シェフィールド・ユナイテッドがプレミアリーグから降格した。

大苦戦はシーズン開幕前から予想されていた。イリマン・エンディアイエがマルセイユに、サンデル・ベルゲがバーンリーに移籍。チャピオンシップからの昇格に貢献したふたりの主力を失い、その穴をカバーする新戦力の補強もかなわなかったからだ。

開幕から3連敗。4節のエヴァートン戦で引き分けた後、続くトッテナム戦から6連敗を喫した。

11節のウォルヴァーハンプトン戦で初勝利を挙げたが、その後も大量失点が続く。3点以上を喫した試合はリーグ最多の15回。直近3試合もニューカスルに1-5、マンチェスター・ユナイテッドに2-4、バーンリーに1-4。シーズン全体の失点数は98にまで及んでいる。

早ければ今週末に行われるノッティンガム・フォレストで、1993/94シーズンにスウィンドンが記録した “100” のワーストレコードを更新する。

ただ、スウィンドンが三桁の失点を喫した当時、プレミアリーグはまだ22チーム制だった。20チーム制のワーストは2007/08シーズンのダービーが記録した89。したがってシェフィールドUは、“ワーストダブル間違いなし” だ。

14節終了後、ポール・ヘッキングボトムを解任し、元監督のクリス・ワイルダーを呼び戻しても無意味だった。選手個々の質は不足しており、その弱点を補うゲームプランを56歳の指揮官は持っていなかった。

「You're nothing special, we lose every week」(オマエら、特別に強ぇとか勘違いするなよ。毎週オレらは負けている)

「Say hello to Sunderland」 (サンダーランドによろしく伝えてくれ)

ニューカッスル戦(前出)におけるサポーター間のやり取りも、すでにあきらめの境地に達していた。

さて、シェフィールドUの降格は3回目だ、ノリッジとウェストブロムの5回に続き、3位タイのありがたくない記録ではある。

だが、あのマンチェスター・シティにでさえ屈辱を味わった。

18位に終わった1995/96シーズン終了後にチャンピオンシップ(実質2部)へ。さらに97/98シーズンには同ディヴィジョンで22位にランクダウン。リーグ1(実質3部)でもがき苦しむことになった。2000/01シーズンにはプレミアリーグ復帰を喜んだが、わずか一年でチャンピオンシップに突き落されている。

いまでこそ世界に冠たるシティも、プレミアリーグ発足後の31年で5年も下部リーグを経験していた。

もし、2008年に『ADUG』(アブダビ・ユナイテッド・グループ)が買収していなかったら、ジョゼップ・グアルディオラ監督は同じマンチェスターでも赤いクラブの方を指揮していたかもしれない。

ケヴィン・デブライネ、アーリング・ハーランド、ルベン・ディアス、ロドリなどの獲得も難しかっただろう。

25年前に3部でもがいていたクラブが、オイルマネーの注入によって世界有数の強豪に姿を変えるなど、当時は知る由もなかった。

プレミアリーグ発足後、ヨーロッパ大陸、もしくは南米からチャレンジする選手たちは、「家族の暮らしも考えるのならロンドンのクラブ、フットボールだけならユナイテッド」という独特の基準を設けるほど、シティはマンチェスターでも日陰の存在だった。

財務規定違反に関する嫌疑が115件も浮上したとはいえ、シティが世界でもトップ3に入る強豪であることに疑いの余地はない。100失点を超える公算大のシェフィールドUにも、いつか強力なパトロンが現れるのだろうか。

文:粕谷秀樹