【私が生きるクスリ】

 神田松鯉さん(講談師/81歳)

 講談の人気者、神田伯山の師匠にして人間国宝の神田松鯉さんは今も意気軒高、高座に上がり続けている。重厚な語り口とポンポンと釈台を打つ張り扇の小気味よさ。元気に生きるエネルギーの源を伺った。

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 近頃はたまには街中や電車の中で「神田松鯉さんですよね?」って声をかけられるようになりました。伯山が話題になって、おかげさまで講談界が活性化しましたからね。あの子がYouTubeで私のことも宣伝してくれて。ありがたいですね。その代わり、一人で立ち食いそば屋にフラッと入りづらくなりましたけどね(笑)。

 今度の誕生日で82歳になります。年齢とともに高座でお客さんと一緒に楽しみながらしゃべるようになったと思います。若い時は精いっぱいやることが大事でしたけれど、今はお客さまと一緒に悲しみ、一緒に怒り、一緒に笑う。喜怒哀楽をお客さまとともにすることが喜びに感じられるようになってきました。

 ある人が「松鯉先生の高座は垣根がないから近寄りやすくて、聴きやすい」と言ってくださって大きな励みになっています。

 私は昔から「シャボン玉理論」と言っていますが、客席と高座が一つの呼吸になるというのが理想。つまりシャボン玉の薄い球体の中でお客さまと呼吸が一つになると芸としては成功ですが、お客さまと呼吸が揃わないとシャボン玉がパチッと割れちゃうんです。「シャボン玉理論」が成立することはめったにない。難しいものです。

 でも、そういう志だけはつねに持ってないといけませんね。志を高く持つためには自分の稼業を愛して、高座を務めることに喜びを、ときめきを感じることが大事。道楽商売をやっているんだから、つねにときめきだけは失わないようにしたいですね。芸の厳しさに挑戦し続けるのもときめきなんです。

 この年になっても、台本を書き直しますよ。私の台本は棒線や書き込みでいっぱいです。伝統芸というのは同じ形と同じセリフをただ伝えることではありません。「発展のないところに伝統はない」という格言があります。久しぶりのネタをやる時にはかなり書き直します。時代は変わりますし、自分のキャリアや肉体も変わるわけですからね。

 それにお客さまの反応や自分の体調によっても表現の仕方が変わってくるものです。伯山だって勉強しながら工夫しています。私が教えたネタを最初は教わった通りにやりますが、だんだん自分のものに変えていく。そして最終的には個性で自分の芸をつくり上げるのです。ただ骨子は変えちゃいけない。

 また、師匠として大切なのは自分のやり方を押し付けないこと。「教えすぎるとその師を超える弟子は育たない」という格言があるんです。自分の芸風の枠の中に閉じ込めてはいけない。その子の性格、感性、生き方が表す個性の芽を摘んじゃいけないんです。

「弟子は師の半芸に至らず」という格言もあります。師匠の芸のコピーでは、半芸に至らないということです。師匠の芸風を乗り越え、勉強して自分で芸風を確立していくものなんです。

 最近、とくに変わったことといえば、噺家が私のところに講談の稽古に来るようになりました。落語で講釈ネタをやるというのが随分、増えてきている。反対に、講談がお笑いをいっぱい入れる講談に変わってきつつあります。落語と講談の垣根がなくなって、違いがだんだんとなくなってきている面がありますね。

 私が入門した頃ははっきりと違いがあり、厳然と違う芸だったわけですから。昔の本牧亭で落語をマネしてくすぐりを入れたりすると「真面目にやれ」と怒られたりしたものです。でも、今はなんといっても落語が全盛で、笑いがある方がお客さまが喜びますからね。

 私も落語の席にも毎回出ていますが、やっぱりあまり堅いものはやらないですし、くすぐりを入れたりします。でも、例えば、15分の高座のうちの一部は、しっかりとした講談の言い立てや修羅場調、七五調の美麗な調べを入れるようにしています。やはり自己主張がないといけませんからね。1年、第38回浅草芸能大賞受賞。

ダレ場を聴かせるのが講釈師の腕

 入門以来、この50年くらいの間に芸のあり方が大きな様変わりをしていると言えますね。私はそれを否定はしないんです。でも、本来の持ち分を忘れちゃいけない。肝の部分がなくなっちゃうと、講釈の寄りどころがなくなってしまい、伝統を消してしまうことになります。

