元F1ドライバーで、現在はアストンマーティンF1チームのアンバサダーを務めるペドロ・デ・ラ・ロサがF1日本GPで取材に応えた。その中でデ・ラ・ロサは「日本で活躍できる外国人ドライバー」「F1で活躍できる日本人ドライバー」というふたつの観点からの質問に、自身の経験も交えながら詳細に答えた。

 デ・ラ・ロサは1997年、フォーミュラ・ニッポン(現スーパーフォーミュラ)と全日本GT選手権(現スーパーGT)で共にチャンピオンに輝くと、1999年にアロウズからF1デビュー。その後は戦闘力の高いチームでフルシーズン戦う機会をなかなか得られなかったものの、最終的にはブランクも挟みながら2012年まで参戦する息の長いF1キャリアを送った。

 これまで日本で活躍してきた数多の外国人ドライバーの中でも、フォーミュラとGTの“2冠”をはじめとする様々な実績を残しているデ・ラ・ロサ。彼の努力家で真面目な性格もその礎を築いたようで、F3時代にトムスでデ・ラ・ロサのエンジニアを務めた山田淳氏も、スーパーフォーミュラ公式サイトのインタビュー記事の中で、「ペドロはとにかく真面目。努力を積み重ねていくタイプのドライバーだった」と当時を回想している。

 そんな“ハードワーカー”のデ・ラ・ロサに、日本のレース界に飛び込む外国人ドライバーが成功を収める鍵になる要素は何かと尋ねた。すると彼は「良い質問だ」として、次のように答えた。

「僕が日本にやってきた時、すぐに感じ取ったのは、ここに住まないといけないということだった。2週間日本にいて、また(欧州に)戻って……というのをやっていたら上手くいかない、とね」

「だから僕は日本に住んで、F3だったりGTだったり、常にマシンに乗るようにした。日本で成功するための鍵は、日本で生活して出来るだけ多くのカテゴリーに参戦することだと思う」

「忙しく勉強し続けたんだ。僕はそうしたし、それが上手くいった。既にレジェンド的な存在になっていた(外国人)ドライバーもいたけど、彼らは日本に住んでいなくて、僕は基本的に彼らよりも速かった。僕らは進んで日本に居を構える新世代のドライバーだったと思う」

「それは大きなアドバンテージだった。毎週テストやレースがあって、フォーミュラ・ニッポンとGTを走っていた。『クルマも全然違うのにプラスになるの?』と言われることもあったけど、特に当時はシミュレータもなかったし、走行距離を稼げるのはかなりのプラスだった」

「あと、僕にはふたりの良い“先生”がいた。ひとりはミハエル・クルム。もうひとりはトム・クリステンセン。彼らは僕の目標でもあった」

 デ・ラ・ロサが国内レースに参戦していたのは30年近く前であり、当時とは時代背景が異なる部分もあるが、日本に住み、“先生”を見つけることで成功を収めた例は最近でもある。サッシャ・フェネストラズだ。フェネストラズはスーパーフォーミュラやスーパーGTに参戦していた頃は日本に住んでおり、通訳も兼ねた“先生”を見つけた2022年にはスーパーフォーミュラでランキング2位となった。その“先生”は奇しくも、デ・ラ・ロサと同じクルムだった。

 また、デ・ラ・ロサには上記の質問とある意味対照的な質問もぶつけてみた。「日本人ドライバーがF1で成功するために必要なものは何か?」だ。

 日本でのレース経験を経て、多くの日本人と共に仕事をしてきたデ・ラ・ロサ。日本人特有の価値観や気質はよく理解しているはずだ。日本人F1ドライバーの歴代最高位は3位だが、それ以上の高みに行くためには何が必要なのか?

「基本的にはやはり、ハードワークだ。そしてハードワークの他に、ヨーロッパで住むことを受け入れる姿勢が重要だ」

 デ・ラ・ロサはそう語る。

「F1チームは基本的にヨーロッパ……大抵はイギリスに拠点がある。日本人ドライバーにとって、ヨーロッパに住んで、チームのところへ行ってシミュレータをしたり、距離を縮めること、しかもそれを喜んですることがとても重要だ」

「というのも、僕が日本人ドライバーに対して何度も感じたことは、彼らはヨーロッパに住んでいながらも、心は日本にあったんだ」

「彼らは(ヨーロッパでの生活に)満足していないように見えた。飛行機で成田(空港)に帰る日ばかりを気にしているような感じでね。高木虎之介だって、信じられないくらい才能に溢れたドライバーだったんだ。彼が調子の良い日には、誰も手がつけられなかった」

 つまるところ、デ・ラ・ロサが日本に住んで日本で成功を収めたように、日本人ドライバーもヨーロッパに溶け込む必要があるということだろう。デ・ラ・ロサはさらにこう続ける。

「その後に(F1に)やってきた小林可夢偉は、現代的な日本人ドライバーの走りだと思っている。彼は非常にオープンで、ヨーロッパで生活することも苦にしない。だから成功したんだと思うね」

「もちろん母国を愛する気持ちは大切だ。でも人生では、優先順位をつけないといけない時がある。レースをする時に優先すべきは、そこに全力を注ぐことだ」

 これに関連して、話題は日本人と欧州人の価値観の違いに関するより踏み込んだものに移った。デ・ラ・ロサは、日本とヨーロッパでのコミュニケーションの取り方の違いを理解することも、日本人にとっては重要だと語った。

「(日本とヨーロッパで)最も違うのはコミュニケーションだ」

「表現の仕方が違うことを受け入れないといけない。日本人は時に、言われたことが直接的過ぎると傷ついてしまう」

「逆にヨーロッパ人だと、直接的に言ってくれないと意図が理解できなかったりする。これは単なるコミュニケーションの問題であって、ただそこに慣れる必要があるだけだ。大きな問題ではない」

「日本のスポーツ選手はしばしば、言葉の壁や直接的な表現に怖がっているように感じることがある。でも僕たちはそんなつもりはなくて、そういう教育をされてきただけ。だからこそ(ヨーロッパに)住んだ方がいいし、そうすれば簡単に順応できる」

 成功を収めるためには、尻込みせずに挑戦を続け、目指すべきところに向かって全てを捧げる必要がある……それこそがデ・ラ・ロサがレース人生を通して体現してきた“ハードワーク”であり、国籍・競技にかかわらず多くのアスリートが持つべきマインドセットなのかもしれない。