2023ー24年の期間内(対象:2023年12月〜2024年4月)まで、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。サッカー部門の第5位は、こちら!(初公開日 2023年12月29日/肩書などはすべて当時)。

2005年度の高校サッカー選手権で席巻した野洲のセクシーフットボール。同校初の全国優勝に貢献した9番・青木孝太は、この活躍を契機にプロ入りを実現。文字通り、人生を変える大会だった。「調子乗り世代」の一員でもあった青木の18年前と今を振り返る【全2回の最終回/前編から読む】。

 18年前、セクシーフットボール旋風の真ん中にいた男は今――。

 青木孝太。野洲高校が高校サッカー選手権で初の全国優勝を達成した時のエースストライカーだ。36歳になった今も端整な顔立ちは変わらないが、タメ口だった口調は少し丁寧さを増している。

 選手権での活躍が認められて当時J1のジェフ千葉に加入。世代別日本代表にも選出され、内田篤人や槙野智章、香川真司ら「調子乗り世代」の一員としてU20W杯に出場するなど、プロのキャリアは順調なスタートだった。

 しかし、輝かしい時代とは対照的に、その後の足取りは多くを報じられていない。

「結局、セクシーフットボールと調子乗り世代の残像に置いていかれているし、僕だけそこから情報がアップデートされていないんです」

「レベルの違いに戸惑う毎日で…」

 青木が千葉に加入した2006年は、シーズン半ばにイビチャ・オシムが日本代表監督に就任した頃。当時のジェフはJ1で躍進を続け、ナビスコカップでは2連覇を達成するなどまさにクラブの全盛期。同年にドイツW杯に出場した巻誠一郎らとポジションを争わなければならなかった。

「レベルの違いに戸惑う毎日で、本当に必死でした」

 高校サッカー全国優勝という看板を引っ提げていたとしても、壁は分厚すぎた。1年目からリーグデビューを飾り、2年目には3ゴールを記録。だが、以降は出番をつかめず、2009年のシーズン途中でJ2ファジアーノ岡山に期限付き移籍を決断。

この年を境に青木がJ1の舞台に戻ることはなかった。

「世代別代表に行けば、みんなコンスタントに試合に出ている選手たちばかりで本当に羨ましかったし、『早く俺も』という焦りはありました。特にU-20W杯(2007年)が終わってからがさらに苦しかった。仲の良かったウッチー(内田篤人)や槙野、(柏木)陽介、(太田)宏介、ミチ(安田理大)……どんどんみんなと差が開いていくし、自分の目標を下げたとしても届かない。その繰り返し。なんで自分がサッカーをやっているのか見失いそうになったことは何度もありました」

 2010年はJ2降格を味わった千葉に復帰。その後はヴァンフォーレ甲府、ザスパクサツ群馬とJ2のクラブを渡り歩いてきた。2013年から2年間プレーした群馬では不動のレギュラーとして2年間で81試合に出場。当然、契約延長の話はあったが青木は、その契約を断った。

「2014年の時点で、これ以上、J1を目指してサッカー選手を続けても厳しいなと。そろそろ区切りをつけないといけないと思っていたんです。だから最後は1年は海外でプレーするという夢だけでも叶えたかった。だから契約延長を断り、タイに入団テストを受けに行ったんです。でも、そこで契約をもらえなかったことで、帰国後に引退を決めました」

28歳早すぎる引退とセカンドキャリアの苦悩

 引退リリースは2015年6月、自身のブログにて。当時28歳。調子乗り世代の仲間たちや、野洲高校時代の後輩である乾貴士が活躍するのを尻目に、青木はひっそりとスパイクを脱いだ。

「(調子乗り世代の人たちには)連絡したくなかったというか、自分がこうなって正直ちょっと恥ずかしかった。自分が置いていかれている感はあったので、直接、引退も伝えられませんでした」

 そこからは、情熱の欠如に苦しんだ。引退後は知人の紹介で就職したものの、未経験の営業職で苦戦。住宅や企業に飛び込み営業するたびに嫌な顔をされたり、舌打ちをされたり、時には「何しにきたんや!帰れ!」と怒鳴られることもあった。

 さらに「一日の時間が恐ろしいほど長く感じた」と、青木は語る。

 プロサッカー選手は、試合を除けば、一日3〜4時間の練習がある程度、それ以外は全て自由時間だ。しかし、社会人となれば就業時間は最低8時間。残業がつけばそれ以上。180度違う現実に戸惑った。

 その会社を半年で辞めた青木は、別の会社で再び営業職について3年間勤務。しかし、ただ時間が過ぎて行くだけで無気力な自分がいた。契約を取れるようになっても、サッカーで得られていた達成感や喜びは見出せない。

「完全に自分の弱さなのですが、当時は自分に自信が持てなかったし、何を目指すべきなのかがはっきりしなかった。ぼやけた人生を送っていて、つまらなかったですね」

天職との出会い「自分が世間の役に立てる」

 平凡な毎日を過ごしていた青木に転機が訪れる。2020年、親族が経営する電気工事の会社に転職し、電気工事士としての仕事を始めた。最初は触ったこともない電気工具や見たこともない配線図、使ったことがない専門用語に困惑したが、徐々にこの仕事に魅せられていく。

「電気って本当に奥が深いんです。みんな当たり前のように家や会社などで電気を点けていますが、その電気が点くまでに多くのドラマがあるんですよ。最初に電気が点いた時の感動や、完成した後に営業している店舗や企業、生活している家を見ると、なんとも言えない“幸福感”を得られるんです。自分が世間の役に立てているんだなと思える瞬間なんです」

 身に纏っているのは作業着ではあるが、ゴールネットを揺らす快感を思い出した。

「新築物件の電気工事を担当して、1年くらいかけて会社の仲間や他の業種の人たちと一緒になって完成させた時に、めちゃくちゃ達成感があったんですよ。サッカーで得点を決めたときのような感覚を覚えたんです。営業ではいくら契約を取ってもこの感覚はなかったんですけどね(笑)。

 あとは重たいケーブルをみんなで運んだり、引っ張ったりするのでチームワークが大事な仕事なんで、絆も深まりますし、自分自身もチームのために何をすべきか真剣に考えないといけない。今は本当に楽しいし、この仕事に生き甲斐を感じているんです」

 転職して4年目を迎えた青木は現場の指揮を執るために第2種電気工事士の資格を取得。今は第1種電気工事士の筆記試験に合格し、実技の合否を待っている段階だ。さらに今後は作業着からスーツに着替え、電気工事施工管理技士の資格取得にチャレンジしようとしている。そのため、今年9月には初めてパソコン作業を始めた。

「お恥ずかしながら『パソコンってどうやって使うん?』ってアラフォーの男が戸惑っています。でも、これも僕にとっては大事な学びであり、チャレンジなんです」

 前向きに人生を歩いている。もう、昔の仲間たちに引け目を感じることはないのではないか。

「正直、僕のことを覚えているのかな?という感覚です。彼らの中では僕だけ時の流れが止まっていると思いますし、(連絡しても)うっとうしがられるんじゃないかなと思って……(笑)」

 でも、と続ける。

「仕事で成功して、それなりの役職に就けたら自信を持って連絡できるのかな。今の仕事で一人前になる、より社会の役に立てる人間になる。そうなれば久しぶりにみんなに会った時に『俺いま、これをしてんねん』と言えるし、自分が持つ明確な目標を伝えられる。今はそれに向かって努力している感じですかね」

 ピッチで観客を魅了した「セクシーフットボール」のフィニッシャーは、今も文字通り人々を明るく照らしていた。

文=安藤隆人

photograph by Takahito Ando