「おもてなし」精神とドライバーのストレス

 路線バスの「2024年問題」が顕在化し、バスドライバーの離職や成り手不足が問題になっている。これまでも筆者(西山敏樹、都市工学者)は、カスタマーハラスメントの横行、モータリゼーションによる給料の低下などが一因であることを述べてきた。今回はそれに加えて、日本特有の「おもてなし」精神がドライバーのストレスになっていることを考えたい。

 近年、日本のドライバーは、

・過剰なマイクアナウンス
・各種ワンマン機器の操作
・ドアの開閉

などを行っている。当然、安全運転にはかなり気を遣っている。乗客が席に着くまで発車しないし、バス停に着く前に立っている乗客がいれば注意する。

 先日、都内のバスに乗ったが、乗客が席に戻らなければ発車しないと、ドライバーはその場でバスを止めた。筆者は

「そこまでするか」

と思ったが、これは事業者なりのルールでもあるとともに、乗客からのハラスメントや苦情を防ぐための“自己防衛”であるとも感じた。ただ、これはいささか行き過ぎた傾向であり、今後を非常に懸念している。

路線バス(画像:写真AC)

「おもてなし」のルーツ

 2013(平成25)年9月、フリーアナウンサーの滝川クリステルさんが五輪招致のスピーチで「おもてなし」についてプレゼンテーションをした。以下、その一部である。

「東京は皆様をユニークにお迎えします。日本語ではそれを「おもてなし」という一語で表現できます。それは見返りを求めないホスピタリティの精神、それは先祖代々受け継がれながら、日本の超現代的な文化にも深く根付いています。「おもてなし」という言葉は、なぜ日本人が互いに助け合い、お迎えするお客さまのことを大切にするかを示しています」(『産経新聞』2013年9月8日付け記事)

 改めて広辞苑(こうじえん)を引くと、その語源は

・とりなし
・つくろい
・たしなみ
・ふるまい
・挙動
・態度
・待遇
・馳走(ちそう)
・饗応(きょうおう。酒や食事を出して人をもてなすこと)

とある。「おもてなし」は、平安・室町時代の茶の湯文化に端を発する概念だ。もともと「もてなし」という言葉に丁寧語の「お」をつけた。また、「モノを持って成し遂げる」という意味で「表裏なし」。要するに、「おもてうらなし」という言葉が「もてなし」に変化したという説もある。

 表も裏もない心で客を迎え、大切な人への気遣いや心配りを重視する文化は、茶の湯という日本独自の文化の中で形成され、今日に至っている。

路線バス(画像:写真AC)

日本とオーストラリアの比較

 筆者のところには、海外から公共交通の研究者が交流のためにやってくることがある。アジアの研究者であれ、欧州の研究者であれ、皆、日本の路線バスドライバーの

・高いサービス精神
・真面目な仕事ぶり

を評価している。ワンマンカーであるにもかかわらず、非常にきめ細かく親切で丁寧なサービスを受けることができると、彼らはいって帰国する。海外の路線バスドライバーはバスの運行に集中し、乗客への気遣いや心配りを重視する雰囲気が感じられないらしい。

 筆者が勤務する大学には、オーストラリアへの留学プログラムがある。このプログラムで留学した学生によると、オーストラリアの路線バスは時間通りに到着しないため、乗客を長時間待たせることが多く、さらにドライバーはよく

・不満があれば平気で乗客に対し降りるよう指示する
・車内アナウンスをほとんどしない
・ルートを間違える

そうで、「おもてなし」やホスピタリティとは程遠い状況だという。日本人の価値観からすれば、カルチャーショックである。

 これらのエピソードを総合的に考えると、

・日本のバスドライバーは真面目である
・事業者から気遣いや心配りを教育されている
・“乗客ファースト”であるがゆえにストレスを抱えている

ことがわかる。これは、「お客様は神様」と思わない合理的な海外の価値観とは正反対である。

 思い出したが、ローマのバスドライバーはカジュアルな服装だった。日本のような企業の制服姿ではない。日本では最近、クールビズなど環境保護の観点からネクタイや帽子の着用が緩和される傾向にあるが、まだまだ堅いイメージである。その堅苦しさもストレスになることは容易に想像できる。

路線バス(画像:写真AC)

合理性か、日本らしさか

 政府は3月29日、国内の路線バス事業の維持・安定を図るため、外国人受け入れの「特定技能」枠の上限と分野追加について閣議決定した。2024年度から5年間の上限が設定され、バスドライバーを含む自動車運送業が新たに指定された。

 ここで問題になるのは、バスドライバーを目指す外国人労働者が、日本特有の「おもてなし」精神を理解し、仕事についていけるかどうかだ。彼らが自らバスドライバーとなり、自国の価値観で仕事をし、日本人と外国人ドライバーのレベルの差が顕著になったとき、日本の路線バスそのものの評価が下がる可能性がある。

 現在の路線バスそのものを守るためには、外国人雇用や主婦・高齢者のパート雇用など、従来とは異なる方法を採用する必要があるだろう。さまざまな方法を試すべきだが、人間の価値観や習慣は簡単には変えられない。「おもてなし」やホスピタリティを考えた場合、外国人ドライバーの育成方法は非常に重要な意味を持つだろう。

 同時に、日本のバスドライバーがストレスをためないためにも、「お客様は神様」と思わない合理的な外国の価値観から学ぶべき点もある。日本の行き過ぎた「おもてなし」精神を見直すことも必要だし、ドライバーが乗客にいいたいことをいえる権利を広げていくことも大切だ。

 路線バスの2024年問題は、国際的な目線で考えるべきテーマであり、私たちももっと広い視野で見る必要がある。しかし、「お客様は神様」も「おもてなし」も“日本らしさ”であり、それを見直すことは、合理性と引き換えに“日本らしさ”を失うことも意味するのだ。