下田市最大のイベント「第85回黒船祭」が5月17日〜19日の3日間、開催された。開港170周年でもある今年は特に前半2日間が天候にも恵まれ、初夏を思わせる陽気の中、市内各所でさまざまな日米交流の催しが行われた。(伊豆下田経済新聞)

 「日米親善綱引き大会」の様子(関連画像31枚)

 初日は黒船執行会役員らによるペリー上陸記念公園(下田市三丁目)での献花式、米国海軍による玉泉寺(柿崎)での黒船将兵墓前祭、第七艦隊音楽隊による演奏会などの公式行事が順次、執り行われた。白浜小学校(白浜)では姉妹都市である米ニューポート市のザイ・カムシボラボン市長や、マシュー・ペリー提督と総領事ハリスの子孫たちをゲストに迎え、ゲームをしたり一緒に白浜音頭を踊ったりするなど、下田の伝統も織り交ぜた国際交流が行われた。

 下田東急ホテル(五丁目)では恒例のレセプションパーティーが開かれ、下田港に停泊する米海軍の船も見える大浦海岸を一望できるガーデンでは、国内外からのゲストたちに伊豆のグルメや地酒、海底熟成ワインなどが振る舞われた。下田芸者による演舞や、松木正一郎下田市長もチームで合気道の技を披露するなど、日本の伝統文化に親しむアトラクションも行われた。

 2日目も晴天の下、航空自衛隊の展示飛行を皮切りに開幕。下田公園(三丁目)での記念式典では日米の国旗に向けて内外の公人から献花が行われ、続いて公式パレードが式典会場から町へ進むと、祭典の華やかな雰囲気は最高潮に達した。

 初日の夕方から開催された「黒船祭開国市」では、街なかの「KIZUMA広場」を中心に各通りに地元事業者のみならず全国からの屋台や大道芸がひしめき、時代衣装の人々やご当地キャラクターが練り歩く合間を、観光客や地元の家族連れなどが食べ物や飲み物を手に散策を楽しんだ。目抜き通りは歩行者天国となり、定番の焼きそばやかき氷などからケバブやタコスなど国際色豊かな屋台までさまざまなグルメが並んだ。「猿回し」「バナナのたたき売り」など、懐かしく珍しいパフォーマンスに足を止める人の姿も多く見られた。

 祭典の中心地の一つである了仙寺の境内では下田芸者の舞のほか、「再現劇『日米下田条約調印』」「きものファッションショー」が行われ、多くの観客がシャッターを切った。「ハウマッチ」を「ハマチ」と聞き間違えるなど、当時の様子をコミカルに演じた再現劇では、満員の会場から大きな笑いが起きた。

 市内の各エリアでは「沼田踊り」「沖縄エイサー」「豆州白浜太鼓」「フラホーイケ」などのアトラクションも行われ、今年初となる「楽音祭」や海軍音楽隊による「黒船サンセットコンサート」などの音楽イベントも盛況だった。

 2日目のフィナーレには前日の強風で延期となった「海上花火大会」の花火が盛大に夜空を彩った。次々に上がるスターマインや直径450メートルにも及ぶ2尺玉など、海上から上がる花火など1500発の花火に、会場からは途切れることなく大きな歓声が上がった。

 3日目は小雨混じりの曇天の中、市民文化会館での「にぎわいコンサート」からの民間アトラクション「にぎわいパレード」が市内へ繰り出し、華やかに祭典最終日の訪れを街じゅうに知らせた。

 会期中、「日米親善綱引き大会」をはじめ、ビーチサッカーやビーチバレーボール、サーフィン、弓道大会などのスポーツイベントも多数開催され、スポーツを通じた国際交流も行われた。当初は屋外で開催予定だった「日米親善綱引き大会」は下田小学校体育館に会場を移して開かれ、米軍や海上自衛隊、海上保安庁、地元企業、稲取高校のレスリング部など9チームが熱い戦いを繰り広げた。接戦の末、海上自衛隊チームが優勝を勝ち取った。

 記念式典のスピーチで、松木市長は「この晴れやかな式典があるのも、長い間日米両国が互いを理解し合い、共に手を取り合ってきた歴史があるからこそ。この貴重な信頼の絆と友好の価値こそ、混迷する国際社会において発信すべき事柄」と話した。

 下田市の来場者速報値によると、延べ来場者数は20万7290人。昨年(20万3300人)よりも約4000人増え、コロナ禍前の第80回とほぼ同水準だったという。