鹿児島県内唯一の百貨店として、絶大な知名度とブランド力を誇ってきた山形屋が、金融支援を受け経営再建を模索する。人口減少に加え、長引いたデフレ、郊外への大型商業施設の進出、インターネット通販の台頭と厳しい状態が続いていた。ここ数年は緊急事態宣言による休業など、新型コロナウイルス禍も追い打ちとなり、“五重苦”ともいえる環境で経営体力を奪われていった。

 同社が毎年発表している決算報告によると、売上高のピークは1997年の約680億円。2021年には312億円と右肩下がりで減少し、07年からは15期連続減収だった。「お得意さま」として、消費をけん引してきた団塊世代が現役世代ではなくなり、主要な購買層が細った。

 インターネットの普及が進むと、衣料品や化粧品、県外の特産品なども、店舗に足を運ばずとも通販で購入できるようになり、消費者の買い回りが減った。店舗でサイズや色合いを確認し、「購入はネットで」という客も少なくない。

 04年にはアミュプラザ鹿児島、07年にイオンモール鹿児島など、鹿児島中央駅や鹿児島市南部エリアに大型商業施設が相次いで進出。複合型映画館(シネコン)の併設や駐車場が建物に隣接し、商品を購入しなくても料金がかからない施設が増え、長く滞在して買い物や飲食を楽しむ「時間消費型」へファミリー層を中心に流れた。

 山形屋も黙っているわけでなかった。新勢力との競争力強化のため、04年には南九州では初めて有名ブランド「ルイ・ヴィトン」を誘致。07年には「ロレックス」や「カルティエ」といった高級ブランド時計の取り扱いを増やし、他の商業施設との差別化を図る。

 その後もバスセンター跡地を改装した売り場のてこ入れ、ファミリーマートとのコラボ商品の発売、インターネットショップの開設など手を打ってきたが、経営悪化に歯止めをかけることはできなかった。

 時の流れにも見放された。07年には、11年の九州新幹線全線開業を見据え、現3号館を新2号館として建て替え、総売り場面積を1.5倍に増床する構想を打ち出したもののリーマン・ショックの影響を受け、09年に計画凍結を発表。現在まで着手に至っていない。

 20年にはコロナ感染拡大を受け、約3週間の休業や営業時間の短縮、催事の中止を余儀なくされた。外出自粛も長引き、この年の来店客数は前期比35.1%減少。売上高も25.9%減り、経常損益は14億1529万円の赤字となった。

 最悪期を脱した様子も見られる。22年以降はコロナによる行動制限が緩和され、外出機会が増えたことが後押しし、2期連続での増収。コロナの感染症法上の位置付けの5類移行やインバウンド(訪日客)の回復など、再建へ向け明るい兆しもある。

〈連載「荒波百貨店〜山形屋 私的整理へ」㊤から〉

◇百貨店の閉店、全国で相次ぐ

 郊外への大型商業施設の出店やインターネットの普及に伴うeコマース(電子商取引)市場の拡大で、全国的に百貨店離れが加速している。市街地に立地し、衣食住の幅広い商品をそろえる店舗の閉店が相次ぎ、百貨店がない県も増えている。

 2024年1月には、島根県唯一の地場百貨店だった一畑百貨店が閉店。大規模ショッピングモールやインターネット通販の台頭に加え、新型コロナウイルス禍の外出控えで苦戦していたという。

 鹿児島県では09年5月、消費不振や競争激化による業績低迷を受け、三越鹿児島店が閉店。前身の「丸屋デパート」を運営し、土地・建物の一部を所有していた丸屋本社(鹿児島市)が約1年後にマルヤガーデンズを開業した。

 東京商工リサーチによると、百貨店が存在しない「空白県」は、山形県と徳島県、島根県の3県。既に1店舗しかない「空白県予備軍」は16県に上る。岐阜県唯一の百貨店、岐阜高島屋も7月末の閉店を明らかにしている。