38周年「ドラクエ」の海外人気とは?

「今、新しい伝説が生まれようとしている」

 このキャッチコピーは、ファミリーコンピュータ用ソフト『ドラゴンクエスト』(以下、ドラクエ1)の販促CMで使われた、当時のキャッチコピーです。

 1986年5月27日リリースの『ドラクエ1』に端を発する「ドラゴンクエスト」といえば、いまや「国民的RPG」と呼ばれるほどの地位を確立しているといっても過言ではないでしょう。ファミコン世代にとっては王道中の王道タイトルであり、『ドラクエ1』の発売日がそのまま「ドラクエの日」として日本記念日協会に登録されていることからも、国内における知名度の高さがうかがえます。

 しかし、その一方で「海外での『ドラクエ』人気」についてご存じの方は、意外と多くないのではないでしょうか。今回は同シリーズの38周年に合わせて、海外のビデオゲーム市場における「ドラクエ」のシリーズ展開を振り返ります。

「ドラクエ」が産声を上げた1980年代の中頃、国内のビデオゲーム市場において、RPGは現在ほどなじみあるジャンルとは必ずしもいえませんでした。海外では1980年代のはじめに『ウィザードリィ』や『ウルティマ』などの不朽の名作が登場したものの、日本のファミコンユーザーの間では、RPGが一般的な人気を獲得するに至ってなかったのです。

 そこに現れたのが、エニックス(現:スクウェア・エニックス)が世に送り出した『ドラクエ1』でした。海外のRPG作品を熱心に遊び、その可能性に心を惹かれた「ドラクエ生みの親」こと堀井雄二氏は、「何とかして日本のユーザーにもRPGを楽しんでもらいたい」という一心のもと、試行錯誤を重ねて『ドラクエ1』を制作しました。

 敷居の高さを払拭(ふっしょく)し、それでいてRPGが持つ魅力を損なうことなくユーザーへ伝えたい。そう考えた堀井氏は、システム面からストーリーに至るまで、ファミコンで遊ぶ人びとのことを考えながら丁寧にチューニングを施しました。この仕様が、後に「ドラクエ」シリーズを形作る礎(いしずえ)となったのです。

初代『ドラゴンクエスト』のプレイ画面

 1986年5月に誕生した「ドラクエ」シリーズは『ドラクエ1』を皮切りとし、作品を重ねるごとに国内のビデオゲーム市場において数多の注目を集めます。「ロト」シリーズ三部作の最終編として作られた『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』は、各種メディアで連日取り上げられるほどの大ヒットを記録。以降「ドラクエ」シリーズはハードを移しても売れ続け、ミリオンセラー作品の常連として影響力を発揮します。

 では、国内で大成功を収めた「ドラクエ」シリーズは、1980年代の頃から海外でも好調なセールスを記録していたのでしょうか。答えは「NO」で、お世辞にも成功したとはいえない状況だったのです。

1988年2月10日発売『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』 画像はNintendo Switch版(スクウェア・エニックス)

北米市場でいきなり苦境に立たされた「ドラクエ」

 エニックスが海外展開を見据えて「ドラクエ」を送り出したのは、北米のゲーム市場でした。北米版のファミコン「Nintendo Entertainment System」(以下、NES)向けに『ドラクエ1』が登場したのは、日本版の発売から3年が経った1989年のことです。

 昨今のビデオゲーム市場といえば、制作の段階からグローバル市場を見据えて作られていますが、1980年代当時は今ほどその視点が一般化しているとはいい難い状況でした。ゆえに、海外ユーザーにも日本版の内容を楽しんでもらえるようなローカライズ(最適化)作業においても、乗り越えなければならないハードルが多く、「ドラクエ」本来の作風が海外版で十分に表現できなかったのではないか? と考えられます。

 例えば「ホイミ」や「メラ」などの個性的な呪文名は、ローカライズに際して「ヒール」「ブレイズ」などなど、ありふれた名称へ変更されました。また、ファミコン少年の妄想を掻き立てたであろう「ぱふぱふ」も、表現上の問題から削除されています。そのほか「教会」やキャラクター死亡時の演出(棺おけ)なども別のものへ差し替えられ、故・鳥山明氏によるキャッチーなビジュアルイメージも、日本版とは全くの別物になっていました。