 私が連続ものをやるようにと、ずっと主張しているのはそれが講談の大きな特徴だからです。連続ものには必ず「ダレ場」があります。伝統としての講釈をきちんと継承していくのならば、面白くない部分の「ダレ場」もすべてきちんとやらなくてはいけません。

 イタリアの経済学者ビルフレド・パレートが提唱した「2:8の法則」というのがあります。それに付随して「2:6:2の法則」というのもあります。例えば、会社員100人のうち優秀なセールスマンが2割、月給分を稼ぐのが6割、残りの2割は月給泥棒……。講談でも同じように考えることができるのです。

 20席の連続ものがあるとします。20席のうちの4話は誰がやっても面白いし聴き応えがある。真ん中の12話は最初ほどの面白みはない。あとの4話は誰がやってもダレ場になる。そのダレ場を聴かせるのが講釈師の腕だと私の師匠は言っていたんです。「ダレ場」を含めて伝統芸の面白さがあるのです。

 こういう考え方は講談の世界だけのことではありません。サラリーマン社会でも通じるし、応用できるものだと思います。

 実は3年ほど前に、鼻の部分の皮膚がんになり手術して皮膚移植をしたんです。最初ホクロだと思っていたらだんだん大きくなってきたんで、近所の皮膚科へ行ったら大学病院で診てもらった方がいいということになりまして。調べたら、がんとわかった。ホクロの箇所だけじゃなく、その周りも全部切り取って、胸のあたりから皮膚を移植しました。転移しているかどうか怖いので、半年に1回は定期検診に行って調べています。

 そんなこともありましたが、私にはもう何十年も続けている健康法があります。毎朝、納豆と梅干し、ヨーグルトを欠かさないことです。それとご飯を軽く一膳いただく。私の場合、毎晩のお米のジュース(日本酒)が主食ですから(笑)。常温で2合いただきます。体が要求するということは潤滑油として必要だからでしょうかね。酒が主食だからご飯は人の半分。半分はお米のジュースで十分です(笑)。

 酒が好きなのをみなさんご存じですから、たくさん送ってくださるんですよ。ほとんどうちでは買ったことがない。ありがたいことです。酒は365日欠かさないからγ-GTPの数値が150くらいあったんです。

 でも、どういうわけか去年の健康診断で60に下がりました。それでホッとしたのですが、体のことをくよくよと考えながら飲むのはかえってよくないと思うようになりましたね。やっぱり酒は楽しく飲まないと。泣きながらとか、怒りながら飲む酒はよくない。笑顔で飲むのが一番です。

 ただし、家では毎晩2合と決めていますが、外で飲むことになれば、いつもの倍以上はいただいちゃいますね(笑)。コロナ前はひと月に10日ほど仲間と飲み歩く日があったのですが、最近は以前に比べると半分以下になりました。一緒に飲む仲間は相変わらずたくさんいるんですけどね。

 うちの弟子たちはみんな揃って飲まないんですよ。私の師匠、2代目神田山陽が下戸だったので、弟子たちが飲めないのは隔世遺伝かもしれないですね(笑)。

 自分の足でしっかり歩くことも心がけています。楽しちゃダメです。大地を踏みしめて歩くことが大事。疲れてしまってタクシーを使うこともありますが、少なくとも1日4000歩は歩いています。よく歩いた日は7000〜8000歩のこともあります。

 注意しなければいけないのはとにかく転ばないようにすること。だからゆっくり歩く。若い人がどんどん追い抜いていくけれど、自分のリズムで歩ければいいと思っています。階段を上る時は必ず手すりをつかむようにして。

 なんだかんだいっても長生きの秘訣、生き甲斐は社会参加です。かつて「定年講談」をやっていたことがあります。定年を迎えて生き甲斐がなくなって自殺したり、離婚するケースが増えたので、ある企業が意識改革で始めたんですよ。全国を回りました。社会参加といっても難しく考えることはありません。どんな形でもいいんです。町内会の活動でもいいし、ボランティアでもいい。社会から孤立するのが一番よくない。

 私は高座もあるし、弟子もいる、好きな酒も飲めます。まだまだ元気に社会参加しています。今も現役ですからね(笑)。

(聞き手=浦上優)

▽神田松鯉(かんだ・しょうり)1942年、群馬県出身。日本講談協会名誉会長、落語芸術協会相談役。70年、2代目神田山陽に入門。73年、二つ目に昇進。神田小山陽と改名。77年、真打ち。92年、3代目神田松鯉を襲名。長編連続ものの継承に積極的に取り組み、講談界の後進の育成も努め、2019年、人間国宝。21年、第38回浅草芸能大賞受賞。