【松尾潔のメロウな木曜日】#83

 春の大型連休も後半戦である。この連休の異名〈ゴールデンウィーク〉がもともと映画業界の宣伝用語だったことは有名だ。1948年の祝日法施行から3年経った51年に、当時大映の社長だった永田雅一が作ったといわれる。つまり黄金週間と映画は切っても切れない関係にある。

 前々回に記した通り、4月27日、御茶ノ水のブックカフェ〈エスパス・ビブリオ〉にて、2007年公開の幻のカルト映画『東京の嘘』を起点として「現代カルチャーを縦横無尽にぶった斬る究極のエンタメ鼎談!」(イベントフライヤーより)が催された。出演者は同作の主演を務めた作家の島田雅彦さん、井上春生監督、そしてぼく。中森明夫さんと並び本連載最多登場を誇る島田さんと、ぼくが作品に主題歌や劇中歌を提供してきた井上さんは、ともにかけがえのない畏兄というべき存在だが、3人が会するのは初めて。だからこの機会をとても楽しみにしていた。

〈エスパス・ビブリオ〉の心地好さを手短に説明しようとすると、どんなに思案を巡らせても結局は「都会の隠れ家」という手垢のついた表現に落ち着く。広々とした空間には、グラフィックデザイン関連書を中心に6千冊もの蔵書、ヴィンテージのテーブル、ソファ、さらにピアノまで配され、大きな掃き出し窓の向こうには美しい竹林まで見えるのだから。にわか雨もあがった土曜の昼下がり、ぼくが玄関扉を開くと、店内にはすでに知的好奇心に満ちた大人の男女たちが集い、紅茶やケーキを口に運びながら歓談中。定員50名のイベントには満員御礼が出ていた。

現職首相への「帰れ」とくれば、やはり安倍晋三元首相

 メディアはこの日を今年のゴールデンウィーク初日と位置付けたが、その過ごしかたは人それぞれだ。翌日に補選を控えた衆院東京15区(江東区)においては、この日は選挙活動最終日。過去最多の9人となる候補が乱立したことで、かなり緊迫した空気につつまれたと聞く。渋谷区の代々木公園では第95回メーデー中央大会が行われた。芳野友子会長率いる連合が仕切る労働者の祭典に、小池百合子都知事、武見敬三厚労相、立憲民主党の泉健太代表、国民民主党の玉木雄一郎代表らとともに出席したのが、第101代内閣総理大臣の岸田文雄氏である。

 午前10時半過ぎ、政府代表としてスピーチに立った岸田首相は、年内に物価上昇を上回る所得を必ず実現し、来年以降で物価上昇を上回る賃上げを必ず定着させると強調した。政治家とは、まだ実現していない、あるいは実現するかどうかわからない世界をよどみなく語る因果な職業なんだなあ。疑わしいことこの上ない。その〈疑わしさ〉を裏付けるかのように、スピーチの途中、参加者の一部から「帰れ」と野次が飛んだ。式典後、連合の芳野会長は記者団に「国民としてさまざまな思いが政府に対してあるというのは理解できる」と指摘しつつも、「来賓に組織内から野次が飛んだということは、非常に申し訳ないと思う」と詫びた。実質上の謝罪だった。

 現職首相への「帰れ」とくれば、2017年7月にJR秋葉原駅前で街頭演説を行った安倍晋三元首相を思い出す向きもあるだろう。安倍氏は野次を飛ばす聴衆に向かって指を差し、「こんな人たちに私たちは負けるわけにはいかない」と言い返した。当時、反論する安倍氏を子供っぽいと呆れる人は多くいたが、いま、反論せぬ岸田氏を大人だねと称える有権者がいるわけではない。

 Xフォロワー数15万人超を誇る戦史・紛争史研究家の山崎雅弘さんは「搾取される日本の労働者が、搾取側の岸田首相に『帰れ』と野次を飛ばすのは普通でしょう。普通じゃないのは、搾取側の岸田首相を『来賓』としてメーデー中央大会に呼び、野次られた搾取側の岸田首相に『お詫び』している連合の芳野友子会長ですよ。この人も頭の中は搾取側」とポスト。ぼくもこれにはストンと腑に落ちましたねえ。

 話は〈エスパス・ビブリオ〉にもどる。午後3時、3人が登壇してイベントはスタート。司会進行役を担当するのは、この映画に唯一直接関わっていないぼくだ。まず観客に訊いてみた。『東京の嘘』を観たことがある人は手を挙げてください、と。すると、挙手したのは関係者を除けばなんと2人だけ! そこまで少ないと、もはや『東京の嘘』の存在自体が嘘のようでもある。これぞ「カルト映画」の面目躍如。つまりこの鼎談は「実際に観ていない客ばかりを集めて映画のトークイベントは成立するか」という社会実験なのだ。音楽の世界では〈架空の映画のサントラ〉は珍しいものではない。ならば〈存在があやしい映画のトークイベント〉があってもいいじゃないか。疑わしさで満ちているのは、政治という現実か、映画という虚構か、あるいはその両方か。

 こうしてぼくの黄金週間は始まったのである。

(松尾潔/音楽プロデューサー)