【スポーツ時々放談】

 大リーグにピッチクロックが導入されたのは試合時間短縮が目的だった。ピュリツァー賞を受賞した野球記者、レッド・スミスはこう言ったそうだ。

「野球がスローで退屈だと思う人、それはその人が退屈な心の持ち主に過ぎないからだ」

「野球は言葉のスポーツ−アメリカ人と野球」(中公新書)の後書きで紹介された言葉で、パンチョこと伊東一雄さんと馬立勝さんの共著は、いかにも大リーグ通らしい知見にあふれている。その馬立さんが3月に亡くなったと聞き、驚いた。

 馬立さんは報知新聞の野球記者として長く巨人番を務め、並行して大リーグの記事も担当した。膨大な、それも幅広い読書量で、アメリカのベストセラーをリアルタイムに読んでいた。私がニューヨークから持ち帰ったマーク・カーランスキーの「COD(鱈)」を見ると、それ面白いと、既に読んでいた。

 歯に衣を着せずズバズバとした物言いをし、原稿はサラサラ書いた。巨人時代にナイターが長引けば、馬立さんの出番だった。修辞を嫌い、早書きで知られ、それには一言あった。

「あれこれ考えることはない。見たことを書けばいい。現場での情報はテレビカメラ9台分にも匹敵するのだから」

 後にコミッショナー事務局に移り、本紙記者にも「もっと勉強してから来なさい」と叱られた思い出があるという。

 個人的には、週刊ベースボールで「記録の手帳」を2897回連載した千葉功さん、セ・リーグ事務局にいた読売新聞OBの大越英雄さんを交え、私が住んでいた谷中の階段下の居酒屋「蟻や」によく集まった。後にベースボール・マガジン社の池田哲雄社長も加わり、これだけの顔ぶれだから勝手に「谷中サミット」と名付けて野球談議に花を咲かせていた。コロナ前のことで、調子に乗っていると「キミ、へらへら笑ってるけどね」と注意された。

 人嫌いで頑固な先輩には優しいところもあり、コミッショナーに移ったのは母親の介護のためだったし、報知新聞を辞めて間もなく、たまたま文藝春秋社前の路上で、白取晋さん(激ペン)と一緒のところを会った時は「この前の面白かった、頑張れ」と励ましてくれた。

 長嶋茂雄さんが絶大な信頼を寄せ、独身の馬立さんに何とか嫁を取らせようとしてかたくなに断られた話は有名だ。松井秀喜がニューヨークに渡る際に相談に乗ったと聞いたが、それも長嶋さんの紹介だろう。今回の大谷翔平の問題を知ったら、何と言っただろう。記者の目はテレビカメラ9台分──。「蟻や」は店を畳み、パンチョ、激ペン、千葉さんに続き馬立さんも旅立った。時代の激変を前に、「もっと勉強してから来なさい」と言える先達が次々に消えていく。

(武田薫/スポーツライター)