時代が大きく動いた。

 初土俵からわずか七場所、まだ23歳の小結大の里が初優勝を遂げた。

 優勝を決め、土俵溜まりで感慨にふける大の里の表情がなんとも良かった。本当に感激した人、心を揺さぶられる体験をした人は、こういう表情をするのだな、と見ているこっちも感激した。

師匠の苦言「豊昇龍に同じ負け方」

 多くの人にとって忘れ得ぬ優勝になったが、大の里にとっては山あり谷ありの十五日間だった。

 初日、横綱照ノ富士を下すも、二日目に高安に苦杯。その後、大関琴櫻に完勝するなど、中日には七勝一敗と優勝争いの先頭。ところが、九日目に同学年の平戸海に攻め込まれ、後退してしまう。そして十一日目には大関豊昇龍に投げ飛ばされ、体がひっくり返った。

 実はこの十一日目の夕刻、私は元横綱稀勢の里の二所ノ関親方と、Numberの連載「相撲、この技、この力士」のオンライン取材の最中だった。早い段階で決まっていた日程だったが、たまたま結びで豊昇龍と大の里の一番が組まれることになった。なんと、オンライン上で弟子の相撲を見守る二所ノ関親方と話すことになったのである。こんな体験はこれまでもなかったし、これからもないに違いない。

 仕切りの段階でも話は続いたが、さすがに時間いっぱいになって話すことは躊躇われた。

 時間いっぱい。程なく、大の里は豊昇龍に敗れる。柔道だったら、「一本負け」を宣告されるような派手な負け方だった。

 さすがの親方にも感情に動きがあり、

「豊昇龍相手に三場所連続で同じ負け方。もっと頭を使わないとダメです」

 という言葉が出た。

 さらには「これからは豊昇龍対策をしなければならない」という言葉も漏れた。

「番付は考える力のランキング」

 親方は具体的な戦術、作戦を弟子に伝授することはない。それぞれの力士が考え、取組に向けて準備することを奨励しているのは、指導において「考える力」を重視しているからだ。連載でもたびたび出てくる言葉は、これだ。

「番付は考える力のランキングです。横綱とは、いちばん考える力士です。能力があれば、誰でも関脇にはなれます。逆に、考える力がなければ大関にはなれず、関脇止まりなんです」

 二所ノ関親方にとっては、豊昇龍相手に同じような負け方をした大の里に対して、苦言を呈したかったのだろう。そのあと、

「鯛の注文、どうしようかな……」

 とユーモアをまじえつつ、嘆息していた姿には、思わず笑みを誘われてしまったが。

「優勝しても喜ぶな」2つの意味

 しかし、大の里は崩れなかった。

 親方から「優勝はないぞ」と厳しい言葉をかけられたが、十二日目以降、宝富士、宇良、湘南乃海、阿炎とそれぞれタイプの違う相手をまったく寄せ付けなかった。琴櫻が後退したことで優勝争いで優位に立ち、千秋楽を前にして親方から掛けられた言葉は、「優勝しても喜ぶな」というものだった。

 これにはふたつの意味があると思う。

 ひとつは、戦ったばかりの相手が眼前にいる。優勝して喜ぶ姿は、相手に対して非礼ともなる。このあたり、勝っても喜びを抑え、相手を讃えるラグビーの思想と近しいものがある。先代の鳴戸親方(元横綱・隆の里)から礼を仕込まれた二所ノ関親方とすれば、弟子に伝えるべき重要なメッセージである。

 そしてもうひとつは、この優勝がゴールでもなく、目的でもないことだ。大の里は土俵下での優勝インタビューで、

「強いお相撲さんになっていきたいなと思います」

 と言葉をしめくくったが、まだ入門して一年ちょっと、七場所目での優勝だけに上積みが期待できる。

元横綱若乃花も評価

 振り返ってみると、プロになっての二場所目、去年七月の名古屋では4勝3敗と思ったほど星が上がらなかった。土俵際まで攻め込みながら、突き落としなどで逆転されることが多かったのである(その傾向は十両、そして幕内に上がったあと、先場所まで続いた)。

 しかし今場所、立ち合いでの圧力は増した。二所ノ関親方は常々「力士には立ち返る『型』が必要です」と話すが、大の里は圧力のある立ち合いから右差しを狙いつつも、左からのおっつけ、はず押しが使えるようになってきている。

 千秋楽の阿炎との相撲を受け、日刊スポーツの「若乃花の目」(中日スポーツの北の富士コラムが中断している現在、もっとも楽しい相撲コラム)において、元横綱若乃花は大の里をこう評価している。

「土俵中央での攻防で圧力をかけると案の定、大の里はあっさり右を差し体を寄せました。感心させられるのは左も使っていることです。しっかり、おっつけています」

 はず押しを得意とした稀勢の里の技術が伝授されていることを感じさせる。大きさ、パワーだけではなく、いま、大の里は相撲巧者への道を歩んでいる。

「三敗の優勝でいいと思うなよ、と(笑)」

 さて、このあと大の里はどれほど大きく育っていくだろうか?

 優勝が決まったあと、二所ノ関親方はNHKの取材に対し、こうコメントしている。

「(千秋楽は)いつも通り自分の相撲が取れていたと感じる。今場所は前に出る相撲、圧力をかけていく相撲が取れていた。場所中は優勝を意識しないように、鼓舞するように声掛けをしていた。部屋創設以来、初めての優勝なので良かった。でも、地道にもっと体づくりが必要。もっと、立ち合いの圧力は増すことが出来る。部屋に帰ってきたら、三敗の優勝でいいと思うなよと言いたい(笑)。今日だけは喜んでいい」

 それに続く二所ノ関部屋の千秋楽パーティでは、弟子にこう注文をつけた。

「四股を踏め、腰を割れ。これが楽しめたら横綱になれます」

 稀勢の里時代は、「基礎運動が楽しくて仕方がない」状態にまでたどり着いたという。四股、テッポウといった疎かになりがちな基礎運動に相撲が強くなれるエッセンスがあると、二所ノ関親方は話す。

 入門してからたった七場所だけに、まだ教えていないことはたくさんある。その意味で大の里は「未完」であり、どこまでその器を大きくするのか、想像もつかない。親方はこう話す。

「発展途上です。まだまだこんなもんじゃない。負けが三番から一番に、そしてゼロになるようにしていければいいですね」

 そのために必要なのは、技の習得や基礎運動だけでなく、親方が強く求める「考える力」だろう。

 大の里は場所中に連敗しないなど、修正力を見せている。七月の名古屋場所では三連敗となった豊昇龍との一番が大きな意味を持つことになる。いまから、対戦が楽しみだ。

元稀勢の里「30年ぶりくらいじゃないですか」

 大の里の優勝は、時代が大きく変化する予兆だ。二所ノ関親方はこう話す。

「時代が動いている感じはあります。先場所は尊富士、そして大の里の番付が上がってきて、世代交代の予感に満ち満ちてますよね。こうした動きは、私が現役時代にも生み出せなかったものです。ざっくり、30年ぶりくらいじゃないですか」

 たしかに21世紀に入ってからは朝青龍と白鵬の治世が続いていた。さらに遡って30年前といえば……。「若貴」の時代だ。若貴をはじめとする二子山勢と、曙、武蔵丸のハワイ勢が激闘を繰り広げていた時期だ。

 新しいうねりのなかで、大の里はその中心となっていく。

 令和の「大相撲ルネッサンス」の始まりだ。

文=生島淳

photograph by JIJI PRESS