 大前提として、北米版『ドラクエ1』は当時の開発スタッフがローカライズに尽力した末に誕生した産物ということです。日本でシリーズが始動してからまだ3年弱のシリーズ作品を、さまざまな規制を乗り越えて海外向けに手直しするということは、ユーザー目線でも相当な苦労がうかがえます。

 しかしローカライズの努力もむなしく、北米市場でのセールス記録が日本に比肩(ひけん)することはありませんでした。「ロト」シリーズ三部作がNES向けに展開されるも、売上は10万本から15万本前後。その原因にはローカライズの難しさにくわえ、RPGというジャンルに対する価値観の違いもあったのではないでしょうか。また、日本よりも先にRPGがゲーム文化として根付いていた北米において、オーソドックスな作りの「ドラクエ」がユーザーにあまり受け入れられなかった……という視点も考えられます。

 ファミコン時代の海外展開が振るわなかったからか、エニックスは『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』(以下、ドラクエ5)と『ドラゴンクエストVI 幻の大地』(以下、ドラクエ6)の海外展開を中止します。2001年にはPlayStation用ソフト『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』(以下、ドラクエ7)のローカライズで長い沈黙を破ったものの、海外で人気を博していた「ファイナルファンタジー」シリーズ最新作『ファイナルファンタジーX』の存在もあり、思うようにセールスを伸ばすことができませんでした。

2004年11月27日発売『ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君』(スクウェア・エニックス)

『ドラクエ8』で事態が好転、海外で注目され始める

 ファミコンからPlayStationの時代にいたるまで、海外市場で苦戦が続いていた「ドラクエ」シリーズ。ところが第8作目『ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君』(以下、ドラクエ8)のローカライズを経て、ついに巻き返しを図ることに成功します。

 2005年に北米、2006年にヨーロッパ市場向けにローカライズ版が展開された『ドラクエ8』は、北米市場だけでも40万本を超えるセールスを記録しました。この数字を見ただけでも、上述した『ドラクエ7』(約17万本)を含め、過去のローカライズ版と2倍以上の差をつけていることが分かります。

『ドラクエ8』は日本版の発売から1年というローカライズ作業のスピードにくわえ、『ドラクエ1』時代のように削除(差し替え)されたゲーム内要素も少なく、日本版の表現を極力損なわずに翻訳されました。トゥーンレンダリング技術によって、故・鳥山氏の線画がそのまま立体化したような3Dモデルも海外ユーザーから好評を獲得します。そうしたゲーム内外の進歩だけでなく、「『ドラクエ8』を買うと『ファイナルファンタジーXII』の体験版がついてくる」(北米版のみ)という驚きのプロモーションも相まって、「ドラクエ」シリーズは誕生から約20年の時を経て、海外ユーザーに広く認知される機会を得たのです。

『ドラクエ8』の発売により、海外市場で改めてポテンシャルが再確認され始めた「ドラクエ」シリーズ。スーパーファミコン時代にはローカライズされなかった『ドラクエ5』や『ドラクエ6』もニンテンドーDS(以下、DS)向けにリメイク版が作られ、海外ユーザーにも存在と価値が知られることになります。

 ナンバリング作品のローカライズも続けられていき、DS用ソフト『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』は北米版とヨーロッパ版を合わせて、ソフト売上100万本を達成。『ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて』は完全版も含め、世界市場におけるソフト売上が600万本を突破しました(世界市場)。

 国民的RPG「ドラクエ」シリーズが海外で本格的に知られるようになってから、早くも20年が経とうとしています。スクウェア・エニックスが開発中の最新作『ドラゴンクエストXII 選ばれし運命の炎』は日本を含め、世界規模でどのようなムーブメントを巻き起こすのでしょうか。今後の動向に注目です。

Nintendo Switch版『ドラゴンクエスト』
(C)1986, 2019 ARMOR PROJECT/BIRD STUDIO/SPIKE CHUNSOFT/SQUARE ENIX All Rights Reserved. (C) SUGIYAMA KOBO

Nintendo Switch版『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』
(C)1988, 2019 ARMOR PROJECT/BIRD STUDIO/SPIKE CHUNSOFT/SQUARE ENIX All Rights Reserved. (C) SUGIYAMA KOBO

スマートフォン版『ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君』
(C)2004,2013 ARMOR PROJECT/BIRD STUDIO/SQUARE ENIX All Rights Reserved.