしながら、取材部屋へと駆け込んできた。約束の時間の5分前。それなのに「遅れそうだったんで…すみません」と申し訳なさそうに笑った。メッシ、ネイマール、イニエスタ。サッカー選手で知らない人はいない「キャプテン翼」の作者の人柄は、変わらず素朴なままだ。

 「今はホッとしたというか、やり切った感じ。まあ若干の寂しさもあります。高校の部活をやめる時と感覚似ているかなぁ」

 4月4日発売の雑誌「キャプテン翼マガジンvol.20」の連載終了をもって漫画家を引退。高橋さんは、その心境を高校の野球部時代と重ねた。

 「野球部の引退時は『もっと家で素振りしてたら』って後悔していました。でも、今はあの時ほどの悔いもない。いい時期にやめられたと思います」

 44年間の漫画家生活。引退を決めたきっかけは何だったのだろうか。

 「ひとつじゃなくて、いろんなことが重なっています。ただ、尊敬する水島新司先生が2022年に亡くなられてからは、かなり意識しましたね。一緒に草野球してたので、タフさは知っていました。燃え尽きるまで描かれていましたよ」

 一方で、むちゃをしない先達の生き方も見てきた。

 「ちばてつや先生は60歳で体調悪くされて、以降は第一線ではやられていない。そういう生き方も憧れます。ボクはどっちの道を進もうか長い間、考えてきました」

 導き出した結論。両者のいいところを合わせるやり方だった。

 「ふと思いついたんです。ちょうど真ん中ぐらいがいいんじゃないかなぁって」

 つまり、きちんとした絵を描く漫画家としては引退、代わりにネームだけを描いて連載は継続―。今夏からウェブページ「キャプテン翼WORLD」で、ネーム形式で週に1回、発表する。新章のタイトルは「キャプテン翼ライジングサン FINALS」だ。

 「何年か前にネームだけ先に進めようと集中して1か月描いた時があったんですが、1年分ぐらい出来上がったんですよ。結構あっという間だな、じゃあ10年先のストーリーを1年で描けるのかと思いましたね」

 当時、アイデアはあるのにスピードが追いつかないジレンマに陥っていた。

 「普通に描いたら(現在「ライジングサン」で準決勝まで進んでいる)五輪編の決勝まで描いて寿命が尽きちゃう。翼のキャラを考えれば、その次はチャンピオンズリーグ、W杯優勝。さらにその先、FIFAの会長まではいくかもしれないとかも思っているんですよ。翼って、選手に優しい会長になりそうじゃないですか。あと翼にも子どもが生まれて、大人になるとサッカーやり始める。その物語も描くなら、150歳でも終わらない」

 アイデアを形にしてファンへ届けるための秘策が、ネーム形式のウェブ連載だった。それにしても、43年も断続的に連載しているのに翼はW杯にも出場してない…。

 「W杯のための決断、とまで言えるか分かりませんが、漫画を続けるために漫画を捨てないといけないのかなと。そういう発想です」

 「キャプテン翼」は81年に連載開始。すぐ人気に火が付き、日本のサッカー人口を倍にまで押し上げた。

 「連載の1話目が終わった時は、10週で終わるなぁと感じていました。絵がプロのレベルに達してなかったので。2、3話目と人気投票の順位はどんどん落ちていきましたしね」

 「週刊少年ジャンプ」には当時、10週の壁があった。不人気なら連載終了。危機を救ったのは、翼の代名詞・オーバーヘッドだった。

 「4話目、ロベルト本郷がオーバーヘッドやって、翼がまねする回が読者の評価が良くて。そこで生き残った」

 ストーリーの参考にしたのは、水島新司さんの「ドカベン」。

 「同じことがサッカーでもできるかなと。翼の小学校の全国大会、まさにドカベンの甲子園大会のイメージ。ライバルをどんどん出して盛り上げる…とか」

 Jリーグ発足は93年。連載していた81〜88年は日本サッカー不毛の時代だった。

 「なんで日本にはプロがないんだって思って描いていました。海外はこんなにすごいんだと漫画で説明してきたつもりです。翼は最初から『ブラジルでプロになりたい』『日本をW杯で優勝させる』って言っています。43年たって、ボクの理想に近づいてきている」

 88年の連載終了後は、苦しい時期もあった。

 「サッカー以外も描いたんですが、ヒットにはならなくて。93年のドーハの悲劇を見て、キャプテン翼をまた描きたいなとワールドユース編を始めました。でも最後まで描き切れなくて…というか、97年に打ち切りになってしまった」

 救われたのは、2002年のW杯日韓大会だった。

 「絶対サッカーブームくるから、もう一回『キャプテン翼』を描いて復活したいな、ガツンといきたいなってのは心に秘めていました。そんな時にヤングジャンプの編集者さんに誘われて『ROAD TO 2002』を描いたんです」

 新作は、高橋さんの狙い通りヒットを飛ばす。

 「単行本の冊数も、ワールドユース編より多かったんですよ。そこでリベンジできた、よし勝ったぞと。いつやめても大丈夫という感情が初めて芽生えました」

 世界の巨匠は、挫折があったことで悔いのない漫画家人生と言えるまでになり、新しい挑戦への活力が生まれた。最後に100歳まで描かれることをお祈りしていますと言うと「ハイ。ありがとうございます」と笑顔。翼くんがボールを蹴る時と同じ表情だった。

 ◆キャプテン翼 「ボールは友達」が信条の天才・大空翼を中心としたサッカー漫画。小学生時代から始まり、現在ではFCバルセロナ所属でU―23日本代表となっている。「スカイラブハリケーン」などの独創的な技が特徴。アニメは世界50か国以上で放送されている。漫画は、本編のほか「ワールドユース編」「ROAD TO 2002」「海外激闘編 IN CALCIO 日いづる国のジョカトーレ」「海外激闘編 EN LA LIGA」「ライジングサン」などのシリーズが存在する。

 ◆高橋 陽一(たかはし・よういち)1960年7月28日、東京都葛飾区生まれ。63歳。80年、週刊少年ジャンプでの読み切り「キャプテン翼」でデビューし、81年に連載を開始。94〜97年に続編となる「ワールドユース編」を同誌で連載。2000年末からヤングジャンプで連載した「キャプテン翼―ROAD TO 2002―」以降は「キャプテン翼」シリーズを描き続けている。関東サッカーリーグ1部「南葛SC」オーナー兼代表。23年、日本サッカー殿堂を受賞した。