長いあいだ野球記者をしていると、カレンダーを見て思い起こすことがある。

 今から12年前の2012年5月1日。タンパベイ・レイズの本拠地トロピカーナフィールドでは松井秀喜の入団会見が行われていた。巨人、ヤンキースと日米の伝統球団でプレーし、数えきれないほどの勲章を手にしてきたエリート選手は切実な思いを語っていた。

「ただプレーがしたい。野球がしたい。またプレーするチャンスをいただいたレイズに対する感謝の気持ちでいっぱいです。あとはメジャーに上がって頑張るだけです」

 アスレチックスからFAになった前年10月以降、松井の元へは契約オファーがなかなか届かなかった。本人は愛着あるヤンキースとの再契約を求めたものの、獲得リストにその名はあったが具体的オファーまでには至らなかった。キャンプイン、開幕を迎えてもオファーがない。1カ月遅れでようやく届いた唯一のオファーがレイズからのマイナー契約。メジャーでプレーできる保証はなかった。

現役最後の打席で浴びた、地元ファンからのブーイング

 5月29日にメジャー昇格を果たし、いきなり本塁打を放った。誰もが“ゴジラ復活”を喜び、今まで通りの活躍を期待した。しかし後が続かなかった。38歳を迎えた彼の左膝の状態は思わしくなく、出場わずか34試合、与えられた打席数103、最後は18打席ノーヒットが続いた。メジャー10年目の成績は打率.147、2本塁打、7打点。戦力外通告を受けたのは7月24日、ボルチモアでのことだった。

 現役最後の出場となったのは7月22日のマリナーズ戦だった。1対2で迎えた9回2死一、二塁。代打として『背番号35』の松井の名が告げられた。

 長打が出れば逆転。松井起用には最良の場面だったが、ここまでの不振が影響し地元ファンからはブーイングが起こった。結果は遊飛でゲームセット。ブーイングは更に大きくなった。

 試合後のクラブハウスは重苦しい空気に包まれていた。“クビ宣告”はあるのか。松井を追う報道陣は戦々恐々としていた。

記者が驚いた気遣い「なんか話があるから来たんでしょ。どうぞ」

 その一方で松井はいつもとまったく同じのマイペース。シャワーを浴びた後は遠征地ボルチモアへと向かう旅準備をしていた。

 当時、筆者はマリナーズ・イチロー取材の日々で、松井に会うのは冒頭の入団会見以来だった。すると彼の方から話しかけてくれた。

「久しぶりだね。なんか話があるから来たんでしょ。どうぞ」

 この状況で気遣いをしてくれることに驚いた。彼が1992年オフに巨人に入団した当時、番記者を務めていた。03年のヤンキース移籍後も彼を追いかけた。常々、彼の懐の大きさには感謝してきたが、この日ばかりはこの展開を予想できなかった。「元気ないじゃん」と声をかけると松井は笑いながら答えた。

「この状況で元気だったら、その方がおかしいでしょう」

 既に彼は現状を受け入れていた。私は更に会話を続けた。

「こういうときもあるよ。いつまでも今の状態が続くわけないでしょ」

 松井は言った。

「だといいんだけどね」

 表情が少し曇った気がした。

現地メディア讃えた“松井の誠実な人柄”

 ヤンキース1年目の03年オフ。松井はニューヨークの野球記者が制定した「Good Guy Award」(いいやつ賞)なるものを受賞した。野球の成績でなく、日々の立ち振る舞いを評価する賞があること自体に驚いたが、厳しいジャーナリズムの精神を持つニューヨークの記者たちにとって、松井は模範たる選手であった。

 試合前のクラブハウス。日本からやってきた本塁打王に米国人記者たちは入れ替わりで話を聞きに行った。開幕から2カ月がすぎても打率は.250前後、3本塁打に低迷していたこともあり、厳しい質問は続いた。それでも彼はその都度椅子から立ち上がり、通訳を通しながらではあったが、質問者の目を見ながらひとつひとつの質問に誠実に答えた。

 “なかなかできることではない”と、ニューヨークのメディアが彼の人柄を讃えるようになるのに時間はかからなかった。

大都市ニューヨークで「日本人の模範」になるまで

 6月以降、打撃でも適応を果たし、目の肥えたメディアを満足させるプレーが目立つようになった。何よりも彼らを唸らせたのは、状況を理解した的確な打撃アプローチとその結果を導く力だった。進塁打、犠飛はもちろんのこと、タイムリーが欲しい場面では期待に応えた。いつしか「Ground Ball King」(ゴロキング)と呼ばれていた男は「Mr. Clutch」(勝負強い男)、「RBI Machine」(打点マシン)へと評価を変え、その人柄とともに大都市ニューヨークで「日本人の模範」と讃えられるようになった。現役生活を通し終始一貫、彼の紳士たる振る舞いは変わらなかった。

 松井は「敬う」という言葉が好きだ。たとえどんな相手であっても敬意を払い接する。多くのことを彼から教えてもらったが、相手を敬う心の大切さは彼から学んだ大切なことだった。5月1日を迎え、再び心に刻んだ。

文=笹田幸嗣

photograph by Getty Images