沖縄県は15日、1972年の日本復帰から52年を迎えた。県民は「基地のない平和の島」の実現を求めたが、国土面積の約0.6%しかない県内に、今も在日米軍専用施設の約7割が集中し、南西諸島を中心に進む防衛力強化の最前線にある。自衛隊施設の面積は復帰時の約4.7倍に拡大。鹿児島県内の関係者は「沖縄が再び戦場になりかねない」「沖縄が抱える問題は日本全体の問題だ」と力を込めた。

 奄美市住用で商店を営む森紘道さん(76)は、戦後父親が沖縄の米軍の電話局で働いた関係で、米施政権下の那覇市で小学から高校まで過ごした。「米兵による交通事故や女性暴行事件などが絶えず、占領者意識が丸出しだった」と振り返る。

 日本の憲法には9条があり、沖縄が返還されれば基地がなくなる−。学校の授業でこう習い「米兵の犯罪もなくなると思った」という。東京の大学に通っていた1972年に返還されたが「基地は残ったままで、教わった姿と違った。これでいいのかと、どこか納得できなかった」。

 近年は中国の海洋進出に伴い自衛隊の増強が進み、基地負担がさらに増えたとみる。「国内で唯一地上戦があった沖縄県民は、戦争が嫌だという強い気持ちをずっと抱えている。国はその思いに応えているのか」と疑問を呈した。

 和泊町出身の元公立中学校教師、曽木與英さん(67)=鹿児島市=は「(沖縄では)親しい間柄ほど基地問題を語りたがらない空気がある」と話す。奄美群島内に計14年間勤め、親戚が沖縄にいる住民や沖縄県民と交流してきた。

 雇用などで基地からの経済的恩恵を受ける人が少なくない。「経済活動ができるのも命があってこそ。政治は基地がなくなって困る人の思いも読み取りながら解決を図る必要がある」と語る。歴史に学ぶ重要性を説き、復帰の日が「戦争のみじめさ、沖縄の置かれた立場を見つめ直す契機になってほしい」と願った。